京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

春の再会

2021年04月22日 | 日々の暮らしの中で
「春の再会」という佐伯一麦氏にある小文のタイトルを真似てみた。
氏の再会相手は、減りつつある燕の群れだったが、私は今日、コロナ禍で今年に入ってご無沙汰続きだった友人と再会した。


高齢の姉と暮らし、友の年齢も私より少し上を行くだけに、誘い出すことがためらわれ、もっぱらメールか電話での近況報告になっていた。とは言っても、彼女自身は好きな美術館を巡るなどして空いた時間を楽しんでいる。姉がデイサービスに通っている間が唯一の自由時間になるという。その曜日も時間帯も知ってはいたが、私からは誘えなかった。感染経路が追えない状況が広まる中で、万が一…、と思うと用心してしまって。

積もる話と言ってはない。お互い変わらずにいられて、会えたことを喜ぶひとときだった。

   「これ面白かったけど読まない?」と差し出されたのは内館牧子さんの『すぐ死ぬんだから』。まあ、なんてタイトル。読んだらもらっといて、と言う。小説のようだ。まさか、これが目的ではなかっただろうが、思わぬ一冊がやって来た。
作品を読んだことがなかったが、ずっと昔、弟の家に向かう新幹線の中の雑誌で内館さんの記事を読んだことがあり、「出し惜しみしてはいけない」という一節だけが記憶に残っている。ゆっくり読ませてもらおう。


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春暑し

2021年04月20日 | 日々の暮らしの中で
お仏飯を供える。ロウソクを灯し、線香をくゆらせる。
こうして一日が始まる。

春も深まりつつあり、このやわらかな若葉の美しいこと。
軽い上り坂が続くこの道は、今が一番の時季だと思っている。少々息が切れるが、なんのなんの、励まされて前を向ける。


庭の草むしりをして、気分転換に外へ出た。
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百冊を目指す春

2021年04月18日 | 日々の暮らしの中で
  百冊を目指す読書の春が来た    

本日の〈ねんてん先生の575〉に掲載された小学校6年生、Sさんの句。

100冊を目指すとは、どのくらいのペースで読むのだろう。
息子が小学生の頃にもこうした取り組みがあって、学校図書館で借りては簡単な記録を残し、更新しているのを黙ってみていたことがあった。
小学生は量、中学生は質、とは教師側の理想で、現状は子供たちも放課後、帰宅後と予定が詰まっていて読書どころではない、と忙しい。
それでも、子供のころに夢中になった本を、以後、繰り返し何度も読み返す一冊が持てることの幸せを思う。

書架の前で目をつむり、3回ほど回ったところで手を伸ばして、手に触った本を読む。
「この本の選択ゲーム、Sさん、やってみて」と 、ねんてん先生はお勧めに。そして、「意外な本だったり、むつかしかったりするかもしれません。でも、そんなふうにして偶然に出会った本が、あなたの世界を開いてくれるかも」と。


出番待ちの本の上に、読み始めて間もない文庫本のページを開いている。本の選択のためのゲームは異なるが、友人の勧めで一緒に読み始めたのだった。
同じところを何度も読み返し、それでもなかなか頭に残らない。ちっとも先に進まない。なんだかねー、入りにくいねえ…。でも読まなくっちゃ。
説明的な部分を、もうあと2ページほど読み進んだところで、視界は明るくなった。
おそらく自分では選ぶことがない一冊だったろう。

一冊の本を読んで、会話して、いろいろな感情に浸り、心を耕したほうがどれだけ豊かなことかと思うので、つい、ゲームばかりしていないで!と、小4の孫には口やかましくなる。でも実のところ偉そうに言えるほど私も小学生時代はさほど読書好きではなかったと思う。

100人100様。今日は、泊りに来ていたラグビー友達と二人で、モノレールに乗って練習会場に向かったという孫。母親は、「初めてのお使いを見守る気分」だと言ってきた。こうした時間の使い方もあって、読書がすべてでないのは承知だが、やっぱり読書せいよ。

心に住まう本をいかに持つか。数より心に残る一冊との出会い。やっぱり読書せい!と言いたくなる。


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花あるときは花に酔う

2021年04月15日 | 日々の暮らしの中で
作品が一点でも展覧会はできる、と。


〈踊り子〉


白い衣装も美しい。
  
      

   花アルトキハ花ニ酔イ
   風アルトキハ風ニ酔ウ

竹内街道(奈良)の古代池辺りに、榊莫山さんは請われてこんな詩を彫った碑を建てた。
今月27日から聖徳太子1400年遠忌記念「聖徳太子 法隆寺」展が始まる。行きたいな、奈良。

群舞もいいのかな。
トラックが爆走するような道端で、一陣の風に揺れて舞う踊り子たち。


空を見て、山を見て、花を見て、歩く。
    花アルトキハ花ニ酔ウ。

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この木なんの木? 気になる木

2021年04月13日 | 日々の暮らしの中で
       2/12

       3/30   

   3/30

2月に気づいたこの芽吹き。 
このような変化を遂げてきていて、いったい…
春雨に潤う万物の命。
この木なんの木? 気になる木…。

   4/10


「おもしろの世の中や、恩を忘れぬほどあそべ」
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好日

2021年04月11日 | 日々の暮らしの中で
自分をせっつく用事などなんにもなくって、ただただ気軽な穏やかな心持ちの日曜日。晴れて初夏の陽気となった。家でゴロゴロしているのはもったいない。出好きの虫がウゴメクのだけれど、さて、どこへ…。


木々の新緑が豊かになりつつある足元に、シャガの花が見事に群生している。



         紫の斑の仏めく著莪の花  高浜虚子

歩きながら気晴らしに言葉を唱えるのもいい。例えば、般若心経? 誰も聞いてはいないが、ちょっと笑えるなあ。
今朝ほどの新聞で、〈ねんてん先生の575〉では上田敏の訳によるブラウニングの「春の朝」という詩が紹介されていた。
  「時は春、日は朝、朝は七時、片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで、蝸牛枝に這い、神、空に知ろしめす。すべて世は事も無し。」
そこで紙にメモし、これを音読して歩くことにした。春の朝をたっぷり楽しめばいいのだ。初夏みたいな陽気だが。

クルミの芽吹きは進んでいて、〈枝先に、天然パーマの赤ん坊の髪を思わせる、くりくりした若葉〉というのは、すでにこんな状態だった。


何度か観察には出向いていたが、その都度大きな変化はなかったので、この2週間余りの、大きな変貌だと思うのだ。

    2/13

孫のTylerも土曜日曜とお泊りしながらラグビー三昧だったとか。「久しぶりにくたびれてはります」こんなメールが届いた。いいことだ、と喜ばせてもらう。
今日は好い日でした。
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難しいことをわかりやすく…

2021年04月10日 | 催しごと・講演・講座
奈良の唐招提寺の鑑真和上座像が45年ぶりに上洛。凝然国師没後700年 特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」が開催中の、京都国立博物館平成知新館に行ってきた。


5度の失敗を経て天平勝宝5(753)年に来日した鑑真は、中国正統の戒律 、〈釈迦が定めたとされる仏教徒の道徳規範(生活習慣に関連した心構え)であるべき「戒」、僧侶が守るべき規則の「律」〉を伝えた。
鎮護国家的仏教(奈良仏教)から貴族の現世利益的仏教、個人救済的仏教へと変化もあるように、最澄は厳しい戒律を守るのは無理だと考えて大乗戒を定め、南都とは異なる立場を取った。仏教も風土や時代の中で変化しながら空海、法然、親鸞らに引き継がれ、日本仏教の基礎になっていった。と、歴史などで習った程度の知識は少々ながら持ち合わせてはいるが…。

第一章 戒律のふるさとー南山大師道宣に至る道
第二章 鑑真和上来日-鑑真の生涯と唐招提寺の創建
第三章 日本における戒律思想の転換点ー最澄と空海
第四章 日本における戒律運動の最盛期ー鎌倉新仏教と社会運動
第五章 近世における律の復興


展示品の解説をいちいちしっかり読んだ。目を凝らし、書かれたことを読み取ろうとしてか頭もいっぱいいっぱい。足腰も疲れたこと。
その結果、「鑑真以来の千数百年の仏教思想が根付いている素晴らしさを目と心で楽しみ、日本仏教史を捉え直す」など程遠い思いで終わった。
日本の名僧たちの中には、何かの折に目にした名前もあるが、まあ、すべてガラスケースに貼られた短い解説を頼りに読んでいくしかなく、素人でもある程度変遷を追える、わかりやすい解説の工夫が欲しいと思う。

時代的には孝謙天皇による仏教色が強まる中、「徳、孤ならず」と大学寮で道徳を重視する儒学が叩き込まれ、個々が信じるもののために命をなげうって戦いに挑む者たちがいた『孤鷹の天』。『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』での仏教感。光明皇后が書写をさせ、大仏開眼供養(752)に読誦させた由緒正しいものだと展示されていた、根本説一切有部戒経、摩訶僧祇律。また遣唐使船や商船が安全に大陸と往来できる海の道を作ろうと挑む話もある『秋萩の散る』。戒律の流れなど無縁のところで、頭の片隅に一連の澤田瞳子の作品世界が浮かんでくる。
難しいこと、知らなくてもどうということはない。…のかもしれない。でもなあ、とも思うのだ。

    帰宅後、『天平の甍』(井上靖)を引っ張り出した。初めて読んだのは高校時代で、課題図書だったのを記憶している。久しぶりに栄叡、普照といった懐かしい名前に触れている。
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ちる、ちる、さくら。

2021年04月03日 | こんなところ訪ねて
明日は花散らしの雨になりそうだ。週明けから3日間は孫守りの予定。とするなら今日が桜の見納めになるのだろう。昼食を済ませてから、西京区大原野にある西行ゆかりの花の寺・勝持寺に向かった。


車を駐車場に止めて歩き出すと、ウグイス! ウグイスが見事な声で鳴いていて、足は止まってしまった。
鳥羽上皇につかえていた北面の士・佐藤義清が1140年にここで出家し、名を西行と改めて庵を結び、一株の桜を植えて愛吟していたと伝わる。応仁の乱で焼失後、再建に取り組んだもののかつての規模はなく、こじんまりした寺になった。


その境内を埋め尽くす桜。そして何代目になるのか西行桜(↓左手)。虚子が「地に届く西行桜したしけれ」と詠んだほどの枝はなかった。




満開は過ぎた。散る、散る、桜。散る桜の美しさをこれほどまでに目の当たりにしたのは初めてな気がする。
風の音が聞こえてくる…。立ち止まって、あたりを見回していると、境内一面にはらはら、はらはらと際限なくはなびらがふぶく。時に、瑠璃光殿の屋根に積もった花びらが二度目の花吹雪となって地に落ちる。桜の花びらに埋め尽くされた境内でもあった。



    (小さなドットのようなポチポチが花びらなのだけれど…)よく見えないけれど、「降る」というのがふさわしいかもしれないほどの散りようにただ感嘆…。

「散る桜も根にかへりてぞまたは咲く老こそ果ては行方知られぬ」 西行 
若い人たちへの慈しみにも日常の中では節度があり、花や風や月や雲に、弾むような喜びを感じていた西行だったが、こうした節度なく雪崩れてゆくような感じに、藤原秋実が師の老いを述懐する件がある。『西行花伝』)。
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「失わはったら、あきまへんへ」

2021年04月01日 | 日々の暮らしの中で

木々に芽吹いた若葉が何とも言えない彩を添えてくれる。桜に、楓の若葉では、「錦」とは呼べないのだろうな。やはり柳でなくてはならないのか。楓にかわいい花がいっぱい咲いているのを見つけた。


行く、去る、逃げる。
1月、2月、3月と足早に月日が経った、とは感じている。
その一方で、行動にもおのずと制限が課せられ、大きく変わらない日々の連続の中ででも、一日一日いろいろな思いを交錯させて過ごしている。まあ、それなりで、ああしとけばよかったと、今ことさら悔いて振り返ることも思い当たらない。

「ぱあっと綺麗なもの」「陽気なもの」「かわったもの、新鮮なもの」「楽しくなるもの」に、いつもびっくりする、面白がる精神を「失わはったら、あきまへんへ」
田辺聖子さんは言われている(「お目にかかれて満足です」)。

季節は大きく変わった。4月1日。年度替わりで、ともかくもスタートした。
早々に、明日はエッセイサークルの例会日。まず、あした。これも楽しみ、楽しみ。

黙って咲いても名花。固有の花が咲くととらえて、自分だけの蕾を開かせたいものだなあ。ちょっと我が心田に肥やしを追加したいと思うのだが、価値観の違いにしょっちゅうぶつかる。時間つぶしなんかじゃないわよ。
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歩いた春の山道

2021年03月28日 | 日々の暮らしの中で
人の少ないところを静かに歩きたいと思い、鴨川の源流の山間部に広がる雲ケ畑集落に向かって歩いた昨日。斜面が大きく崩れた脇に、残った山桜が咲いているのが見えた。数年前の台風がもたらした惨状が未だにあちこちに広がっている。


やぶ椿の赤い花がそこかしこに点在し、芽吹いた若葉のやわらかな色合いが心地よい。道々、山桜が迎えてくれるが、まだまだ周囲は淡彩色だ。


枯草まじりの道路わきにスミレが咲くのを見つけ、明るい日差しに、咲きだした山吹の花が岩肌に影を写していた。染み出る水音。鳥の鳴き声。川のせせらぎ。そうそう、前登志夫さんが書いておられるように、「人は自然のなすものにひょいと出逢えればよいのだ」と楽しめる。
今日の雨が上がれば、人が見ていようがいまいが山中の桜の開花も一段と進むのだ。


土日の混雑を思って、先延ばしにした特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」(3/27-5/16)。今はまだまだ日があると思えても、この先コロナの感染状況がどうなっていくのかわからない。開幕記念講演があと4回あるが、朝から整理券配布による各日定員100人枠の争奪戦?みたいなことは、とても苦手とする。
「柔和な面相に似合わず、時折漏れ聞く、その声は太く、鋼の如き意思を漲らせていた」(『秋萩の散る』澤田瞳子)玄宗皇帝の許可を得ぬまま日本への渡海を決意し、遣唐使船の帰国便に乗り込んだ鑑真。見ただけではわからないことが多く、できればお話を聞きたいが。
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桜のかさね

2021年03月24日 | 催しごと・講演・講座
細見美術館で開催中の特別展「日本の色ー吉岡幸雄の仕事と蒐集」へ足を運んだ。


染色史家・染色家として知られる吉岡氏は2019年に亡くなられた。氏に関連して掲載される記事を読むことで、源氏物語など王朝文学に登場する色をよみがえらせようとされていたことに私自身の関心はあった。かといって染色にこれという知識があるわけではない。
「源氏物語を原文で読み、色の記述箇所にはおびただしい数の付箋を貼り、自分の考えを書き込んでいた」と、この展覧会を監修された河上茂樹氏との対談(新聞掲載)の中で三女の吉岡更紗さんが振り返っておられた。
日本の伝統の色、かさねの色目はいつも歳時記を通じて目にしていたが、やはり写真より一見したい。きれいだなあで終わりそうだけど、「王朝文学の色」という言葉が誘ってくれている。

「平安時代は衣服の色の重なり『襲(かさね)の色目』に美を見出し、『桜の襲』のように植物名がよく使われた。情緒的な美を衣服に反映させて楽しんだのです」「当時、中国では織りが中心でしたが、日本は自然を手本にしたやさしい色の組み合わせを楽しんだ。…十二単は重そうに見えますが、平安朝の絹は薄くて軽く、重ねると色が透けて美しく見えたのです。例えば濃い紅に白を重ねて桜に見せるような。(幸雄さんは)その透明感ある色彩感覚を再現しようとしたのだと思います」(河上)

この「桜のかさね」の色合い。何とも言えない上品さで、柔らかな優しさだ。
二十歳の光源氏は、紫宸殿で催された桜の宴でこの桜のかさねを身につけ、詩を作り、舞を舞い、賞賛を得た。ちょっと有頂天に? 興奮冷めやらずでつい後宮あたりをそぞろ歩くが、藤壺との逢瀬はかなわなかった。その帰り、朧月夜と出逢う…。そんなことが「花宴」の巻に描かれていく。

紅花、山梔子、蓼藍(たであい)、黄檗(きはだ)、紫草(紫根)、刈安、矢車(やしゃ)、蘇芳(すおう)、日本茜、檳榔樹(びんろうじゅ)、胡桃、安石榴(ざくろ)が染料として展示されていた。

若者の姿が多く、袴姿もちらほらの岡崎界隈。左手に京都市勧業館を見て、琵琶湖疎水べりの桜も美しい。

平安神宮の大鳥居前に架かる慶流橋が赤く見える。



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花は我をいかが見るらむ

2021年03月22日 | こんなところ訪ねて
蝋梅が咲いていた。種種の椿と桜のコラボ。馬酔木が咲き、蘇芳も花をつけ、境内隅から隅まで、足元には名前を記した札が添えられて若い花木が育つ。
訪れたことがなく、これほどまでの“花の神社”だったとは知らなかった。

自転車が通る哲学の道を、少しばかり東に入ったところにある大豊神社。宇多天皇の内侍藤原淑子の発願になる神社だという。



     いにしへに変わらざりけり山桜
       花は我をいかが見るらむ            出家姿の自らを藤原基長が歌う。


昨日一日降り続いた雨後に、ちらほらどころか満開の感。

大阪市に生まれた小松左京は京大で終生の友となった高橋和巳と知り合い、文学を読み漁った。その一方で、共産党に入り無謀な武装闘争路線の下で活動していた。
「まだ学生だったころ、今よりもっと腹をすかし、明日の飯代をどうしよう、とか、なぜもっと早く革命が起こらないのだろうか、とか、自分にはいったい何ができるのだろう、とか、そんな考えで頭をいっぱいにしながら、その道を歩いたものだった」と著書『哲学者の小径フィロソファーズ・レーン』で書いた。私小説のような色合いのある短編小説だ。
過去は苦々しかったが否定はできない。「現在は、過去からいきなり宗旨がえすることによって、飛び移るものではなく、過去の結果だから」とも。

3/1の哲学の道。

知人と会って点訳の問題を解決。その後、ここまで同行してもらうことになった。
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福寿草

2021年03月19日 | こんな本も読んでみた
(よもや、まさかそんなことは…)
真葛は一散に駆け抜けて成田屋に飛び込んだものの、遅かった!

 奥から響いてくるこの世のものとは思われぬ呻き。
 中暖簾を隔てた店の奥から、嘔吐物の臭いが濃く漂い出していた。
 昼餉の膳を蹴散らし、胸をかきむしって倒れている十人ほどの男たち。
 苦し紛れにかきむしったのか、畳にはあちこちに深い爪痕が残されていた。

福寿草(元日草)を用いた薬種問屋成田屋殺し。お内儀・お香津と奉公人・お雪が捕縛され、六角牢屋敷に収監された。

昼餉に毒を、汁に福寿草を混ぜたのだったl

福寿草は全草に猛毒があり、素人には手に負えない危険な毒草だったとは知らないでいた。
福寿草の蕾をフキノトウと間違えて食べ、死人が出ることも珍しくなかったという。
知らなかったな。知らないのは私だけかもな…。

     
『ふたり女房 京都鷹峯御薬園目録』(澤田瞳子)を読み始めたところでのでのお話でした。
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『孤鷹の天』

2021年03月17日 | こんな本も読んでみた


澤田瞳子さんのデビュー作で、第17回中山義秀文学賞を受賞した『孤鷹(こよう)の天』。
(上)【藤原清河の家につかえる高向斐麻呂は唐に渡ったまま帰国できぬ父を心配する娘・広子のために唐に渡ると決め、大学寮に入学した。儒学の理念に基づき、国の行く末に希望を抱く若者たち。奴隷の赤土に懇願され、ひそかに学問を教えながら友情を育む斐麻呂。そんな彼らの純粋な気持ちとは裏腹に、時代は大きく動き始める】

(下)【仏教推進派の阿倍上皇が大学寮出身者を排斥、儒教推進派である大炊帝との対立が激化。斐麻呂が尊敬する先輩・桑原雄依は、寝返った高岡比良麻呂を襲撃、斬刑に処せられた。雄依の親友で弓の名手・佐伯上信は、雄依の思いを胸に大炊帝、恵美押勝らと戦いに臨む。「義」に準ずる大学寮の学生たち、不本意な別れを遂げた斐麻呂と赤土。彼らの思いはどこへ向かう?】

奈良時代の下級貴族の教育機関であった学生寮には様々な境遇の学生がいたが、いずれも個性的な人物として描かれ、その人間性が浮かび上がる。
藤原光明子(阿倍上皇)が皇后位に昇ったとき、眉に火のついた焦り方で藤原家は長屋王の一族を滅ぼした。これは『穢土荘厳』(杉本苑子)でかつて読んだが、その政変で唯一生き残った長屋王の孫・磯部王が登場する。かつて大学寮に人一倍長く在籍し、阿倍の世で唯々諾々と任官を続けている。
そんな彼が、阿倍上皇を前にして斐麻呂の命を救ったはかりごとは痛快でもあった。
その場で道鏡は、磯部王の口車にのせられ御仏の慈悲、教導を説き、恩赦を口にする…。道鏡も、黒岩重吾が描いた道鏡像とは異なる。

より良い国づくりを思い、それぞれが信じる「義」のために命を投げ出して、時勢と戦う者たちの生きざま。
一つの根から出だ枝葉だが、この世をどのように過ごすかは、各々異なる。それぞれがこうと信じた義で戦い、破れ、泥にまみれた。それでも歯を食いしばって立ち上がった遺業。
「激動する世につれ、自在にたくましく生き抜け」。最晩年、比良麻呂はこう木簡に記し、斐麻呂に託した多くの書籍の中の一冊に挟んで残した。

この時代の作品に登場する牛馬のごとく扱われる境遇の奴婢の存在は、いつも悲しく絶望的で重く心に沈む。額に所属を示す焼印を捺され、生涯苦役を強いられる。牛馬以下、物品の価格で売り買いされる奴隷だ。良民になりたい赤土。学問に貴賤はない。狂った歯車。…彼の存在は最後まで心を離れなかった。戦で瀕死の状態を生き延び、赤土は唐に渡っていた、とみられる。一羽の鷹のごとく、自分の生きるべき地を見つけ、降り立った…。

 不明なことの多い時代を背景に、作家の新しい解釈、発想を楽しめる歴史小説。そんな世界を読むことができた喜び。堪能したなあ~と胸を満たしている。
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さくら

2021年03月15日 | 日々の暮らしの中で

賀茂川の堤で、ソメイヨシノの開花を発見。


つぼみも膨らみ、色づきが濃くなって。
桜に限らないが、咲きだす前の、待つ楽しみっていいものだ。
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