とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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旅の目的(6)

2007年05月25日 06時29分46秒 | 旅(海外・国内)
バス停からビーチまで約10分。
近いにも関わらず、時間がそこそこかかったのはサイカーの運転手が高齢だったこともあったが、私の体重が重かったというのが最大の原因かも知れない。

「ありがとう」
と言ってサイカーの運転手に約束した料金の40バーツを支払おうとしたら、財布の中には20バーツ紙幣が一枚しない。
あいにく小銭もない。
あとは100バーツ紙幣と1000バーツ紙幣。
そして50バーツ紙幣が一枚。
結局50バーツを支払い10バーツはチップとしてあげることにしたのだった。
40バーツへの値切り交渉は失敗に終った。

ビーチの入り口の駐車場からビーチに向かって狭い道が延びていて、両側には土産物屋が軒を連ねていた。
ビーチボールや浮輪。
貝殻でできた風鈴や置物。
グリコやオイシイなどのスナック菓子。
水鉄砲やウルトラマンなどのオモチャ。
そしてイカの姿焼きや貝の浜焼きなど、日本の夏の風景とほとんど変らない光景が広がっていた。
日本と違うのは、日本は夏の二カ月ぐらいの光景だが、タイでは年中の光景であることだ。

その土産物屋街を抜けると突然視界が開け、眼前にビーチの砂浜と海が広がった。
ホアヒンビーチだった。

南国のビーチというと、どうしても白砂青松というか白砂青椰で、白い砂浜、エメラルドグリーンに輝く透き通る海、白いカモメに白い三角の帆を立てたヨットなんていう印象がある
誰がどうしてこうしたイメージを植え付けたのか謎であるが、ホアヒンのビーチはそんなイメージとは合致しない、ちょっとばかし失望させるビーチなのであった。
白い砂浜の所々では岩がゴツゴツと露出。
海の近くには小さなカニが作った直径一センチほどの小さな穴が一杯空いている。
沖合にはヨットならぬ王様のビーチを警護するタイ海軍の巡洋艦が浮んでいる。
海は濁っていて色は「須磨浦海岸(神戸市)よりちょっとまし」という感じだった。
確かに全体的には美しい。
砂浜は白いし、ヤシの木が南国ムードを誘ってくれる。
数多くの白人観光客。
南に向かって長く延びる海岸線。
その海岸線に沿って並ぶ美しいリゾートホテル群。
しかし、海そのものはバンコクからさして離れていないことから、そう美しいものではなかったのだ。

考えて見れば、シンガポールのセントーサ島のビーチもビーチは綺麗であったが海は汚かった。
油やゴミがプカプカと浮いていたので幻滅したのを思い出す。
そして後年行くこくとになるインド洋アンダマン海に面したミャンマーのグウェーサンビーチも、上記二つのビーチのようには汚れていなかったが、海が深いらしくはエメラルドグリーンではなかった。

今から十数年前、私は社会人2年目で沖縄出張を命じられ、恩納村というリゾートエリアのまっただ中で一カ月ほど滞在したことがある。
その一ヶ月間での唯一の休日に某有名ビーチに出かけ南の海を体験した。
それ以来私は本土の都市近郊にあるババッチイ海水浴場は見るのもいやになっていたのであった。

沖縄の海はビーチと青空と東シナ海の輝きが一体になり、海に入ると足元を熱帯魚がちょろちょろと泳ぎ廻る。
泳いでいて海の水が口に入っても塩っ辛いことを除いて「汚い」という感覚はまったく芽生えなかった。
ビーチも海も自然の清潔感で一杯で、健康的で日本的で沖縄的で、空に輝く太陽さえ大阪で見るのとはまったく違った太陽に見えたのであった。
まさにイメージどおりの海だった。
これで下品な軍関係のアメリカ人の姿さえ無ければ完璧なのに、と思った。
それほど沖縄の海で泳いだことは都会の海とプールしか知らなかった私にとって衝撃的な経験であった。

以来、テレビのニュースなどで、
「夏休み初日の江ノ島海岸では......」
というアナウンスと、芋の子を洗うような海水浴客の群衆のテレビ映像を見るにつけ、
「うわっ。気色わる~」
と思うようになっていた。

考えて見れば、沖縄の海は世界でも有数の美しさを持つ海なのかも知れないと思うようになったのはホアヒンをはじめ海外の海を見るようになってからであったと思う。
日本は世界トップの美しさを持つ海に囲まれていたのであった。
誇れ日本の海。
沖縄は日本の宝石だ。

ともかくビーチと海にはいささか(沖縄と比較して)失望したものの、静かな街並みと、食べ物の美味しさに魅了され、翌年、私はたくさんの本を持ち込んで、ここを再び訪れることになる。

海外のビーチを訪れるという目的が達成された次の私の目標は「ミャンマーへ行くこと」であった。

つづく(土日は別の話題でいきます。月曜日から続きを連載)