拠点のグミが大きくなり過ぎ、防鳥網を掛けにくくなったため萌芽更新したのが3年前である。活動を始めた当初数年だけグミを味わう事が出来たが、ヒヨドリに知られてからは口に入る赤い実は皆無になった。
そこでツルグミでも失敗していた防鳥網を掛けたものの、ヒヨドリの方が何枚も上手で、少しの隙間からでも侵入してしまう。見つかれば侵入口からまんまと逃げてしまうのだ。現在、三日月池の水面下にウシガエル捕獲のための防鳥網も、こんな有様でウシガエルは上と下を使い分けている始末で血圧を上がらされる。
それはともかくとして、あれほど先んじて食べられていた熟した実が今期は被害を受けていないのだ。お蔭で爺様3人で群がり食べる事が出来た。しかしながら、ほどなく結実は知れ渡り、また食えないシーズンが続くのだろう。
ここで判明した事は「ヒヨドリは3年目まで記憶が続かん」と言う事で、科学的根拠や解明はどうでも、爺様三人の意見は一致したのだ。まあ「三人寄れば文殊の知恵」と言うし、ヨレヨレ3人でも真理の一端には接近しただろうし、おっつけヒヨドリも接近するだろうし、そうなれば寄り鳥見採りの日和りに戻ってしまうのは確実。
グミは少年期の記憶に連なる果樹で、自宅近くのグミを熟期になると夜陰に紛れてむさぼり喰ったものだ。おやつなど無縁の生活だったから、こんな果樹でもご馳走の部類に入る。食べ過ぎて渋が舌苔のようになり舌が割れた事を記憶しているが、便秘になったかどうかは記憶にない。
想えば「ばっかり食」は普通で「芋ばっかり」「カボチャばっかり」とうんざりする余裕すらなかったものの「スイカばっかり」や「プリンスメロンばっかり」好きなだけ喰えたのは懐かしい。今では「一切れ」でお終いなので、まあなにか、どっちが豊かなのか耄碌して判断がつかぬ…。
そこでツルグミでも失敗していた防鳥網を掛けたものの、ヒヨドリの方が何枚も上手で、少しの隙間からでも侵入してしまう。見つかれば侵入口からまんまと逃げてしまうのだ。現在、三日月池の水面下にウシガエル捕獲のための防鳥網も、こんな有様でウシガエルは上と下を使い分けている始末で血圧を上がらされる。
それはともかくとして、あれほど先んじて食べられていた熟した実が今期は被害を受けていないのだ。お蔭で爺様3人で群がり食べる事が出来た。しかしながら、ほどなく結実は知れ渡り、また食えないシーズンが続くのだろう。
ここで判明した事は「ヒヨドリは3年目まで記憶が続かん」と言う事で、科学的根拠や解明はどうでも、爺様三人の意見は一致したのだ。まあ「三人寄れば文殊の知恵」と言うし、ヨレヨレ3人でも真理の一端には接近しただろうし、おっつけヒヨドリも接近するだろうし、そうなれば寄り鳥見採りの日和りに戻ってしまうのは確実。
グミは少年期の記憶に連なる果樹で、自宅近くのグミを熟期になると夜陰に紛れてむさぼり喰ったものだ。おやつなど無縁の生活だったから、こんな果樹でもご馳走の部類に入る。食べ過ぎて渋が舌苔のようになり舌が割れた事を記憶しているが、便秘になったかどうかは記憶にない。
想えば「ばっかり食」は普通で「芋ばっかり」「カボチャばっかり」とうんざりする余裕すらなかったものの「スイカばっかり」や「プリンスメロンばっかり」好きなだけ喰えたのは懐かしい。今では「一切れ」でお終いなので、まあなにか、どっちが豊かなのか耄碌して判断がつかぬ…。