トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

初観測と疑わなかったのに・・・

2021-12-10 | 小父のお隣さん
 帰宅前にトンボの確認を済ますべくトンボ池に向かった。遠目にも池の半分が濁っているのが見えた。水面も何となく揺れても居る様子だったのだが気にもしないで畔の近くまで行った時に双方で気が付いたのだ。視線もあったような感覚だったけれど相手方は飛び立つ事もせず距離を取るべく泳ぎ体の側面を見せて警戒している。三匹いたのだった。

 ミソハギの枯れ屏風を挟み視認できた時、横顔が歌舞伎の巌窟王だったか大きく茶色の隈取している風に見えた。今まで見た事も無い顔立ちでそれも複数いて逃げない。当然激写となったのだが、ランクの良いバカチョンカメラ2台は不具合で使えず、修理するより新品の方が安いと判り棚晒しで、代わりに携行していたバカチョンカメラは古い廉価モデルだったからズームしても写真の通りだった。

 帰宅し早速、図鑑対照してみてがっかりした。「なんだコガモではないか!」。既に夏ごろ一羽が何日か飛来していたし、今期の集団飛来は無いけれど今まででは夜間に十数羽が飛来して水草などを食べていたのは承知だった。それでも裸眼で顔の色どりを見たのは初なので、これはこれで万歳三匹⁉。意外にカラフルだ、というのが印象であるがまあ、どうでもよい事かぁ。

     

*今日の一句「望郷」

2021-12-10 | 感じるままの回り道
                雪だより里居たころも溢れ来る

ハッ声粛々 昼 唐鍬を揮う

2021-12-10 | 今日は真面目に
 懲りない小生と言うべきか、もって生まれた業や性根と言うべきか辺縁部のコブを崩し低くて刈り払いの足元と刃先にストレスだった凹凸を均し終えたのだが、そうなると二カ所の粗朶山が邪魔な存在でしかなくなった。「これを片付ければ更に平坦部が増える!」と性懲りもなく一念発起し粗朶山を更に奥まった窪地に集積したのだ。
 切りそろえていない枝ばかりなので大きさも形状も千差万別の粗朶山は抜き取るにも運ぶにも危なくてしょうもない。フェースガードを装着しての作業になった。

 小春日和のこの日、ボチボチと独り作業でも汗ばんでくる。それだけやれば始末が付くというもので片付けが済んだのだった。そうなると空いた部分の窪みが差し障って見えてくる。もともとが溝のあった部分で、ここに除伐竹を集積していたのだったが年月を経てあらかた腐植質に変わっている。それでも埋もれている部分からは造林鎌を使い探れば形状を保ったままの稈がぞろぞろと出て来るのだった。

  ➡    ➡   辺縁部境界への昇降路として使っていた斜面も南北に段々を設えて廃道として法面下に平坦部を広げた。

  ➡   南寄りの窪みに集積した粗朶や竹を撤去し窪みに土を削り入れ平坦部を広げた。


        
 出来た平坦部は樹列の右側幅約3m、長さ50メートルを超える。我ながら「良くやった!」と禿げ頭をなでなでしてみても嬉しくとも何ともない。さすがに10日ほどの作業を続けたらくたびれ果ててドリンク剤を飲もうと帰路、自販機に立ち寄ったが小銭も千円札も無くて買えない。「ハッ!、ハッ!」と丹田に力を籠め土を崩し均し「ハァ、ハァ」するに至っても財布を覗いて「はぁっ⁉」となる顛末を顧みると、努力しても報われないのが人生だった・・・。栄枯盛衰が身に沁みて来る。

 右や左の旦那様、ゴ新造様でもお局様でも良いけれどドリンク1本お恵みください。この哀れな姥捨て山の孤爺に…なんちゃって、てなもんや三度笠。まあ、つらつら考えなくても姥捨て山住人には食料を与えてはならないのが定めで掟、欲しければ自分で賄う、これを破れば「村八分」だがそもそも姥捨て山には村が無いが群れは居るのだった。