20日(水)。18日の夕刻、神保町の三省堂内「チケットぴあ」にチケットを買いに行ったら、改装工事中で休業中だったため、昨夕は新宿の伊勢丹会館地下の「チケットぴあ」に行きました 申込書を提出して待っていましたが、なかなか検索できないようです 買おうとしていたのは来年3月21日(金・祝)午後6時から池袋の東京芸術劇場コンサートホール・エントランスで開かれる「クラシカル・プレイヤーズ東京」の室内楽演奏会シリーズ公演です 係の女性がいろいろ調べてくれた結果、チケットの取り扱いは「東京芸術劇場ボックスオフィス」のみになっていました。せっかく遠回りして新宿まで行ったのに、またしても手に入りませんでした
責任者出てこいと言いたいところですが、家に帰って、あらためてコンサートのチラシを見ると確かに「チケットぴあ」の文字はなく、「東京芸術劇場ボックスオフィス」だけが書かれていました。すみません、責任者は私です 今度の土曜日に東京芸術劇場でのコンサートを聴きに行くので、その時に買うことにしました。あせることはないのです。全自由席ですから
閑話休題
18日の日経朝刊・文化欄に建築設計事務所に勤務する青木卓という人がオランダの名門オケ「ロイヤル・コンセルトへボウ」の魅力について書いています このオーケストラは1888年にアムステルダムに演奏会堂が建設され、その専属オーケストラとして誕生しました 歴代の首席指揮者にはウィレム・メンゲルベルクやベルナルト・ハイティンクなどが名前を連ねており、現在はマリス・ヤンソンスが重責を務めています
私はカラヤン+ベルリン・フィル、ベーム+ウィーン・フィル、ブロムシュテット+スターツカペレ・ドレスデン、カルロス・クライバー+バイエルン国立歌劇場管弦楽団、小澤+ボストン交響楽団、ショルティ+ロンドン交響楽団、オーマンディ+フィラデルフィア管弦楽団・・・・・などは生で聴いたことはありますが、何故か「コンセルトへボウ」は聴く機会がありませんでした
ロイヤル・コンセルトへボウはベルリン・フィル、ウィーン・フィルと並んで「世界3大オーケストラ」と呼ばれることもありますが、個人的には、スターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)の方が上だと思っています クルト・ザンデルリンクが指揮したブラームスの交響曲全集などは最高です ただし、あの頃がピークだったかも知れません
も一度、閑話休題
サリンジャー著「ナイン・ストーリーズ」(新潮文庫)を読み終わりました サリンジャーは1919年ニューヨーク生まれのユダヤ人作家です。1951年「ライ麦畑でつかまえて」で一躍脚光を浴びました
幸か不幸か私はこれまでサリンジャーの作品を読んだことがありませんでした。サリンジャーというと、大学のゼミの1期上の先輩がサリンジャーに凝っていて、何かと言うと「ライ麦畑~」の文体を真似て文章を書いていて悦に入っていたことを思い出します
この本には「ナイン・ストーリーズ」のタイトル通り9つの物語が収録されています 「バナナフィッシュにうってつけの日」「コネティカットのひょこひょこおじさん」「対エスキモー戦争の前夜」「笑い男」「小舟のほとりで」「エズミに捧ぐ~愛と汚辱のうちに」「愛らしき口もと目は緑」「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」「テディ」の9編です
どの作品も、どうもピンとこないのです。いつも推理小説の類の本ばかり読んでいる身にとっては慣れない内容、馴染みのない文章です ただ最初の「バナナフィッシュがうってつけの日」はこの間読んだ乾緑郎著「完全なる首長竜の日」の中に引用されていたので親近感を覚えました
サリンジャーも面白いところがあるな、と思ったのは「エズミに捧ぐ~愛と汚辱のうちに」の中の、エズミの弟チャールズが私に謎々を出す場面です
「一つの壁が隣の壁になんて言ったか?」甲高い声で、彼はそう言った「なぞなぞだよ!」
私は、考えにふけるように目玉をぐるぐる動かしながら天井をにらんだ。
そしてその問題を口に出して繰り返した。
それから、当惑げな顔を向け、降参だと言った
「『角のところで会いましょう』じゃないか!」
とたんに、最高の音量で、傑作な答えがとんできた
意外だったのは最後の「テディ」です。テディは文脈からすると小学生ぐらいの少年ですが、年上の青年相手に日本の俳句を口にして驚かせたり、哲学問答をふっかけたりします サリンジャーは有名高校を一年で退学になったりしていますが、少年時代はテディのように結構理屈っぽかったのかも知れません
翻訳者の「あとがき」に、サリンジャーは作品以外の「まえがき」や「あとがき」や「解説」などを書き加えて出版することは許さないとしていたと書いています そのため、この「あとがき」はあくまでも翻訳者の「あとがき」で、作品の解説はいっさいありません。各自が読んだそのままを感じ取るしかありません。一時、若者たちの間にサリンジャー・ブームがありましたが、大学の先輩を含めて、どうしてそんなに若者たちが彼に熱狂したのか、いまだに分かりません