とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

国鉄改革の真実

2007年10月28日 14時47分10秒 | 書評
郵政民営化が一段落して、これで国営で行ってきた巨大事業のほとんどから国が手を引いたことになる。

日本たばこ(元・日本専売公社)やNTT(元・電電公社)の民営化で始まった国営事業のクライマックスはなんといっても国鉄の民営化だった。
私にとって国鉄民営化は大学を卒業してすぐのひよっこだった頃、その最大の社会変化だったいってもいいくらいで、今になって思えば、どうしてあんな大胆なことができたのかと不思議に思うことが多かった。

その疑問に答えてくれているのが中央公論新社刊「国鉄改革の真実」。
著者はJR東海の葛西会長で、国鉄の分割民営化に直接携わった国鉄マンとしての経験が、20年の歳月を経た今、客観的で分かりやすい(経済のメカでは数時音痴の私にはサッと分からない部分んもあったが)ノンフィクションとして描かれている。

それにしてもJR誕生は静かな衝撃だった。

まだまだ若年だった私でも国鉄の慢性的な赤字は「国にとって致命傷」に見えていたのは間違いなく「民営化って悪くないかも」と漠然と感じていた。
運賃は毎年のように値上がりするし、電車は(南海や近鉄、阪急などに比べて)古いし、乗り心地も(京阪や阪急に比べて)悪い。
それに、ストライキで運休することも少なくなく(学校が休みになるので、それはそれで嬉しくないことはなかったが)、テレビで東京の黄色い総武線の電車を見るにつけ、
「なんで電車にスローガンを書いてるんだ? 組合ってこんなことしていいの?」
というのが小学校高学年、中学生、高校生時代の私の印象だった。
おまけに私は私鉄王国関西で生まれ育ったので「国鉄なんか、なくてもエエやん」とさえ考えていた。

それが一夜明けると、とってつけたような「JR」という文字を書いた電車が走り、民営化一年前くらいから駅員さんや車掌さんの愛想がメチャクチャ良くなり、駅の中も私鉄のように店ができたりレストランがオープンしたりし始めた。
やがて初めからJRのエンブレムがはめ込まれた新型電車が導入されてスピードアップ。
ダイヤも効率良くなり、気がつくと南海、阪神、阪急、京阪、近鉄などより運賃も安くて乗り心地も良く、なんといっても早く目的地に到着できる「至極便利な鉄道網」に生まれ変わっていた。

「国の財政を食い物にしていた国鉄は分割民営化されたら毎年多額の税金を納める優良企業に変身した」
というのは国鉄改革にも参加した政治評論家の屋山太郎氏の言葉だ。

全国的な運賃アップもここ20年で1度だけ。
それも消費税が3%から5%に上げられたときで、JRだけは学生時代と社会人になって20年ちょっと経過した今も価格は同じ。
20年で価格の変わっていないのはJRの運賃以外では生卵だけだろう。

そのダメダメだった国鉄をダメダメにした元凶は労働組合と利権に群がる官僚および政治家だった。
本書の大半はその魑魅魍魎がどのような行動をし、どのような裏技を使い民営化を阻止しようとしたのか、あるいは民営化推進派が反対勢力をいかに引き入れるのか、という「政治の世界」で占められている。

権利だけを叫び国鉄という自分の会社を食い物にする組合。
そして各地にまたがる鉄道という利権に群がる運輸官僚と政治家たち。

要は金と金という欲の世界が展開し、「国鉄を良くしよう」「借金を減らそう」などという愛社精神がおざなりされた結果が国鉄清算とJRの誕生に繋がったというわけだ。
JRが国鉄時代からの様々な弊害を抱えつつも超優良企業として今日あるのは、エゴやイデオロギーにこだわらず、ごく普通のことを普通にやった結果だというのがよく分かる。
本書はそういう意味で、日本社会の醜いところと、その醜さを清浄する能力を描いた珍しいノンフィクションと言えるだろう。

なお、巨額な赤字が表に出ていた国鉄分割民営化。
そして巨額な赤字が表に出ていない今回の郵政民営化。
この2つの公営企業解体の違いを解説してくれる読み物はでないだろうか。
是非とも詳しい人に教えを請いたいものだ。

~「国鉄改革の真実」葛西敬之著 中央公論新社刊~