トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

出箱の亀さん、再登場!

2017-06-11 | 小父のお隣さん
  箱メガネを作った     貝と魚を覗く。貝は左隅に4枚見える

 イソヒヨドリを巣立ちまで覗いて一段落。出箱も片づけてしまったが池のタナゴの産卵はこれからがシーズンだ。昨年と異なり、縄張りを激しく主張するオスが居なくなったせいか二枚貝に集まるタナゴの様子もフレンドリーになっている。
 昨年と異なる点の二つ目は水底が綺麗になり砂泥が顕わになっている事だ。貝の移動も活発で見た目には水中環境は良好に思える。

 二枚貝には植物性乳酸菌飲料や「えひめAI」の澱を投与して、魚にはアカムシキューブやイモリなどの人工飼料を投与するのだが、餌には寄ってきても昨季の様にヒーリングフイッシュにはなってくれていない。
 それはともかく夕方の給餌時、メダカやタナゴが餌に群がるのに遅れてドジョウも姿を見せるようになった。これが丸々と太って親指大の胴体を持っている個体ばかりなのである。餌を摂るのに浮遊はせず水底を移動していくだけだが、このドジョウの役割は二枚貝の生息する泥砂層を攪拌してもらう事にあるから図体が大きければ、そのパワーも大きかろう。

 それを箱メガネで覗き見していると、やぶ蚊に群がられる事など忘れて見入ってしまう。例えれば孫悟空を手のひらの上で遊ばせたお釈迦様の眼差しに少しだけ近づいたかのような気分…。
 池ではタナゴの繁殖が第一目標だが、ドジョウも二枚貝も繁殖を期待している。メダカ、モエビ、カワニナ、トンボなどは繁殖しているので小生的には更に完璧な小宇宙を目指しているが、さてどうなるか。

 タナゴの二歳魚は産卵管など出していないものの二枚貝に集まっては散っていく事を繰り返している。「メダカの学校」と言う歌があるけれど、タナゴの幼魚も低層・中層をメダカに勝る群れで俊敏に泳ぐ。これがまた美しいのである。
 まあ、健全な生命活動は全て美しいものだけれど、「出箱の亀さん」は佇み石の上で土下座して覗いているので美しくは無い。名前からしてそうだし…。爺我自賛ならぬ爺我悲惨である。

ミッションインポッシブル Ⅲ

2017-06-11 | 小人閑居して憮然
 三日月池の周囲を刈り払った。シーズン中に数回行う刈り払いでもあるのだが、今回は「ウシガエル捕獲作戦」の準備作業である。
 池の端が草茫茫では足元も分からず、ウシガエルの遁走さえ許してしまいかねない。手で摑まえらるほど鈍足でもないから網を使える環境にもしておきたいからだ。
 この後の作業は、水面下の防鳥網を撤去し水中のシャジクモを引き上げる。ついでに堆積しているであろう落ち葉や泥土の一部を取り除きウシガエルの隠れる部分を限定せねばならない。ここまでやって、ようやく水抜き作業が出来るのだが、助っ人課業の日程と降雨予報と見比べながら予定を立てねばならず、動かせない予定が入ると活動は苦しくなる一方だ。

 「首を切ります」と言う嬉しい一報が入って欲しいなあ…と思うものの悲しいかな、この国では弱者の思いなど届かず、ウシガエルにも手が届かず、「届かず」の連鎖はとどのつまりお爺の作業詰まり気味…。穴を捲りたいのだがぴちぴちではなくなったし、便秘でもなくビチビチでもなくて、要は「何ともならん」難題、まあ、つまらん言葉遊びの暇人ではあるが捕獲できれば「ウシシ…」間違いなし。
 人生、ささやかな喜びや達成感は必要だ。

お代わり二杯

2017-06-11 | 感じるままの回り道
 カブトムシ、育成槽に幼虫が見られるが蛹化する気配が無い。周辺の農作物の出来具合を聞くとおおむね遅れているので蛹化も遅れ気味なのかもしれないと思いつつ、終齢幼虫への食糧を一輪車二杯投入した。

 昨年の晩秋に林道で落葉掻きをし集積していた落葉である。既に半年が経過し堆肥には早いけれど幼虫の食料には最適な状態であろう。落葉掻きが終わり集積する際に油粕を混入させ、上から「えひめAI」を散布しておいた落葉だから「美味しいお代わり」になってくれた事を願う。

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