毒島章一は前述した様に、3割台が2回、0.298の2回を含み0.290台が3回と好調なシーズンには3割前後を打てる打者でした。しかしかなりの高打率と言えるシーズンはありませんでした。その理由としてはパンチ力に今一つ恵まれていないせいかと思います。打撃スタイルは特に目立つ点も欠点もない感のあるオーソドックスな印象がありました。かと言って入団数年後以降の張本勲や篠塚和典の様な各方向に安打を飛ばすタイプでもなく、所謂柔軟性にはやや欠ける様な記憶があります。又スイングスピードに関しても、当時の好打者と言われる打者の内、多くがそうである様に、毒島も又決して速い方ではなかったかと記憶しています。毒島章一を語る時、絶対に欠かせないのが三塁打に関する事かと思います。通算三塁打数が福本豊に次ぐ2位の106本、シーズントップが4回と素晴らしい記録を残しています。多分昭和40年代に入った頃から、当時トップだった金田正泰の三塁打の記録103本を更新出来るかどうか、それなりに騒がれ始めたと思います。
名球会は入会の資格として日米通算記録を認めています。この決定自体にはもの凄く反対ですが、はっきりとした指針は定められていると思います。殿堂入りも日米通算記録を認めるかどうかの時期に来ていると思います。名球会の様な数字が基準ではないのだから、各投票者の自主性に任せるべきという意見もあろうかと思います。しかし殿堂入りの対象となる5年経過をどう判断するかに就いて疑問が湧いて来ます。日本の殿堂では、多分候補として挙げられるであろう、メジャーリーグを最後に引退宣言した野茂英雄と松井秀喜の引退の時期をいつと捉えるかです。日米通算記録を認めるならメジャーリーグでの引退時期であろうし、そうでなければメジャーリーグに移籍した時点になります。但し、メジャーリーグに移籍した時点と定めると、松井稼頭央、井川慶、福留孝介等メジャーリーグで5年以上経て日本に戻って来る選手も存在する為、メジャーリーグに移籍した時点では引退とは決めつけられず、後に決める事にはなるかと思います。日本プロ野球での活躍や貢献を殿堂入りに値するかどうかを見るのであれば、野茂英雄は1994年の引退であり、松井秀喜は2002年の引退と言えるかと思います。つまり既に5年は経過している事になります。次回もう少し続けます。
昭和29年から46年まで、東映フライヤーズ一筋に活躍した実働18年の右投左打の外野手です。この選手を知り興味を持つ様になったのは、張本勲が同チームに入団した34年だったと思います。当時小学生だった私は、この選手の名前を知る事により毒島をぶすじまと読む事を知ったものです。又毒島章一が、当時本当に希少価値がある程希な右投左打という点もあり、何か興味を持たざるを得ない選手でありました。更に言えば主力打者には一桁の背番号が多かった時代に、背番号33と比較的投手に多い番号を背負っていた事もあり妙に気になる存在の選手でした。公称179cm、72kgとなっていますが、この数字だと当時の選手としては大きい部類に入るかと思いますが、身長はもっと低い様なイメージを持っていました。かなり長く、張本勲の前の3番を任されており、長打力にはもう一つ欠けるものの好打者というイメージが強いものでした。以前3割1分の壁という題で、打率3割を複数回マークしながらも、シーズンの最高打率が3割1分に満たない選手を何人か紹介して来ましたが、この毒島章一も2回3割をマークしながらも、最高打率が3割1分に満たない打者という事に、今回改めて記録を調べて初めて気付きました。
投手の殿堂入りの基準に触れます。打者と違い投手の環境は、昔と現在で大きく変化しています。ローテーションを3人ないしは4人で賄い、勝ち試合になりそうであると、その内のエース級の投手がリリーフも兼ねる時代は、300イニングを超す投手は毎年何人か見られましたが、先発とリリーフ、はっきりと分業化された現在は200イニングを超える投手の人数も限られています。投手を取り巻く環境が違うので一概には言えませんが、昔の投手が現代の投手より、シーズンにおいて多くのイニング数を投げたのは正しく事実であります。この多く投げた或は投げさせられた事に関しては素直に評価したく思います。さて投手の殿堂入りの基準ですが、200勝以上は十分値すると思いますが、それと同時に相応の投球回数という事で3000イニングを一つの基準の目安として考えたく思います。少し調べましたが、3000イニング以上を投げながら200勝に達していない投手は4名いますが、最も勝利数の少ない投手、足立光宏でも187勝を挙げています。逆に200勝以上勝ちながらも投球回数が3000イニングに満たない投手は2名おり、丁度200勝の藤本英雄の2628.1イニングです。勝ち負けは味方の援護力も影響する為、平均200イニング投げて15年で達する3000イニング、一つの基準として考えてもいいかと思っています。
殿堂入りはその性質上、明確な数字の基準を儲けるのは困難かと思いますが、メジャーリーグの様に一応の目安となる基準はあって然るべきかと思います。実働年数に関しては以前書きました様に、最低でも12年以上出来れば15年以上が望ましく思いますが、7年で200勝を達成した稲尾和久や9年で同じく200勝を達成した金田正一の様な場合、もしその年数に足りずとも殿堂入りの資格はありと考えます。次に基準となる数字ですが、是非設けて欲しく思います。その基準は決して一過性の記録重視ではなく、通算の数字をメインに考えるべきと思います。打者の場合、積み重ねの記録では、通算で2500安打、500本塁打、1500打点の内一つでもクリアしていれば十分資格はあろうかと思います。率の記録、打率の場合、あくまでも一般的ですが打数が少ない程、高打率を残せる傾向にあるため、通算で3割をマークしていたとしても、最低でも6000打数以上、つまり1800安打以上を放っている選手に限定したく思います。
名球会という団体があります。この入会資格は日米通算成績を含めていながらも、数字にあります。発足当初の会員をを除けば、この団体が後に数字の基準を下げでもしない限り、現役時代に入会という事になります。数字の基準が明確にある為、人気があるとか記憶に残るとか、或は惜しまれながら現役生活を終えたとか、あらゆる主観的要素は一切入りません。又任意の団体の為、入退会の自由もあります。一方殿堂入り、プレーヤー部門に関しては、顕著な活躍をした人物に対してその功績を称える為とあり、対象者は満65歳以上と故人を除き引退後5年以上を経過した選手となります。殿堂入りを拒否した人物は、現在の所いないようでありますが、以前の規定、監督やコーチ在任期間は除かれた為もあり、かなり高齢になってからや、梶本隆夫や皆川睦雄等没後殿堂入りした選手も存在しています。選出委員が30人の候補を選ぶのですが、少なくとも引退後5年以上であれば、元選手の全てが一応対象者となる様に、残した実績や年数等、客観的要素は入っておりません。名球会の日米合算を認めるとかセーブ数が妥当かどうかとか、疑問を感じるものはありますが、基準がはっきりとしているのは間違いなく名球会かと思います。
歴代通算勝利数のベスト4の投手、昭和時代の300勝投手、金田正一は19年、米田哲也は23年、小山正明は26年、鈴木啓示は17年、同じく通算本塁打数のベスト4の打者、王貞治は14年、野村克也は9年、門田博光は14年、山本浩二は22年、いずれの数字も引退から殿堂入りまでに要した年数です。門田博光以外は監督なりコーチの経験があり、その在任期間はカウントされない為、多くの年数を要したかと思います。但し野村克也はヤクルトの監督に就任する前に殿堂入りしています。上記の選手は皆殿堂入りに相応しい実績を残していたと思いますが、以前の規定の為想像以上の年数が殿堂入りにかかったと思います。この規定の為と思われますが、実績的に差がなく殿堂入りの価値が十分あると思われる選手間でも、引退年度から追っていくと、殿堂入りの順番がかなり異なっている例はもの凄く多く見られました。この規定により以前紹介の大沢啓二、土橋正幸、権藤博の3人に関しては、殿堂入りに値するかどうかは別の話として、結論がかなり伸び伸びになっている様な気がしてなりません。2007年の改訂により、今後はこの様なケースは減るかと思いますが、何か釈然としない規定だった様に思えてなりません。