
その昔
ふたつの山が背比べをしました
伊吹の神が宿る伊吹山と
ふたつの山が背比べをしました
伊吹の神が宿る伊吹山と
浅井姫が棲むという浅井山
ある夜 どうしたことか浅井山の背が急に高くなり
次の朝になると 伊吹山を見下ろしていました
「ゆるしがたし‼」
怒った伊吹の神は浅井姫に切りつけた
怒った伊吹の神は浅井姫に切りつけた
浅井山の頭は切り落とされ、
琵琶湖の中へ転げ落ちた
それが今の竹生島(ちくぶしま)である
琵琶湖の北の方に浮かぶ周囲2㎞の竹生島には
誕生にまつわるこんな言い伝えが残っている
誕生にまつわるこんな言い伝えが残っている
神様同士の争いから生まれた島が
今は、神様と仏さまが共存し
不思議な霊力をもつ島として
信仰を集めている
信仰を集めている


2つの建造物の国宝
1つの書跡等の国宝
建造物、絵画、工芸品・書跡等の17点は重文。
平安、鎌倉、桃山時代と琵琶湖に現存していて、
全部、拝見することはできないけど、
全部、拝見することはできないけど、
そんな島に上陸しました。
まだ紅葉が残ってる、
12月13日でした。

奈良時代、行基さんが開き、
2尺の四天王像を作って安置したという。
2尺の四天王像を作って安置したという。
平安時代中期には、天台の僧の修練の場、
末期には、観音巡礼が盛んになって、
室町時代まで、観音霊場代三十番として、
同時に、地元の弁才天信仰も定着したという。
末期には、観音巡礼が盛んになって、
室町時代まで、観音霊場代三十番として、
同時に、地元の弁才天信仰も定着したという。
長浜汽船に乗って三十分。
港から石段中ほどを右に、

ここが西国30番札所、宝巌寺・ほうごんじ👇
1558年焼失し、焼けた資材は、
秀吉さんの長浜城に運ばれ、
1598年、秀吉さんが亡くなった時、
遺言で、
豊臣秀吉さんの奥方・淀君と秀頼さんが
大阪城から移築したという、
極彩色豊かな、唐門。
秀吉さんの長浜城に運ばれ、
1598年、秀吉さんが亡くなった時、
遺言で、
豊臣秀吉さんの奥方・淀君と秀頼さんが
大阪城から移築したという、
極彩色豊かな、唐門。
御朱印は、さらに上にある
弁才天堂の傍の納経所で頂きます。

2013年からの屋根、彩色の改修工事は、
2020年5月に完成したといいます。
2020年5月に完成したといいます。
当初、桃山時代の趣が、
蘇ったということでしょうか。
蘇ったということでしょうか。






江戸時代の頃には、1300艘の船が、
浮かんでいた琵琶湖
浮かんでいた琵琶湖
この日は、
我らを乗せた汽船と・・船は?
他に見当たらず
竹生島
♪ ちくぶしま♬
本文・参照・竹生島奉賛会
