昭和29年から46年まで、東映フライヤーズ一筋に活躍した実働18年の右投左打の外野手です。この選手を知り興味を持つ様になったのは、張本勲が同チームに入団した34年だったと思います。当時小学生だった私は、この選手の名前を知る事により毒島をぶすじまと読む事を知ったものです。又毒島章一が、当時本当に希少価値がある程希な右投左打という点もあり、何か興味を持たざるを得ない選手でありました。更に言えば主力打者には一桁の背番号が多かった時代に、背番号33と比較的投手に多い番号を背負っていた事もあり妙に気になる存在の選手でした。公称179cm、72kgとなっていますが、この数字だと当時の選手としては大きい部類に入るかと思いますが、身長はもっと低い様なイメージを持っていました。かなり長く、張本勲の前の3番を任されており、長打力にはもう一つ欠けるものの好打者というイメージが強いものでした。以前3割1分の壁という題で、打率3割を複数回マークしながらも、シーズンの最高打率が3割1分に満たない選手を何人か紹介して来ましたが、この毒島章一も2回3割をマークしながらも、最高打率が3割1分に満たない打者という事に、今回改めて記録を調べて初めて気付きました。