朝廷から神への毎年のささげ物を指す例幣を納めに、
派遣される勅使。
その勅使が通ったのが、高崎・倉賀野宿から始まる、
日光例幣使街道。
本陣1軒、問屋2軒、旅籠は50軒と、
大きな宿場だったという2つ目の宿、玉村宿・・。
日光例幣使街道。
本陣1軒、問屋2軒、旅籠は50軒と、
大きな宿場だったという2つ目の宿、玉村宿・・。
本殿は国の重文、末社・国魂神社は国の有文指定されて、
例幣使街道脇に鎮座する、玉村八幡宮は、
戌歳、亥年生まれを守る神社でした。
そんなこと知らず訪れた私、奇しくも、亥年生まれ。
👇駐車場の看板が、何ともこそばゆい ‼
👇背高の楠木の御神木は根元が二股になってて、
通称・夫婦楠木と呼ばれ・・。
通称・夫婦楠木と呼ばれ・・。
髄神門をくぐれば、道草の世界。
👇5月生まれの私、ウゥ~ン ? すずらん、すずらん?。
煩悩も悪行も払えない無骨者の私には、
煩悩も悪行も払えない無骨者の私には、
ちと、似合わない、似合わない。
けど・・・じっくり看板を読んでた・・。
けど・・・じっくり看板を読んでた・・。
で、十二支、性格早見表まで見てしまい・・・
👇毎月10日は人形の感謝祭りとして、
人形やぬいぐるみの供養を・・。
春を飛び越えそうな陽差しの
3月14日
本殿、拝殿まで道草ばっかし
叱られても、春の陽気は
うん ‼
のんびりとです
花守り、お人形供養、絵馬 花手水、素敵な写真をありがとうございます。性格早見表、クスッと笑って拝見しました。
今日は風が強く吹いています。これからリハビリに行って来ますね。
「朝廷から」
高倉・倉賀野宿から始まる?
うーん、どういう道筋?
ちょっと調べてしまいました。
伊勢神宮ではなく日光東照宮へなのですね。
京都を発って、で納得納得。知らなかったです。
帰途は江戸に出て、そして京に戻ると、わかりました。
街道の発達で遠くまで玉村八幡宮も名を馳せたのでしょうね。
今ごろはリハビリを終え、自宅でしょうか?
ものすごい、ものすごかった風でした。
ぶらり、時間を忘れてのんびりできる神社って、
いいですよね。
そのうち、自分の心が浄化されていくようで・・・
大変でしょうが、根気強く・・・。
調べて頂いて、幸いです。
書き手は、独りよがりが通用すると、思ってしまいますから、納得してくださったことに感謝です。
玉村町、今は都市部に押されて静かですが、
日光東照宮に参拝する人たちで、かなり賑わってたようですね。
ありがとうございます。
懐かしい・・日光例幣使街道。
主人の実家が会津地方で、若い頃は盆暮には行きま
した。その時使用したのがこの街道。
途中、鬼怒川や日光に立ちよって行ったことを思い出しました。
雪の日は、途中でタイヤチェーンを履かせたりしました。
玉村八幡宮に立ち寄って、素晴らしい体験をされていますね。
力石と花手水の対比が面白い。
生まれた月の占いも面白い。
神々しいばかりでなく庶民の人々を喜ばせる
素敵な玉村八幡宮でしたね。
例幣使街道、私は今市市に住んでた時期がありますが、街道の長い杉並木を歩くと、ちょっと異次元の世界を歩いているようでした。
最近判ったのですが、この例幣使街道の長さは、
ギネスに載っているのです。
賑わう境内は、本殿域とは全く空気が違いました。
おっちゃん、おばちゃん、看板を見ては、当たってるなんて大きな声で・・
社寺の繁栄は、地元の人たちが作るものだなと、思いました。