トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

柿の木の仕立て直し

2017-06-02 | 小人閑居して憮然
 突端平地に植えた四つ溝柿の樹形が定まらない。果実がなると猪に枝ごと折られ、はてまた幹から折られ一向に育たない。

 業を煮やし果樹としての樹形作りを諦め直幹仕立てにすることにした。落葉期ではないから剪定時期でないのだが半分は焼け糞である。一応、手が届く高さまでは枝を出さずに全て切り落とした。若葉は美しいし蕾も見える枝を落とすのは忍びないけれど、残して猪に幹さら折られるよりはましだろう。
 美しい若葉を捨て去るのも惜しく「柿の葉茶」でも作ってみようと思ったのだが、野暮用の準備もあって、しばらくは余計なことは遠ざけねば…。

久しぶりの里親日記…賛従支

2017-06-02 | 感じるままの回り道
 これだけの成長差が出た

 3月10日頃に産卵されたであろうトウキョウサンショウウオの里親になり、孵化したての頃は250匹いた幼生も、12週を経過した現在42匹に減少してしまった。
 前回も産卵地に送り返すまでに、たしか7~8割程度に数を減らしていたが、今回は大幅な減少となった。共食いは毎回多少あるのだが、今回はそれに加え死亡する個体が目立ったのも数を減らした大きな要因に違いない。

 成長の度合いを見守りつつ、水替えや給餌を絶やさなくても成長発達に大きな差が見られるのは何とも不可解と思っていたのが、今回は少しばかり異なる視点で見られるようになった。
 一般に「弱肉強食」とか「食物連鎖」とか「生存競争」などの熟語で表現する事の多い「喰いつ喰われつ」の表現を「待てよ?…」と疑問に思えたのである。それは種の存続を保障する他種も含めた大きな生命体の維持機構に他ならないポジティブな法則「結い」に由るのだろうと思い至ったからだ。

 トウキョウサンショウウオの産卵は小さな水溜りに卵胞数個、卵数数百単位で産んでいたのを生息地で見てきた。当然孵化後の餌は不足する環境で、生き延びるためには「共食い前提」でなければ種の存続は無い。同胞でも同胞でなくとも、自らが他者の命に組み込まれる事で種と生態系を維持する事が出来る。餌とか食料とかの表現は不適切だ。

 あのアニメ「三銃士」の合言葉「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と言う様な事が遺伝子に組み込まれているに違いない。決して「弱肉強食」とか「食物連鎖」とか言う様な短い時間軸や一世代だけでは無い、連綿と続く生命と種の保険と知恵なのだろう。

 そう思って振り返ると、これとはまったく逆の方向に逸脱したのが我ら人類なのであろう。束の間の繁栄、と言うところか…。
 表題は「賛従死」と表記したかったのだが、いかにも危険思想風で賛同できかね断念した。
 まあ、残念ではあるが、とどのつまり全ては果てしも無い宇宙、虚無の世界に戻るのに現世を虚無とする「ドンドンパンパン」は虫けらにも劣る。