箱メガネを作った 貝と魚を覗く。貝は左隅に4枚見える
イソヒヨドリを巣立ちまで覗いて一段落。出箱も片づけてしまったが池のタナゴの産卵はこれからがシーズンだ。昨年と異なり、縄張りを激しく主張するオスが居なくなったせいか二枚貝に集まるタナゴの様子もフレンドリーになっている。
昨年と異なる点の二つ目は水底が綺麗になり砂泥が顕わになっている事だ。貝の移動も活発で見た目には水中環境は良好に思える。
二枚貝には植物性乳酸菌飲料や「えひめAI」の澱を投与して、魚にはアカムシキューブやイモリなどの人工飼料を投与するのだが、餌には寄ってきても昨季の様にヒーリングフイッシュにはなってくれていない。
それはともかく夕方の給餌時、メダカやタナゴが餌に群がるのに遅れてドジョウも姿を見せるようになった。これが丸々と太って親指大の胴体を持っている個体ばかりなのである。餌を摂るのに浮遊はせず水底を移動していくだけだが、このドジョウの役割は二枚貝の生息する泥砂層を攪拌してもらう事にあるから図体が大きければ、そのパワーも大きかろう。
それを箱メガネで覗き見していると、やぶ蚊に群がられる事など忘れて見入ってしまう。例えれば孫悟空を手のひらの上で遊ばせたお釈迦様の眼差しに少しだけ近づいたかのような気分…。
池ではタナゴの繁殖が第一目標だが、ドジョウも二枚貝も繁殖を期待している。メダカ、モエビ、カワニナ、トンボなどは繁殖しているので小生的には更に完璧な小宇宙を目指しているが、さてどうなるか。
タナゴの二歳魚は産卵管など出していないものの二枚貝に集まっては散っていく事を繰り返している。「メダカの学校」と言う歌があるけれど、タナゴの幼魚も低層・中層をメダカに勝る群れで俊敏に泳ぐ。これがまた美しいのである。
まあ、健全な生命活動は全て美しいものだけれど、「出箱の亀さん」は佇み石の上で土下座して覗いているので美しくは無い。名前からしてそうだし…。爺我自賛ならぬ爺我悲惨である。
イソヒヨドリを巣立ちまで覗いて一段落。出箱も片づけてしまったが池のタナゴの産卵はこれからがシーズンだ。昨年と異なり、縄張りを激しく主張するオスが居なくなったせいか二枚貝に集まるタナゴの様子もフレンドリーになっている。
昨年と異なる点の二つ目は水底が綺麗になり砂泥が顕わになっている事だ。貝の移動も活発で見た目には水中環境は良好に思える。
二枚貝には植物性乳酸菌飲料や「えひめAI」の澱を投与して、魚にはアカムシキューブやイモリなどの人工飼料を投与するのだが、餌には寄ってきても昨季の様にヒーリングフイッシュにはなってくれていない。
それはともかく夕方の給餌時、メダカやタナゴが餌に群がるのに遅れてドジョウも姿を見せるようになった。これが丸々と太って親指大の胴体を持っている個体ばかりなのである。餌を摂るのに浮遊はせず水底を移動していくだけだが、このドジョウの役割は二枚貝の生息する泥砂層を攪拌してもらう事にあるから図体が大きければ、そのパワーも大きかろう。
それを箱メガネで覗き見していると、やぶ蚊に群がられる事など忘れて見入ってしまう。例えれば孫悟空を手のひらの上で遊ばせたお釈迦様の眼差しに少しだけ近づいたかのような気分…。
池ではタナゴの繁殖が第一目標だが、ドジョウも二枚貝も繁殖を期待している。メダカ、モエビ、カワニナ、トンボなどは繁殖しているので小生的には更に完璧な小宇宙を目指しているが、さてどうなるか。
タナゴの二歳魚は産卵管など出していないものの二枚貝に集まっては散っていく事を繰り返している。「メダカの学校」と言う歌があるけれど、タナゴの幼魚も低層・中層をメダカに勝る群れで俊敏に泳ぐ。これがまた美しいのである。
まあ、健全な生命活動は全て美しいものだけれど、「出箱の亀さん」は佇み石の上で土下座して覗いているので美しくは無い。名前からしてそうだし…。爺我自賛ならぬ爺我悲惨である。