とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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ミャンマー大冒険(34)

2006年01月21日 20時29分56秒 | 旅(海外・国内)
3バカトリオは私のTさんを愚弄しただけでなく、セコくて、どうしようもない奴らだった。

暫くしてスチールのアングルを使って四角いフレームで組み立ててた棚のようなものを前後にぶら下げた天秤棒を担いで若い男がやってきた。
「あれあれ。あれがモヒンガー売りですよ」
と3バカトリオに負けずにTさんが解説してくれた。
モヒンガーはミャンマーうどんと表現したらいいのかラーメンと呼べばいいのかわからないが、つまりミャンマーの麺料理で、私はチャンスがなくまだ食べたことがない。
彼が担いでいる天秤棒の一方の棚には七輪と壺の形をした金属製の鍋が載っており、もう片方の棚には丼や具、調味料入れが載っていた。

3人はこのモヒンガー売りの兄ちゃんを呼び止め、モヒンガーを注文した。
働きもしていないのに金を持っているとは大したもんだ。
これではまるで日本のニートと同じではないか。
モヒンガー売りの兄ちゃんは3人の前で天秤を下ろし、注文に応じてモヒンガーを三杯作った。
こういうとき、落語であれば客とモヒンガー売りの兄ちゃんとのあいだで会話が交わされなければならない。
しかしガラの悪い3人はモヒンガー売りの兄ちゃんなのぞ存在しないかのように一心不乱に食べていた。
モヒンガー売りの兄ちゃんは暫くしゃがみ込んで客が食べ終るのを待ち続けていたが、ちょっと時間がかかりそうだと思ったのか、空の鍋を持ってどこかへ行った。

「あ~、あの人たちスープ盗んでる!」

とTさんが日本語で小さく叫んだ。
あの3バカトリオは店の主人が留守にしているのを良いことに、スープの入った鍋からお玉でスープをすくい自分たちの丼へ少しづつ失敬しているのだ。
なんてやつらだ。
そこへ水をもらって店主の兄ちゃんが戻ってきたのであるが、スープ盗難にはまったく気づくことなく空になった3バカの丼を回収し、バケツで丼を洗って立ち去ったのだった。

同じような年格好の兄ちゃんがモヒンガーを行商しながらしっかり働いているのに、あいつらはなんとも考えないのだろうか。
と、それをただただ遠望している私もTさんも同罪のような気がしないでもないが。

ともかく働かざるもの食うべからず、というのはここミャンマーでも同じはずなので、あの3人は是非とも反政府ゲリラと命がけで戦っている軍隊にでも入れて鍛えていただきたいと考えていた。が、そのときふと、
「あ!私もモヒンガーを食べれば良かった!」
と兄ちゃんがどこかへ行ってしまってからモヒンガーを食べるチャンスを逃したことに気づいた私なのであった。

ヤンゴンへ向かう列車は私の予想通り、だいたい30分から40分間隔にここタッコン駅を通り過ぎた。
その間、あの3バカを観察していたのであるが、さすがに相手がアホであるだけに、観察してもまったくためにならず、新しいものも発見することもままならず次第に飽きてしまった。

3人に飽きて別の方向をずっと停車し続けている車窓から眺めると、線路脇に積まれたニッパヤシを編んだムシロのようなものを荷馬車に積み込んでいるオッサンの姿が目にとまった。
このムシロのようなものは住居の屋根を葺く材料なのだ。
オッサンは汗を流しながら荷馬車に山のようにニッパヤシのムシロを積んでいく。
その馬車を引く馬は日本の馬と同じように身体が小さい。
一瞬「........ロバかな?」と思ったが、やはり馬のようだ。

ミャンマーは服装やお寺の恰好こそ違え、文化や風習は日本と似ているところが少なくなく、さらに人となると身体の大きさはともかく日本人と非常に良く似ている。
人が似ていると馬まで似てくるのだろうか。

ともかく、その小さな馬が自分の体格の10倍も20倍もありそうな荷馬車を引かされるのだ。
きっと馬1頭といいながら、身体のサイズからして1馬力はないのではなかろうか。
お気の毒としか言いようがない。
このお気の毒な馬の周りを、放し飼いの黒ブタがブイブイ鼻を鳴らし、雑草や土の匂いを嗅ぎながら歩いていた。
このブタと馬の関係は飼い犬と猫の関係に似ていると言えなくもない。
しかし、馬は飼い犬と同じかも知れないが、ブタは猫と異なりやがて人に食われる運命にあり、そういう過酷な極刑が待ち受けていることもツユ知らず馬をバカにするように地面をかぎ回るブタもまたお気の毒としか言いようがない。

「........豚カツ食べたい........」
黒豚を見て思わず呟く私であった。

しかし、ここで良く観察してみると馬はかなり大胆な行動をしていたのだ。
それは、今まさに自分が繋がれている荷台に乗せられているニッパヤシのムシロを、美味そうに食べている姿だったのだ。
商品を食べるというのは主人に対する馬のささやかな抵抗なのか、それともただ単に腹が減っているだけなのか。
それにしても実にシニカルな光景だったのだ。

つづく

もっと!イグ・ノーベル賞

2006年01月20日 21時26分38秒 | 書評
「ニワトリが見た目の美しさで人間を選ぶことの実証」
「片方の鼻の穴が詰まっていると脳の働きが良くなることの証明」
「足の臭いの原因物質の解明」
「カラオケの発明」
「進化論を学校教育で教えることを取り止めたアメリカの2つの州」

「んな、アホな」「ホンマかいな」「ウソでしょう」
というような笑ったあとに「な~るほど」と感心してしまう研究や商品開発など、著しい功績があったと認められる人に贈られる裏ノーベル賞。
「イグ・ノーベル賞」
変なもの大好きな私として、これほど自分の嗜好に合った本はなかった。

本書は毎年秋にアメリカのハーバード大学で授賞式が行われる「イグ・ノーベル賞」の受賞内容から、とくに優れたもの(?)、ユニークなもの(?)、人類のためになるもの(?)をピックアップして賞創設者自らが紹介した快作だ。

イグ・ノーベル賞は雑誌「ユーモア科学研究ジャーナル」が自薦他薦にこだわらず一年間に応募のあった研究活動や社会活動、事物などからとりわけユニークなものを選出している、ある意味「権威ある」賞なのだ。
しかも授賞式のプレゼンターは本物のノーベル賞受賞者であり、式場がハーバード大学なら、後日行なわれる特別セミナーは、これまた権威あるマサチューセッツ工科大学で開かれるという凝りようなのだ。

私はこのユニークな賞について、これまでちょこっとながら耳にしたことはあったものの、その概要について知りえたのは、今回本書に出会ったおかげだということができる。

驚くことに、本物のノーベル賞以上に、本賞の受賞者には日本人の多いことだ。(率として)
昨年(2005年)はかの有名なドクター中松が受賞している。
研究対象は過去三十数年に渡り、自分の食事を総て写真に納め記録してきたことで、はっきり言って「それがどうした?!」というような内容なのだ。
他にどういう日本人が受賞しているかというと、たまごっちを開発したバンダイ関係者。
犬とのコミュニケーションを可能にしたバウリンガルを開発したタカラ関係者。
自分の足が臭いという人の足は本当に臭いというセオリーを証明した資生堂関係者、などなどである。

なかでも最も感動的なのはカラオケを開発した兵庫県在住の井上大祐氏へのイグ・ノーベル平和賞の授賞式にまつわる話で、この時はイグ・ノーベル史上最高の盛り上がりを見せたのだという。
「人々が互いに寛容になることを促した発明」として受賞したカラオケの開発者である氏が式台へ上がると、会場を埋め尽くした聴衆からの賛辞の声が鳴り止まず、氏がスピーチで「歌を歌いましょう」というと、聴衆が一体になって合唱したという。
しかも、騒ぎはそれだけでは収まらず、みんなが歌い終った後、プレゼンターとして来賓していた本物のノーベル賞受賞者たちが氏のために歌い出すというハプニングまで発生し、大いに盛り上がったのだという。

井上大祐氏がゴルバチョフやレーニン、昭和天皇、ビル・ゲイツなどと共にタイム誌が選び出した20世紀を変えた人物の一人であるのだとは、本書を読むまで私はまったく知らなかったのだ。

ともかく、とかく政治利用の傾向がある本物のノーベル賞と異なり、素朴で、笑えて、感心する。
そんな素晴らしい「イグ・ノーベル賞」に賛辞を贈りたくなる一冊だ。

~「もっと!イグ・ノーベル賞」マーク・エイブラハイム著 福嶋俊造訳 ランダムハウス講談社刊~

キングコング

2006年01月19日 20時38分19秒 | 映画評論
♪大きな山をひとまたぎ、
♪キングーコングがやって来る。怖くなんかないんだよ~。
♪キングーコングは友達さ。

アメリカのテレビアニメ「キングコング」のテーマソングは確かこんな歌詞だったように記憶する。
エピソードはほとんど覚えておらず、「スーパーマン」や「出て来いシャザーン」なんかと同じ会社が製作していたのではないか、ということはかろうじて覚えている。
ともかくキングコングといえばこのテレビアニメとSFブームの時にリメイクされたジョン・ギラーミン監督の「キングコング」ぐらいで、私の中の印象は総じて低い。

とりわけジョン・ギラーミン作品は当時の特殊効果技術の粋を集めて作られていたはずではあるが、期待ほどのものではなく、今は亡きNYのワールドトレードセンター・ツインタワーの上でキングコングがジェット戦闘機片手に大口開けて叫んでいる宣伝ポスターだけがやたらと記憶に残っている。

そもそもこのときは「精巧なロボットのキングコングを作って撮影しました」と公開前に種明かしをしてしまったものだから、映画そのものがドッチラケすることになってしまい、お気の毒としか言いようがない状況になった。

あれから30年。
キングコングは素晴らしいエンタテーメント作品として蘇ってきた。
もちろん、
♪キングーコングは友達、だったが、怖かった。

まずピーター・ジャクソンが監督した今回の2005年度版キングコングを是非観てみたいという人は以下の条件が必要であることを確認しておきたい。

1.スピルバーグの「ジュラシックパーク」を見ていて劇場から逃げ出したくなったことがある。
2.ベッドに入る直前に部屋でゴキブリを見つけると退治するまで眠る事ができない。
3.高所恐怖症である。
4.動物園や水族館は大嫌いだ。
5.痔持ちである。

以上、5項目に当てはまる人は最低でも劇場での観賞を避けて半年後にビデオになってから観賞することをおすすめしたい。

ともかく全編創意工夫を凝らしたアクションと特撮で、息つく暇もないくらい面白い映画なのだ。
登場するキングコングや恐竜の動きが素晴らしい。
巨大昆虫や巨大ヒルなどはリアルで恐ろしく、そしてチョー気持ち悪い。
中盤の「ドクロ島」の場面は全編がおどろおどろしく、よくもこんな映像を作ったな、と感心させられることしきりである。

しかし特殊効果で目を見張るものはなんといっても1930年代のNYの街並みだ。
クラシックカーが走り回り、トロリー(路面電車)が行き来するNYはリアルでまさにメトロポリスの名前に相応しい姿のなのだ。
エンパイヤステートビルの高層感は高さ3mでもビビってしまう私には、十分過ぎる以上の迫力だった。
「めぐり逢えたら Sleepless in Seattle」でメグ・ライアンとトム・ハンクスが出会うロマンチックな場所と同じところだとは、とても想像できない迫力なのだ。

そしてそして、あらゆる特撮の中で最も優れたものがキングコングの表情だろう。

21世紀のデジタル技術をして初めて完成された「キングコング」は3時間という超ロング上映時間にも関わらず、観客に時間の長さを忘れさせる驚くべき力量を備えた、最上のエンタテーメントに仕上がっていたのだった。
ともかくもう一度見たいと思わせる映画ではあるが、虫や恐竜が気持ち悪いし、摩天楼の高さが怖いので私はDVDになったら小さなデータに変換してiPodの画面で楽しみたいと考えている。

なお、キングコングの手に握られて振り回されていたヒロインが「どうしてゲロを上げたりせず、むち打ち症にもならないんだろう?」という疑問には、この際目をつむりたいと考えている。

~「キングコング」2005年作 ユニバーサル映画 UIP配給~

ミャンマー大冒険(33)

2006年01月18日 20時22分46秒 | 旅(海外・国内)
買い食いも一段落すると、なにもすることがなくなってしまった。
ガキ共と遊んでみようかな、と大の大人の私が子供と遊ぼうと思い写真を撮ったところ行ってみたが、みんな遊びに行ったか学校へでも行ったのか姿を見かけなかった。
だからといって本を読む気もしないので、ぼんやりと車窓から駅の風景を眺めていた。

私たちの車両のすぐ前の腰かけに若い男が3人座っていた。
「なにしとるんやろ、こいつら」
と思っていたら、Tさんに私の心の声が聞えたのか、
「ああやって働かずに昼間から遊んでいる人たちがいるんです」
と説明してくれた。
3人の男どもは何もせずにひがなおしゃべりに熱中しているのだ。
おまえらは団地の公園で井戸端会議に励んでいるオバハンか。

むかしヤンキーの兄ちゃん(関西弁で「突っ張っているやや不良の少年少女」の意)がサンダル履いてウンコ座りしてだべっていたのと同じような格好だ。
ただティーンエイジのヤンキーの兄ちゃんと違うのは、彼らの年齢がどうみても二十歳代前半か半ばという「高齢」と思われることだ。
ええ年こいて働きもしていないのだ。

その彼らが私たちの方を向いて何か大声で言った。
卑しい笑みを浮かべて何か言っているのだ。
Tさんが突然身体を引っ込めて座席で小さくなった。
「どうしたんです?あいつら何言ったんです?」
「.....言いたくありません」
Tさんが怒っている。
だいたい見当がつく。
あのアホ共はたぶんTさんにいわゆる「セクハラ」的中傷をしたに違いない。
Tさんは外国人の男と席を向かいあって座っているのだから、ああいうアホ共には恰好の遊び材料なのだ。
「だいたい、わかりました。......Tさん、気にせず、放っておきなさい」
私もむかっ腹が立ってきたがケンカを売るわけにもいかない。
困った。腹がって来てどうしようもない。
でも何とか我慢をした。
それとも降りていって日本語でどやしつけたほうが良かったのか。
難しいところだ。

ここミャンマーでは女性は子供からおばちゃんまで小まめに良く働いている。
子供は水筒や水瓶を持って水を売りに来るし、大人は物売りや小商いに励んでいる姿を目にする。
一方男はこの3バカトリオのように何もせずに呆けてる者が少なくない。
この3バカのいる側と列車を挟んで反対側にもボケーとしている男が数人いて、こちらは線路のレールに腰かけ、ただただジーとしているのだ。
なんじゃ、こいつら。

ここで私はハタと膝を打ったのであった。

ここに世界三大親日国家というのがある。
このなかに中国や韓国が含まれないのは言うまでもないが、この三大親日国とは北欧のノルウェー、中東のトルコ、そしてここミャンマーのことであるというのは知っている人も多かろう。
最近はこれに台湾を加えて四大親日国という説もあるが、「台湾は中国の一部」などという誤った見解を平気で述べる朝日新聞やNHKがいるので、なかなか定着しにくい現実がある。
以上、少し余談(司馬遼太郎風、話題転換)

ともかく三大親日国のうちフィンランドとトルコは彼らの「天敵である帝政ロシアを戦争でやっつけた大日本帝国」という100年前の印象が現在も影響を持ち続け、親日の基礎を形成している。
これに対して、ここミャンマーは先の二国と異なり直接彼らの歴史に日本が登場し、しかも植民地解放に多大に献身した友好国としての姿があるのだ。
今もなお、ミャンマーの学校では「ミャンマーの独立には日本の貢献があった」という意味合いのことが教えられ、親日国家の基礎を形作っている。
中韓の無知な反日主義者は少しミャンマー人の爪の垢でも煎じて飲んでいただきたいものだ。

1942年に日本軍はミャンマーに進攻し、日本領海南島ですでに訓練を施したアウンサン将軍以下30人の志士率いるミャンマー独立義勇軍とともに英印軍を駆逐した。
そして1943年にアウンサンの指導者であった元弁護士の独立指導者バウ・モウ博士を初代首相として独立を達成した(一般にこの独立は「日本の傀儡」として認めておられず、1948年が正式の独立年とされている)。
破竹の勢いで進攻した日本軍は各地域で大歓迎を受けた。
たとえば日本軍が降伏後、日本兵が帰国するに際し「いつまた我々と戦ってくれるんだ」という一般ミャンマー人がいたことや「この子供はビルマの女性と日本兵との間に生まれた子供だから、きっと将来ビルマのために働いてくれる賢い子に違いない。だから連れ帰らないで欲しい」と言う人たちがいたエピソードが会田雄二著「アローン収容所(新潮社)」で紹介されている。

かように日本人は多くの場合歓迎されていたのだが、当然のことながら不評なところも少なくなく(この不評を朝日新聞などが「日本軍の暴政」などと宣っているのだが事態は朝日の言うとおりではない)、その最も大きな不評が、
「日本人はすぐにビンタをする」
というものであった。
これは海南島で訓練中のアウンサン将軍以下30人の志士の証言でも記録されており、
「ビルマ人にとって、ほっぺたをたたかれるビンタは最も屈辱的な行為で、これだけは日本人を許すことができなかった」
と語られている。

日本では現在もなお、ビンタ、またはそれに類する習慣が運動会系のクラブ活動などに残っている。
これはいわゆる「精神鍛練」の喚起を促すあまりよろしくない日本的伝統であるが、今もなお「おまえら、ワシの弁当食うたやろ。たるんどる!」とか言ってビンタを食らわすぐらいだから、戦前の日本男子の実直で精神主義で、辛い制裁も糧にして感謝すべきという考え方からすると、たるんだ生活、だらけた姿勢というものは我慢ならなかったに違いない。

そこでやっと本題に戻るが、もし仮に戦前ミャンマーに駐屯していたアジアの解放と祖国防衛の使命に燃えた若き日本軍将校なんかが、女子供に働かせて自分は遊んでいるようなあの3バカトリオを見かけたらどうするか。
もう説明の必要はないであろう。
「きさまら!女子供を守るのは男子たる者の使命である。にも関わらず、女に働かせ、己は享楽を貪るとは許せん!全員きよつけ!歯を食いしばれ!」となるのである。

ということで、あの3バカをみることにより、戦前の日本人がミャンマーの男子に「精神鍛練」としてビンタを頻繁に食らわせた理由がおぼろげながら分ってきたのであった。

つづく

透明人間の告白

2006年01月17日 20時57分54秒 | 書評
得意先の社長さんや専務さんといった少し年配の方と雑談をすると、よく次のようなアドバイスを受けることがある。

「○○○という本はもう読んだ?」
「いいえ」
「そりゃいかんな。是非読んで見たまえよ。あれはホント、勉強になる」

と、読みたくもない話題の書籍を読むことを薦めてくることがあるのだ。

たいていの場合「○○○」という本はビジネス書や政治家がゴーストライターに書かせたものが多い。
私はこのようなビジネス書や政治家先生がゴーストライターに書かせた「提言書」の類いは実のところ好みではないので、「よけいなお世話じゃい」と思いつつ「はあ、それでは機会があれば一度読んでみましょう」などと言って相手を怒らせないように誤魔化すのが普通だ。

かように人様に薦められる本が、自分の好みに合うとは限らないのは当たり前。
「読みたまえ」と語るぐらいなら少しは先に内容を教えてくれても良さそうなものだが、教えてくれることは、まずない。

新聞雑誌の書評欄のお薦めは得意先のオヤジが薦めてくる本に比べると格段にヒット率が高くなる。
それは得意先のお薦めは1冊か2冊に絞られていることに対し、書評はいろいろな選択肢の中から自分でこの本は面白うそうだと選ぶ違いがあるからまともな本をヒットする確率が増えるのだと思える。

ところで、私はFM大阪(FM東京系列)で毎週土曜日夕方に放送されている「Saturday Waitting Bar Avanti」という番組が大好きで、ここ数年時間が合えばダイヤルを合わせている。
この番組は東京仙台坂にある架空のイタリアレストランを舞台にして毎回各界から有名人や知識人を出演させ、彼らが酒を飲みながら話す内容にリスナーが耳を傾けるという主旨の番組だ。

昨年末のこの番組で「本の雑誌」の編集者が出演し「本の雑誌創刊以来30年のベスト30を選んでみたんです」という話を始めた。
そこで堂々の一位に選ばれたのが今回紹介するH・F・セイント著「透明人間の告白」だった。
昔の怪奇小説の透明人間と異なり1980年代に発表された本作は「リアリティがあって面白い」というようなことが語られていた。
NYで証券アナリストを務める主人公がとある事故で透明人間になってしまう。そしてCIAから追われる身になってしまうのだが.....、という筋書きを聞いた時「面白そうじゃないか」と思ったのだった。
なんでも、本の雑誌編集長の椎名誠氏以下主要編集員の3人が同意見であったというだけに「面白いに違いない」と期待させられ、新年早々買い求めたのだった。

だが、結論から言って「失敗」であった。

アイデアは悪くない。
ストーリーも面白い。
しかし物語の進行速度が著しく遅く感じられ、くどいのだ。
1980年代の読者であれば、間違いなく物語に没入していける力を持った小説だが、私には不自然で、読むのがかなり苦痛の一冊だった。

で、ここから昨日のブログにリンクするのだが、私は「リアリティのないSF」は受け付けない。
理由は昨日の通りだが、この小説の中での透明人間についての記述が私にはまったくリアリティに欠け矛盾だらけのために、ユニークなストーリーにも関わらずまったく楽しめないという事態が現出したのだった。
例えば「透明人間になった主人公はまったく他人から見えないのに、人や建物、家具などの物体にぶつかると物理的に衝撃を受けたり、与えたりする」ということが、論理的に矛盾していて楽しめない。
もし仮に主人公が見えないのであれば光がスルーで通過するということであり、光がスルーで通過するという「物体」であれば、その物体が他の物体にぶつかって物理的力が生じるわけがないのだ。
物理的に力が生じるものには光も物理的にぶつかり反応するわけだから「透明」であるはずはない。
そしてさらに、なぜ透明になっているのかという「科学的説明(ウソでもいい。ホントらしければ)」もないのでSF小説というよりも安物のマンガのような感じがしてしまう。
この説明には物体を透明に見せる方法に周囲の空間をねじ曲げるという方法がある。
これはなにも昨日のブログに記したSF番組の影響で述べているわけではない。
大きな重力や磁力を加えると、その周囲を通過する光は湾曲することは天文学や物理学で立証されているので、そういう既存の科学的事実を利用してそれらしく説明してほしかったのだ。

結局、書評を信じて購入しても、得意先の偉いさんに推薦を受けるのと同じような状況に遭遇することもあり得る、という実例に今回はなったというわけだ。
嗚呼、哀しい。

せっかく上下巻併せて買ったし、物語の筋は悪くない。
だからなんとか下巻も読了したいと思っているのだが.................。

~「透明人間の告白」H・F・セイント著 高見浩訳 新潮文庫刊~

スタートレックによる弊害

2006年01月16日 21時52分16秒 | 音楽・演劇・演芸
あまり正直に話すと私に「危ない人」というレッテルを貼られる恐れがあるので黙っていたが、わたしはSFテレビシリーズ「スタートレック」のファン「だった」。

中学時代、何気なくチャンネルを合わせた深夜の関西テレビ。見慣れぬSFドラマが放送されていた。
耳の尖ったスポックという宇宙人が登場し、見たこともなかった形の宇宙船が、遠近感溢れる星空の中を飛んでいた。
一番びっくりしたのは加藤という日本人の乗組員がいたことで、アメリカのテレビ番組で日本人(実際には日本人とフィリピン人の混血という設定)のキャラクターを目にしたのはこのときが初めてだった。

それがスタートレック(邦題を宇宙大作戦といった)との初めての出会いで、以降大学を卒業する頃まで、大好きなテレビシリーズになっていた。

このスタートレックファンのことを一般にトレッキーと呼ぶ。
「変人」「気持ち悪いヤツ」「狂人」「永久童貞または処女」などというネガティブなイメージの代名詞でもあるわけだが、現在活躍する多くの科学者や宇宙飛行士、政治家なども「トレッキー」が少なくないことは有名だ。
それでもある意味、「トレッキー」イコール「変人」という説は事実だと言えなくもない。
その証拠にファンの中には狂信的な人たちも少なくなく、そういう人たちだけを取材したドキュメンタリー映画もあるくらいだ。

数年前公開されたシガニー・ウィーバーやティム・アレンが出演した映画「ギャラクシークエスト」は、スタートレックとそのファンの関係をモデルにしたパロディ映画の傑作だ。
この映画「ギャラクシークエスト」は、架空のSFテレビシリーズ「ギャラクシークエスト」を遠い宇宙で視聴していて「ドキュメンタリー番組」だと信じていた弱き宇宙人「サーミアン」がファンのコンベンションに現れ、「私たちを凶暴なサリスから救ってください」とドラマの中の船長(ティム・アレン)に懇願するというところから話が始まっている。
この設定の何が面白いかというとギャラクシークエストのファンが、テレビドラマを現実だととらえている、ということだ。
つまりスタートレックファンの中にはスタートレックというドラマが実は現実の世界であるのだと錯覚している者がいることは広く知られていることである。そういう狂人じみた可笑しさを見事に表現していたことが「ギャラクシークエスト」の可笑しさの一つだったのだ。

「スタートレックは人類の未来を希望の持てる明るいものだと描いている唯一のSFドラマだ」と語ったのは失名したが有名な俳優だった。
つまり現代社会をそのままスライドさせた「あまり奇を衒わないドラマ設定」がスタートレックを一部のファンを現実だと思わせ40年にも及ぶロングラン・シリーズにならしめている理由だといえるだといえるだろう。
(スタートレックは米国で1966年に放送開始)

で、スタートレックの何が私にとって弊害をもたらしているかというと、このシリーズ独特の「リアリズム」が私の鑑賞眼に強烈な影響力を及ぼしているのだ。
もちろんスタートレックはフィクションだから、私は一部の狂信者のように真実とは思っていない。
ただ、このドラマは昔から、やたらと理詰めがしっかりしていて、例えば「科学的に説明のできないものはない」「国際紛争(惑星間紛争)にはまずは話し合いから」などという前提があり、「神秘的なもの」「超常現象」「身勝手な異文化解釈」をなかなか認めないところがある。
この神秘的な現象を科学して、恐れない、知力によって宇宙探査の冒険へ出かける、といったところがこのシリーズの初期の魅力だったと断言できる。
なんといってもこのシリーズには科学や文化の考証のために科学者が顧問についているくらいだ。

このような非常に濃厚な世界にティーンエイジの時に魅了された私は中途半端なSFやファンタジー、いかにもな作り話は以後楽しめなくなっているのだ。
そう、つまりそれが私にとっての弊害なのだ。

まず怨霊ドラマは楽しめない。
怨霊が出て来て主人公を恐怖に陥れるというような内容は、ついつい「怨霊というのは科学的に説明できない。ドアが勝手に閉まったり、床が音を立てたりするには『エネルギー』が必要で、もしそういう現象が実在するのであれば怨霊もある種のエネルギーでなければならない」という結論を導き出し、単なるオカルトドラマとして楽しめない。

単純なアニメ番組も楽しめない。
「宇宙戦艦ヤマト」などを作れるだけの技術があればガミラス帝国と正面切って戦う力があるだろうし、だいたい遠い宇宙からやってくるだけの技術があるのであれば、文明度も高いはずで侵略戦争など仕掛けてくはずはない。それともガミラス帝国は宇宙の中共か。
ということになり楽しめない。
だから私には中途半端な「ヤマト」よりも、いしいひさいちの「宇宙怪獣の弱点を探りに旅立つケンイチ少年」のほうがリアリティがあって楽しめるぐらいなのだ。

ということで「スタートレックの弊害」は私のエンタテーメントの楽しみ方に甚大な被害をもたらしているといえるだろう。
で、このことは読書にも及ぶ、ということを次回(明日)お伝えしたいと思う。

ミャンマー大冒険(32)

2006年01月15日 13時56分19秒 | 旅(海外・国内)
1本目の列車がここを通過してから半時間少しが経過して2本目の列車がやってきた。
この列車は遠くに姿が見えてから「トロトロとなかなかこちらへやって来ないな」と思っていると、このタッコン駅に停車した。

今日初めての列車ということもあり、大勢の乗客や荷物が下ろされ、また大勢の乗客が列車に乗り込み、荷物が載せられた。
この列車はプラットホームの無い中央の線路に停車したので、みんな地面の草地からの乗り降りだ。
多くの物売り達が群がり、また大勢の人が梱包された荷物を肩や頭に載せて行き来している。
活気のある風景だった。

5分ほど停車すると、機関車が汽笛をたてて動き始めた。
ゆっくりと、人が歩くようなスピードでタッコン駅を離れていく。
あちらの車両の窓から私たちの方を多くの目が眺めている。
こちらも好奇心おおせいに見つめているのでお互い様だ。

列車が出てしまうと潮が引いたように駅の雰囲気は静かになる。
しかし、たった一本の列車が停車しただけで、それ以前と現在とはまったく状態が異なっていたのだ。
人々の往来が活発になってきたのだ。

「あ、あれ食べたい!」
と私はまたさっきとは別の物売りを指さして叫んだ。
お腹、空いてないんじゃないの?という意見は今回も無視してもらおう。
「あれですか?」
とTさん。
「そうです。あれが食べたかったんですよね」
と私が指さしたのは、川海老を草加せんべいほどの大きさに掻き揚げにした天ぷらだった。

この川海老の天ぷらは「地球の歩き方」に載っていて、私は出発前からチャンスがあったら食べてみたいと思っていたものだ。
なんといっても昨年初めてここミャンマーを訪れたときは「これ食べてみたいな」と思っていたガイドブックに載っている食べ物をほとんど食べることができなかった。
これはひとえに滞在期間が短かったことに原因があったが、食べ物以外の多くのものに興味がそそられたことにも大きな原因があった。
なんといっても私はまだミャンマーの麺料理の代表選手「モヒンガー」さえ口にちたことがないのだ。
シャン州で作った蕎麦粉で打ったざるそばは食べたことがあるのに、である。

ともかくチャンスを逃すまいと物売りの女が売っていた川海老の掻き揚げをTさんの通訳を交えてゲットして食すことができたのであった。
「美味しい~!」
と私は某マンガに登場する紋付き袴の食道楽のように叫んだのであった。
「美味しいですか?」
「ほんと、予想通り美味しいです。ミャンマーの食べ物はホントに美味しいですね」
私の感想にTさんも満足げに微笑んだのであった。

しかし残念なことに石山さんは「掻き揚げ、食べませんか」という私のオファーにも「ありがとうございます、でも欲しくないです」とまったく元気がなかったのであった。

2本目の列車が1本目の列車から約30分の間隔を空けてやってきたことから、私はもしかするとヤンゴン方面行きの4本の上り列車は30分おきにやってくるのではないか、となんとなく予想をした。
そうなると、最後の列車がタッコンを通過するまで2時間かかることになり、私たちのこのダゴンマン列車が出発するのは午前10時半から11時頃になるのではないだろうかと思った。
となると、まだまだこのタッコン駅に停車しなければならない。

私は川海老の掻き揚げを噛りながら「もう、今日中にマンダレーに着けたらええわ」と達観していたのであった。
ところが達観できないのは石山さんで、彼女はもともと今朝マンダレーに着いて、そのまま市内観光をし明日の朝、遺跡の街で有名なバガンへの移動に出発しなければならない。
つまりこのダゴンマン列車がマンダレーへの到着に今日一杯かかるとなると、彼女はマンダレーの観光がまったくできないということになってしまう。
私は彼女を気の毒に思ったが、こればかりはどうしようもない。
運命と思って諦めてもらうしかないのだ。
で、私のほうも2日間かけてのんびりとマンダレーを見て回ろうと思っていた計画が完全に崩れていたのだが、これに関してはまったく気がつかなかったくらい頭が惚けてしまっていたのだった。
ただただ、買い食いに没頭する私なのであった。

つづく

ミャンマー大冒険(31)

2006年01月14日 14時59分43秒 | 旅(海外・国内)
(お詫び-前回の話でマンダレーへ向かう列車を4本は「ヤンゴンへ向かう4本」の間違いでした。謹んで訂正いたしますです。では、続きをお楽しみください)

8時半頃、ヤンゴン方面へ向かう一本目の列車が通過した。
自分の向かう方向とは反対方向へ向かう列車ではあったが、遥か遠くから近づいてくるこの列車の姿を認めたときは、正直言って安心した。
マンダレーからヤンゴンへ向かう列車が走ってきたということは鉄橋の修復が完了したことを意味している。
だから何時になるかはわからないが私たちもマンダレーへ向けて再出発することができるということなのだ。
長いタッコン駅の滞在もやがて終りを迎え、マンダレーへ向けて出発する。
列車の旅はなかなかハードだが、楽しくもあるのだ。

「おなか減ってませんか?」
とTさんが訊いた。
「いいえ.........」
そういえば昨夜タウングーの駅を出発してすぐに食べた焼きそば以来なにも口にしていなかった。
あれから約12時間が経過している。
どういうわけかお腹が空いていなかったのだ。
もしかすると表面上私は「大丈夫」を装っていたものの、実際の心の中は緊張していたのかもしれない。
「いいえ.......お腹はまだ空いてません。Tさんは?」
「私も...まだお腹が空いていません」
「だめですよ。気を使っても。私が食べないといってもTさんがお腹が空いていたら遠慮なく何か食べてくださいよ」
「はい」

などという儀礼的な会話を交わしていると、私たち2人が首をもたげていた列車の窓の下をドーナッツに似た食べ物を盛った大きなお盆を頭に乗せた物売りの女が通りかかった。

「...........あれ食べたいな」
と言ったのはTさんではない。
「お腹はまだ空いてないですから」と言ったばかりの私が言ったのだった。
「食べたいですか?」
とTさん。
「うん、食べてみたいです」

「さっきお腹空いてないて言ったばかりじゃないですか」というような野暮な非難はいっさいなく「ちょっと!待って!それいくら?」
てな会話をTさんは物売りの女と始めた。
呼び止められた物売りは私たちの窓の下にやって来てにこやかな表情で頭からお盆を下ろした。
もしかしたら、今日は商売にならないんじゃないだろうか、と思っていたところへ私たちが呼び止めたから嬉しかったのかも知れない。
なんといっても列車がやってこず、ずーと同じ列車が停車しているのだ。
こんなことでは商売は上がったり。
そういえば、ここタッコン駅で乗客や物売りが駅員や車掌に文句をつけている姿を目にすることがなかった。
ただでさえ十分な説明もなく何時間も待ちぼうけを食らわされているのだ。
これが日本だったら、すでに何人かのJRや私鉄職員はオツムの熱くなった乗客に張り倒され、警察が出動していることだろう。
テレビも新聞も来ているだろう。
しかしミャンマーは人々が温厚なのか、政府とつながりのある鉄道会社に楯突けないのか、それともこの程度のトラブルは珍しくもなんともなく、もし文句を言ったらミャンマーの鉄道はとうてい利用できないと達観しているのか、判断に苦しむが、それだけ人と人とのトラブルは見かけない。
で、横道にそれたが物売りにの話に戻る。
Tさんの説明によるとドーナツに似たそのお菓子はウーベイとかいう名前の揚げお菓子で美味しいという。
ミャンマーのお菓子が美味しいというのは昨年チャイティーヨーパゴダを旅したとき、のも物売りの少年から買い求めたケーキのようなお菓子が美味しかったことでも証明済み。
さっそく私はこのドーナツに似たウーベイを買い求めることにした。


「石山さんも食べてみたいですか」
と訊いてみたが、彼女はすでに体力というか精神力というかそのあたりを消耗しきっている様子で、
「ありがとうございます。でもお腹空いてませんから」
と気の毒な状態であった。
仕方がないので私は2つ買い求めてTさんと食べることにした。
「Tさんも食べるでしょう?」
「ありがとうございます」
って、あんたもお腹空いてない言うてたんちゃうんかい、とツッコミを入れそうになったのであった。

このお菓子は形やサイズこそドーナツに似た輪の形をしていたが、表面はドーナッツというよりもミスタードーナツのアーモンドクリスピーのようにカチカチになっている物だった。
噛ってみるとやはりクリスピート同じ食感だったが、すぐにまったく違うお菓子であることが判明した。
中からドロリとした甘い汁が流れ出てきたのだ。
私はドーナツの親戚だとばかり思っていたので、まさか中に何か入っているとは予想していなかった。
瞬間、私は「この硬さは高温の油で揚げたためで、そのため中まで火が通っていないのではないか......腹壊すやん」と疑ったが、中身のトロリとしたものは汁ではなくシロップのようなものだった。

当然のことながら味は甘かったが、このお菓子に対する私の認識も甘かった。
噛ったところからシロップがトロ~リと垂れてきた私のズボンの上にポトリと落ちたのだった。
「あっちゃ~、またズボン汚してもうた!」
パニックになった私は標準的日本語を使うのをすっかり忘れ、関西弁で小さく叫んだのだった。
思えば、バンコクのドンムアン空港で万年筆のインクが漏れ出してズボンを汚したのは昨日のこと、えっ、一昨日か。
で、ヤンゴンを出発する前にホテルで履き替えたズボンにまたもやお菓子のシロップを落としてしまった。
これはどこかで洗濯をしなければ綺麗なズボンが一本もなくなってしまう。

相次ぐトラブルと長旅で、時間感覚と精神的均整を失いつつある私であった。

つづく

ニコンの決断

2006年01月13日 21時32分43秒 | 経済
もし間違っていたら許してほしいのだが、世界の二大フィルムメジャーの1社、富士写真フィルムの総売り上げにたいする写真用フィルムの占める割合はわずか5パーセントだという。
多くは磁気メディアや光学メディア、液晶ディスプレイのフィルムなど、銀塩フィルムとは関係のない事業での売り上げなのだというのだから「写真フィルム」という社名もやがて変るかもわからない。

カメラ店へ行っても35mmの銀塩フィルムを使用するカメラは隅の陳列に追いやられ、手に取り眺めるものはほとんどいない。

昨日、カメラメーカーの日本光学が「フィルムカメラの製造販売から撤退します」と発表した。
日本光学といえばNikonのブランドで写真の世界に確固たる地位を持つ。
多くの報道写真がニコンで撮影され、商業写真もニコンが多い。
アマチュアのカメラ好きはライカにウンチクヲたてたかがるが、実際はニコンのファンということが少なくない。
世界一高価な一眼レフカメラシステムも確かニコンの商品だった。
何十万回のシャッター操作に故障しない強靱性を持つのもニコンだけと謂われ、ニコンはプロ用カメラの代名詞だった。

そのニコンがフィルムカメラから撤退する。
理由は経営資本をデジタルカメラに集中させるため置だという。

昨年コニカミノルタがカメラそのものの製造から撤退すると発表した。
私は学生時代からスチルカメラはミノルタ党だったので、このニュースにはショックを受けた。
カメラのメジャーといえばNikon、CONTAX、キャノンにミノルタ、ペンタックスにオリンパスだった。

デジタル時代の巨大な潮流はCONTAXを消滅させ、つづいてコニカミノルタをカメラ事業から撤退させた。

今回のニコンの決断はフィルム時代の完全なる終焉を告げる最終幕の始まりかもしれない。

メコン川の水争い

2006年01月12日 19時24分34秒 | 国際問題
4年前の秋にタイ、ラオス、ミャンマーの3カ国の国境地帯を旅した。
一般に「黄金の三角地帯~ゴールデントライアングル」と呼ばれる麻薬栽培で有名な地域だ。
かつて大がかりな麻薬組織がヘロインやアヘンなどを栽培し、ここから世界各国へ輸出していた。
現在タイ政府やミャンマー政府は現金収入に乏しいこの地域の農民に代換作物の栽培を指導し、さらに学校へ行けない子供も仏教寺院での日曜学校制度などを利用して教育活動に努めている。
その結果かどうかは判断できないが、今や立派な観光エリアになっている。

ところが大規模な麻薬問題が下火になった最近、新たな問題が発生した。

水争いの問題だ。

先週の産経新聞の記事によると、このメコン川上流に中国がダムを建設したため、水量が著しく減少しているというのだ。
メコン川の水源は中国領土にされているチベット地域だ。
電力資源や水資源を確保するため中国政府は下流の国々に相談なくダムを建設。
自国の利益をあくせくと捻出しているのだ。
これは東シナ海の日本の経済水域近くでガス田開発を断りなしに強行している姿勢とまったく酷似している。

この結果、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアを流れるメコンの水量が減少し、船が通れない事態になっているというのだ。

私がここを訪れた時、河口から数千キロメートルも上流なのに大きな船が往来する風景にメコンの偉大さを感じたものだ。
もしかすると、今ここを訪れたとしても、そういう母なる大河の雄大な姿を見ることはできないのかも知れない。
自国の船を通さなければならないときだけ中国はダムを解放し、水量を増やす。
そして用件が済んだら、水門を制限する。
だからタイやミャンマー、ラオスの船は運行することができないのだ。
水運業は大きな被害を受けている。
また、下流のカンボジアのトレンサップ湖では漁獲量が激減し、ここでも多くの漁民が生活の聞きにさらされているのだ。

まさにメコンの水争いは深刻な自体に陥っていると言えるだろう。

ところで、現在の中国はその急速な経済発展に人民のモラルや精神向上が追いつかない状態にある。
このため公害は放置。生活排水、工場廃水、産業廃棄物は投棄し放題の状態だ。
これも今朝の産経新聞朝刊によるとほとんどの河川が何らかの化学物質で汚染されており、イタイイタイ病の発症例も確かめられているという。
先々月、アムール川上流の中国吉林にある化学工場が爆発事故を起こし、大量の化学物質「ベンゼン」が川に流れ込んだ。
12月上旬にはロシアの都市ハバロフスクまで流れてきて、それはやがて海を汚染するのだという。
当初中国は事故に対して知らんぷりを決め込んだが、ことが国際的問題に発展したので責任者の摘発や追求にのりだした。

このアムール川の汚染事故がもしメコン川で発生したら、被害の規模は比べるべくもない。
アムール川流域の人口と、メコン川流域の人口は二桁違う。
流域にはビエンチャン、シムリアップ、プノンペン、サイゴンという人口巨大な街がある。

さらにもし川が汚染され、日本海や東シナ海、そして南シナ海などがかつての有明海のように成り果てたら果たして中国はその責任をとるのだろうか。
そして日本や東南アアジア諸国が、そして世界の国々が抗議をしたら中国は謝罪して真面目に対策をとるのか。
それはまったくわからない。

メコンの水争い問題は、やがて大規模な環境問題に発展し、そして人々の命を脅かし「新たな戦争の種」になりかねない危うさを抱えていると言えるだろう。