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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



久々に続きを.......

モヒンガーの見かけは決して美しいものではない。
天下一品ラーメンもビックリするような、どろっとした灰色の汁。
袋ごと踏んづけてしまったチキンラーメンのように、こまかく千切れた素麺のような細い麺。
そして正体不明のブツ切れの具。
などなど。

これってホントに麺類なのか、と疑いたくなる食べ物なのだ。
日本の麺類との共通点は丼に入っていること。
タダそれだけのような感じがする。
少しグロテスクな雰囲気なのだ。
もし、食べ物の好き嫌いの激しい人であればきっと見ただけで、
「う~~~~、ごちそうさま」
と食べる前から言ってしまいそうな外見なのであった。

しかし、どんな食べ物もそうであるように、食べ物の味と外見は関係はない。
日本人が、
「美味そう」
と言う魚の刺し身なんかは、生食の習慣がなく食べ慣れない外国人にしてみれば、
「なんじゃいそれ?!」
と身震いするような代物である。
また、国内でも、
「なんて美味しそう、朝ご飯にピッタリね」
と主に東日本の人々が称賛する水戸の納豆も、大阪へ持ってくると、
「そんな腐ったもん、食えるかい!」
ということになるのだ。
ちなみに私は大阪人なので、納豆は食べられない。正直、見るのもイヤなのである。

余談だが、世の中には食わず嫌いの人が多いもの。
見栄えだけで判断して、
「気色悪いから食べられない」
とか
「不味そうだから食べられない」
という外見上の理由だけで、その食べ物を食べない人がいる。
そういう人はレイシストの傾向があるので注意するように。
しかし、私はこと食べ物に関しては昆虫類とベトナムの半がえりのアヒルの卵以外は一応口にすることにしているのだ。
地元の人が「美味い!」と言っているものを食べもしないで「不味い!」とは主張することはできない。
で、納豆嫌いの私も社会人になりたての頃、東京出張時のホテルの朝食で納豆が供されたので食べたことがある。

その日、私は中央区にある某ビジネスホテルで、朝食セットのお盆に納豆の入った小鉢が並んでいるのを見つけた。
正直、戦慄した。
「.....うううう。やっぱり東京やな。腐ったもん、でてくるやん」
と、しばし躊躇したのであった。
もし私が某野球マンガの主人公の父親であれば、
「こんなものが食えるか!」
とちゃぶ台ならぬテーブルをひっくり返していたであろう。
しかし、せっかく出されたものを残すことは、昭和一桁生まれを両親に持つ私の世代には許されることではない。
高度成長期に幼年期を過ごしているとは云え、食べ物は米粒1つでも残したらぶん殴られる躾けを子供の頃にされている世代なのだ。
で、仕方がないので、周りの客を見様見まねで納豆に醤油入れてかき混ぜてみた。
ネバネバと気持ち悪い。
瞬間的にエポキシ系接着剤、スライムを思い出した。
大阪でこういう食べ物は「水あめ」か「はったい粉を水で溶かした御菓子」ぐらいしか見当たらない。
あとは鼻水、ゲロ、犬のウンコ、トリモチといった類いの食べ物ではないものばかりだ。

しかし、東京の人が美味しいとというものだ、きっと美味しいのだろうと思い込むことにして、これも見様見まねでご飯に乗せて食べてみた。
その瞬間、かつて経験したことのないほどの衝撃を受けたのだった。
「............なんやこれ!」
やっぱり不味かったのだ。

見かけの悪いものはやはり味も悪いと、このときはつくづく感じたのであった。
(以来、私は納豆を食べないことにしている(甘納豆は除く))

しかし、ミャンマーのモヒンガーはまったく違っていた。
見かけのグロテスクな汁とは裏腹に、実際に食してみると油っこい食べ物の多いこの国にしては、めずらしくあっさりとした口当たりの良い、朝食にもピッタリの麺類だったのである。

つづく

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