人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

サリンジャー「ナイン・ストーリーズ」を読む~読み慣れない文章に戸惑う

2013年11月20日 07時01分21秒 | 日記

20日(水)。18日の夕刻、神保町の三省堂内「チケットぴあ」にチケットを買いに行ったら、改装工事中で休業中だったため、昨夕は新宿の伊勢丹会館地下の「チケットぴあ」に行きました 申込書を提出して待っていましたが、なかなか検索できないようです 買おうとしていたのは来年3月21日(金・祝)午後6時から池袋の東京芸術劇場コンサートホール・エントランスで開かれる「クラシカル・プレイヤーズ東京」の室内楽演奏会シリーズ公演です 係の女性がいろいろ調べてくれた結果、チケットの取り扱いは「東京芸術劇場ボックスオフィス」のみになっていました。せっかく遠回りして新宿まで行ったのに、またしても手に入りませんでした

責任者出てこいと言いたいところですが、家に帰って、あらためてコンサートのチラシを見ると確かに「チケットぴあ」の文字はなく、「東京芸術劇場ボックスオフィス」だけが書かれていました。すみません、責任者は私です 今度の土曜日に東京芸術劇場でのコンサートを聴きに行くので、その時に買うことにしました。あせることはないのです。全自由席ですから

 

          

 

  閑話休題  

 

18日の日経朝刊・文化欄に建築設計事務所に勤務する青木卓という人がオランダの名門オケ「ロイヤル・コンセルトへボウ」の魅力について書いています このオーケストラは1888年にアムステルダムに演奏会堂が建設され、その専属オーケストラとして誕生しました 歴代の首席指揮者にはウィレム・メンゲルベルクやベルナルト・ハイティンクなどが名前を連ねており、現在はマリス・ヤンソンスが重責を務めています

私はカラヤン+ベルリン・フィル、ベーム+ウィーン・フィル、ブロムシュテット+スターツカペレ・ドレスデン、カルロス・クライバー+バイエルン国立歌劇場管弦楽団、小澤+ボストン交響楽団、ショルティ+ロンドン交響楽団、オーマンディ+フィラデルフィア管弦楽団・・・・・などは生で聴いたことはありますが、何故か「コンセルトへボウ」は聴く機会がありませんでした

ロイヤル・コンセルトへボウはベルリン・フィル、ウィーン・フィルと並んで「世界3大オーケストラ」と呼ばれることもありますが、個人的には、スターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)の方が上だと思っています クルト・ザンデルリンクが指揮したブラームスの交響曲全集などは最高です ただし、あの頃がピークだったかも知れません

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

サリンジャー著「ナイン・ストーリーズ」(新潮文庫)を読み終わりました サリンジャーは1919年ニューヨーク生まれのユダヤ人作家です。1951年「ライ麦畑でつかまえて」で一躍脚光を浴びました

幸か不幸か私はこれまでサリンジャーの作品を読んだことがありませんでした。サリンジャーというと、大学のゼミの1期上の先輩がサリンジャーに凝っていて、何かと言うと「ライ麦畑~」の文体を真似て文章を書いていて悦に入っていたことを思い出します

 

          

 

この本には「ナイン・ストーリーズ」のタイトル通り9つの物語が収録されています 「バナナフィッシュにうってつけの日」「コネティカットのひょこひょこおじさん」「対エスキモー戦争の前夜」「笑い男」「小舟のほとりで」「エズミに捧ぐ~愛と汚辱のうちに」「愛らしき口もと目は緑」「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」「テディ」の9編です

どの作品も、どうもピンとこないのです。いつも推理小説の類の本ばかり読んでいる身にとっては慣れない内容、馴染みのない文章です ただ最初の「バナナフィッシュがうってつけの日」はこの間読んだ乾緑郎著「完全なる首長竜の日」の中に引用されていたので親近感を覚えました

サリンジャーも面白いところがあるな、と思ったのは「エズミに捧ぐ~愛と汚辱のうちに」の中の、エズミの弟チャールズが私に謎々を出す場面です

「一つの壁が隣の壁になんて言ったか?」甲高い声で、彼はそう言った「なぞなぞだよ!」

私は、考えにふけるように目玉をぐるぐる動かしながら天井をにらんだ。

そしてその問題を口に出して繰り返した。

それから、当惑げな顔を向け、降参だと言った

「『角のところで会いましょう』じゃないか!」

とたんに、最高の音量で、傑作な答えがとんできた

意外だったのは最後の「テディ」です。テディは文脈からすると小学生ぐらいの少年ですが、年上の青年相手に日本の俳句を口にして驚かせたり、哲学問答をふっかけたりします サリンジャーは有名高校を一年で退学になったりしていますが、少年時代はテディのように結構理屈っぽかったのかも知れません

翻訳者の「あとがき」に、サリンジャーは作品以外の「まえがき」や「あとがき」や「解説」などを書き加えて出版することは許さないとしていたと書いています そのため、この「あとがき」はあくまでも翻訳者の「あとがき」で、作品の解説はいっさいありません。各自が読んだそのままを感じ取るしかありません。一時、若者たちの間にサリンジャー・ブームがありましたが、大学の先輩を含めて、どうしてそんなに若者たちが彼に熱狂したのか、いまだに分かりません

 

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朝日新聞別刷「GLOBE」のピアノ特集を読んで思うこと~スタインウェイかヤマハか?

2013年11月19日 07時01分21秒 | 日記

19日(火)。昨日、会社帰りにコンサートのチケットを買いに神保町の三省堂内「チケットぴあ」に行ったのですが、三省堂もろとも改装工事中ということで、「ぴあ」は28日まで休業するという張り紙が掲示されていました 戦意喪失したので日を改めて別の「ぴあ」に行くことにしました

 

  閑話休題  

 

朝日新聞は第1、第3日曜日に別刷「GLOBE」という16ページ建てのタブロイド紙を発行しています 側聞によると、相当な経費をかけて優秀な記者たちを世界各国に派遣して取材させ、一つのテーマを掘り下げる「クオリティ・ペーパー」を標榜する朝日に相応しい企画です。いつもは、「こんなにお金をかけて誰も興味を抱かないテーマを取り上げたって、いったい誰が読むと思ってんのよ?」と冷めた目で見ているのですが、17日付の「ピアノ特集」は読みごたえがありました

 

          

 

第1面のリードには「ご近所からピアノがあまり聞こえてこなくなった。リビングでの気品ある存在が憧れだった時代は過ぎ去り、先進国のピアノ販売は激減 世界の老舗メーカーに買収の動きが相次ぎ、日本勢はアジアに活路を見いだす」とあります ここに掲げられた第1面の写真はイタリアの新興ピアノ・メーカー「ファツィオリ」の工場に並ぶグランドピアノの木枠で、レンダーロ製造部長は「木を曲げるのに半年かける」と語っています

第2面では、今年9月にスタインウェイの親会社を約500億円で買収したヘッジファンドの創業経営者ポールソン(57)を紹介しています 「なぜ500億円ものカネを投じてスタインウェイを買収したのか」という記者の問いに、「最高級品であるスタインウェイは、普及品ほどには販売が落ちていない。世界全体をみればピアノはまだ売れる」と語っています

スタインウェイの調査によれば2011~2012年に世界の主な演奏会に出演した360人のうち約98%がスタインウェイを選んだとのこと また、ニューヨークの名門ジュリアード音楽院は266台のスタインウェイを保有しているといいます 学生の激しい練習に耐えるピアノはスタインウェイだけだというのがその理由だということです。ところが、同校は2010年~11年、ヤマハとファツィオリを1台ずつ買ったといいます。これが蟻の一穴となるか?競争原理はここにも、といったところでしょうか

そのファツィオリはイタリアの新興メーカーですが、職人はわずか35人の会社だといいます 社長のパオロ・ファツィオリ(69)が家業の家具工場の一角で1981年に創業したとのこと 国際コンクールで使用されるピアノはスタインウェイ、ヤマハ、カワイが常連でしたが、2010年のワルシャワで開かれたショパン国際ピアノコンクールで初めてファツィオリが採用され、それ以降、チャイコフスキー国際コンクール(モスクワ)、フランツ・リスト国際ピアノコンクール(オランダ)で相次いで採用され、世界的な名声を得るまでになりました

第3面に興味深いデータ比較が載っています。主なピアノメーカーの業績比較です。売上高、ピアノ生産台数、(以上、年間)、創業年、本社所在地を比較しています。

            売上高(億円)  ピアノ生産台数  創業年   本社

スタインウェイ       217     9,452     1853年  ニューヨーク

ベーゼンドルファ―    非公表      250     1828年  ウィーン

ベヒシュタイン       43      4,500     1853年  ベルリン

ファツィオリ         9        120     1981年  イタリア・サチーレ

ヤマハ         3,669   110,000     1887年  静岡県浜松市

河合楽器製作所     547    51,000     1927年  静岡県浜松市

売上高とピアノ生産台数で分かる通り、スタインウェイ、ベヒシュタイン、ヤマハ、カワイは機械による大量生産方式、ベーゼンドルファ―とファツィオリは少数精鋭による手造り方式ということが分かります オーストリアの名門ベーゼンドルファーがヤマハの傘下にある現在、今や年間生産台数わずか120台のファツィオリの存在が脅威になっているようです 

イギリスの人気女流ピアニスト、アンジェラ・ヒューイットの使用ピアノはファツィオリです。下は愛聴盤のショパン「ノクターン&即興曲集」です

 

          

          ファツィオリを使用して録音したアンジェラ・ヒューイットの

          ショパン「ノクターン&即興曲集」CD。サイン入り。

 

第4面では「縮小する日本市場~ヤマハ・カワイ、東南アジアで生き残り」、「国際コンクール乱立の背景」を特集、第5面では「音の支えは調律師 日本人が活躍」を特集、第6面では電子ピアノを、第7面ではピアノの今後などを特集しています

今回の企画には3人の記者が関わっていますが、そのうちの一人に吉田純子という人がいます 今回初めて写真入りでプロフィールが明らかにされました。1971年生まれ、東京藝大大学院卒。現在文化くらし報道部記者で、3歳でピアノを始め、一時は伴奏ピアニストを目指したとのこと

吉田秀和氏の「音楽展望」なきあと、吉田純子記者の音楽記事が多く紙面に登場するようになっていたので、いったいどんな人なのか気になっていました やはりそうでしたか・・3歳でピアノを始め、東京藝大を卒業、プロの伴奏ピアニストを目指し、途中で新聞記者に転向・・・今後も朝日・文化欄に注目です

 

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METライブビューイングでショスタコーヴィチ「鼻」を観る~ケントリッジによる異色の演出

2013年11月18日 07時00分35秒 | 日記

18日(月)。昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ショスタコーヴィチ「鼻」を観ました これは今年10月26日にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です

キャストは主人公コワリョフにバリトンのパウロ・ジョット、コワリョフの鼻にテノールのアレキサンダー・ルイス、警察署長にテノールのアンドレイ・ポポフほか、指揮はパヴェル・スメルコフ、演出はウィリアム・ケントリッジです

 

          

 

この作品はショスタコーヴィチが21歳~22歳の時にゴーゴリの小説に基づいて作曲した傑作オペラで、1930年に本格的に舞台初演されました。物語は

「床屋の朝食の中から人間の鼻が出てきた 床屋はそれを川に捨てに行くが警察分署長から不審尋問される。同時刻、主人公コワリョフが目覚めて、自分の顔に鼻が無いことに気が付く 街に探しに出たコワリョフは、大聖堂で服を着て歩く鼻に出会い「私の鼻ではないか?」と訊くが鼻であしらわられてしまう コワリョフは新聞社に行って「求人広告」ならぬ「求鼻広告」を出してくれと頼むが「そんなバカバカしい広告を出したら新聞の評判が落ちる」として断られてしまう

街で大暴れしていた鼻は警察に逮捕され、突然元の形に復帰する 警察分署長に高額な賄賂を渡して鼻を買い取ったコワリョフは、元の場所に鼻を付けようとするが、なかなか付かない 医者を呼んで付けようとするがうまくいかない。やっとのことでピタッと付いたところで、人々は口々に「こんなバカげた話があるはずはない!」「作者は何故こんな話を取り上げたのか?」などと、このオペラそのものへの批判を始める そんな中を、鼻を顔に取り戻したコワリョフが意気揚揚と街を歩いていく

この公演の特徴は、ドローイング・アニメーションの巨匠ケントリッジによる演出です アニメ・フィルムや文字、画像などを舞台背景に投影し奇想天外のドラマを盛り立てて聴衆を飽きさせません 鼻は”張りぼて”で出てきたり、アニメで登場したりします

 

          

 

この作品が作曲された1927~28年頃のソ連は、まだ前衛的な芸術運動が認められていました 青年ショスタコーヴィチの音楽には勢いがあります。奇想天外なストーリーにつける音楽は当時のソ連をオチョクッています

ロシア語による全3幕ですが、休憩時間がなく1時間45分ノンストップで疾走します 幕間の音楽はどこまでが本筋の音楽で、どこからがチューニングか分からないほど不協和音が鳴り響きます

主人公のコワリョフを歌ったパウロ・ジョットは出ずっぱりの熱演で、終始ハリのあるバリトンを聴かせてくれました ”コワリョフの鼻”を歌ったアレキサンダー・ルイスは良くとおるテノールで”自尊心を持った鼻”を魅力のある歌声で表現していました

これはオペラというよりも一つの歌付きの舞台作品として観ても十分面白い作品だと思います。今週金曜日まで、新宿ピカデリー、東劇ほかで上映中です

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第32回横浜市招待国際ピアノ演奏会を聴く~萩原麻未、ラシュコフスキー、ゴルラッチ

2013年11月17日 07時09分29秒 | 日記

18日(月)。昨夕、コンサートのため横浜みなとみらいに行きました。ランドマークタワーではクリスマス・ツリーが出迎えてくれました

 

          

 

横浜みなとみらいホールで第32回横浜市招待国際ピアノ演奏会を聴きました プログラムは①リスト「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調」(ピアノ:関本昌平)、②ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第2番ヘ長調」(ピアノ:イリヤ・ラシュコフスキー)、③ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番ト長調」(指揮&ピアノ:ミシェル・ダルベルト)、④ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」(ピアノ:萩原麻未)、⑤ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」(ピアノ:アレクセイ・ゴルラッチ)です。③を除く指揮は高関健、オケは日本フィルです

 

          

 

自席は1C17列10番です。会場は8割方埋まっている感じです 日本フィルは向かって左から後方にコントラバス、前方に第1ヴァイオリン、右にチェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置を採ります。言わば高関シフトです どうも日本フィルは馴染みがないせいか、華やかさがないように見えて仕方ありません。よ~く考えてみたら、他のオケのようなスタープレーヤーがいない上、東響、東フィル、新日フィルなどに比べて女性比率が低いのです N響、読響に次いで男性比率が高いのではないかと思います。舞台中央に構えるピアノはヤマハです。この会場の備えつけのピアノなのかも知れません

1曲目のリスト「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調」は1849年に完成し52年に初演されました。ピアノ協奏曲としては珍しく4楽章形式を取ります。トップバッターの関本昌平が登場します。彼は1985年大阪生まれですが、見た目が年齢より上に見えるのは良いのか悪いのか?ショパン・コンクールで4位に入賞しているので実力者ではあります。この曲は相当テクニックを要する難曲ですが、関本は楽にクリアします

小休止中に椅子が取り替えられ、ピアノの鍵盤がきれいに磨かれます。1984年ロシア生まれのイリヤ・ラシュコフスキーの登場です2012年の浜松国際ピアノコンクールで優勝し注目を集めました。ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第2番ヘ長調」は第1番から24年後の1957年に作曲され、息子のマキシムのピアノによって初演されました

ラシュコフスキーは私が注目しているピアニストです。このブログでも2回取り上げましたが、将来有望な若手ピアニストの一人です 第1楽章アレグロが軽快なテンポで開始され、すぐに超スピードで突っ走ります 一転、第2楽章アンダンテはリリシズムの極致です。第2楽章から第3楽章へは間を空けずに突入します。再びラシュコフスキーは確かなテクニックを駆使して軽快にぶっ飛ばします。だれか、止めてくれと叫んでも彼の演奏は止められません

ここで1回目の休憩時間となります。私は休憩時間には必ずトイレに行く習慣があるので、行きました。すると体に揺れを感じました しばし揺れが続いているような感じがしたので、きっと地震があったのだと思いましたが、自信はありませんでした(下手なシャレは水に流してください)。帰りの電車のアナウンスで、やはり地震があったことが判りました。これが5分前だったらラシュコフスキーの演奏の真っ最中で、会場はパニックで地震過剰になっているところでした。アブナイ、アブナイ

休憩後はベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番ト長調」です。1806年に完成しました。ピアノ協奏曲というと、彼の前の時代までは、長い序奏があって、おもむろにピアノが登場するパターンが多かったのですが、この第4番は冒頭からいきなりピアノ独奏が入ってきます

今回はミシェル・ダルベルトがピアノを弾きながら指揮をする”指揮振り”で演奏します。したがって、彼は聴衆に背中を見せる形でスタンバイします。ピアノを弾きながら指揮をするので、当然タクトは持ちません。その代わり楽員とはアイ・コンタクトを取ります 悠然と入る第1楽章から実に堂にいった指揮振りです カデンツァでは存分に聴かせます。遠目に見てジョージ・クルーニー似のダルベルトはカッコいいです

 

          

 

ここで2回目の休憩に入ります。休憩のたびに、椅子が代えられ鍵盤が磨かれます。休憩後は待望の萩原麻未の登場です。藤色のドレスに銀のベルトラインの付いたドレスで登場します ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」は、第1次世界大戦で右手を失ったウィーン出身のパウル・ヴィトゲンシュタインの依頼に応じて書かれました。単一楽章ですが、3つの部分から成ります

萩原麻未は右手を椅子に置いて身体を支えながら左手で力強い演奏を繰り広げます 第1部のカデンツァは聴きごたえがありました ジャズのイディオムを採用した第2部を通過して、再び第3部でカデンツァが奏でられます。目を瞑って聴いていると、はたして本当に左手1本だけで演奏しているのだろうか、と疑問に思うほど曲の構成がしっかりしており、それを萩原麻未が忠実の再現します。彼女は何を弾いても並外れた集中力で弾き切ります

最後は1988年ウクライナ生まれ、2011年ARDミュンヘン国際音楽コンクール優勝者のアレクセイ・ゴルラッチです

ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」は1934年に完成しました。パガニーニが作曲した「24のカプリス」の第24曲を主題として24の変奏を展開した作品です。第18変奏「アンダンテ・カンタービレ」であまりにも有名な曲です ゴルラッチは速いパッセージも激することなく極めて冷静に演奏します。かなり理知的なタイプのピアニストかも知れません。1曲1曲の弾き分けも見事でした

すべての演奏終了後、ソリスト5人が再度舞台に登場、小さな子供たちから花束を受け取っていました最後に付け加えれば、高関健の指揮はいつもきちっとしていて気持ちの良いものがありました。彼の”伴奏”は演奏する側にとってやり易いのではないかと思います

終演は8時50分、休憩2回を入れて2時間50分のコンサートでした。ピアノ協奏曲だけを一晩で5曲を聴いたのは、清水和音のオール・ラフマニノフ・プログラムを聴いて以来これが2回めです。存分にピアノを堪能しました

なお、この公演に先立って昨日午前、予習のために聴いたCDは以下の通りです

 

          

              ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第2番」

              ピアノ:エリザベス・レオンスカヤ

              ヒュー・ウォルフ指揮セントポール室内オーケストラ

 

         

             ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」

             ピアノ:サンソン・フランソワ

             アンドレ・クリュイタンス指揮コンセルバトワール・オケ

 

          

           ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」

           ピアノ:ウラジミール・アシュケナージ

           ベルナルド・ハイティンク指揮フィルハーモニア管弦楽団

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東響オペラシティシリーズ第76回定期演奏会を聴く~入魂のクン=ウー・パイクのブラームス

2013年11月16日 06時50分48秒 | 日記

16日(土)。昨夕、東京オペラシティコンサートホールで東京交響楽団オペラシティシリーズ第76回定期演奏会を聴きました オール・ブラームス・プログラムで、①運命の歌、②悲歌、③ピアノ協奏曲第2番変ロ長調です 指揮は大友直人、③のソリストはケガにより出演出来なくなったアンドレ・ワッツの代演、韓国のクン=ウー・パイクです

 

          

 

会場に入ると正面に「出演者変更のお知らせ」が掲げられています。「出演予定のアンドレ・ワッツは、転倒した際に手首を負傷し、医師の判断により12月末までの公演を全てキャンセルすることになった。代わって、白建宇(クン=ウー・パイク)が出演する」という内容です

 

          

 

1曲目の「運命の歌」は1868年夏、ブラームスは当時滞在していた北海に近いオルデングルクでヘルダーリンの詩と出会い、その感動のあまり書き上げたと曲です

まず東響コーラスの面々が舞台後方にスタンバイします。向かって左サイドに女声陣約70名、右サイドに男声陣約50名という陣容です。オケが入場し、コンマスの大谷康子が拍手に迎えられて登場します。指揮者・大友直人はいつも通りタクトを持たずに指揮をします

冒頭部分はオケのみで演奏されますが、これが静かな感動を呼ぶ美しいメロディーです そしてコーラスが入ってきますが、短いながらも感動的な曲です

2曲目の「悲歌」は、シラーの詩に拠っていますが、ブラームスの友人で画家のアンセルム・フォイエルバッハの死を悼んで作曲されました タイトルこそ「悲歌」ですが、曲想としてはむしろ明るく、歌詞を無視して聴いている限り、希望さえ感じることができます

ブラームスの合唱曲はCDで何枚か持っていますが、まともに聴いたことがありません この日、短いながらも美しく感動的な合唱曲を生で聴いて、あらためてブラームスの良さを再認識しました。アマチュア合唱団である東響コーラスの皆さんに感謝です

休憩後の「ピアノ協奏曲第2番変ロ長調」は、1881年11月にブラームス自身のピアノ、アレクサンダー・エルケル指揮ブタペスト・フィルハーモニーによって初演されました ブラームスはベートーヴェンに匹敵するほどピアノの名手だったと言われているので、さぞかし名演奏が繰り広げられたことでしょう

ピアノ協奏曲は通常3楽章から成りますが、この曲は交響曲のように4楽章から成ります。曲全体としては「ピアノをソリストに迎えた交響曲」といった印象です

ソリストのクン=ウー・パイクが登場し、大友の合図で第1楽章が始まります。彼の演奏の特徴は「強靭なピア二ズム」とでも言うべき力強いピアノです 揺るぎない確信のもと「これがブラームスだ」と強く主張します。第1楽章があまりも圧倒的な迫力で終わったことから、会場の一部から拍手が起こりました 大友=パイクのコンビは、第2楽章を間を空けずに演奏します。集中力を絶やさないためだと思われます

第2楽章でも強靭さに変化はありません。パイクは確信を持って音楽を進めます。第3楽章に入ると、冒頭部分でチェロの独奏がありますが、首席の西谷牧人の演奏はメロディーをたっぷりと歌わせた素晴らしいものでした 第3楽章から第4楽章へは再度、間を空けず続けて演奏しました。最後まで聴いて、演奏を振り返ってみると、前半の2楽章と後半の2楽章とに大きく2つに分けて演奏したことに必然性を感じます

最後の一音が鳴り終わるや、会場一杯のブラボーと拍手がパイクを包み込みました 彼は大友とハグし、演奏が成功裏に終わった安堵感からか満面の笑みを浮かべて聴衆の歓声に応えました。そしてチェロの西谷牧人を中央に誘い握手をします 韓国の演奏家に惜しみのない拍手を送る日本の聴衆。コンサート会場に竹島問題も日韓問題もありません

この日、ワッツが聴けずパイクの演奏が聴けたのは、かえって良かったのではないか、と思います 少なくとも私にとっては、以前からパイクを聴きたいと思っていたので、今回の代演は絶好の機会になり、予想通り素晴らしい演奏をするピアニストであることが分かりとても良かったと思います

 

          

 

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伊坂幸太郎著「マリアビートル」を読む~愛すべき殺し屋たち

2013年11月15日 07時01分49秒 | 日記

15日(金)。昨夕、4人で飯野ビルのベトナム料理YBで飲みました。30分という約束でしたが、3時間30分でした。いつもの通りです

昨日の朝日朝刊・社会面に「プロの楽器、税関申告不要」という小さな記事が載りました。要約すると

「ドイツの空港で昨年、プロの演奏家のバイオリンが相次いで差し押さえられた問題で、EUは『職業用具として』EU域外から持ちこむ楽器は税関申告しなくてもよい」と規則を変えたことが分かった 21日から適用する。従来はプロの楽器でも、物品の一時輸入のため通関手帳を示し、免税扱いを受ける必要があった。改正後も、プロの楽器以外で、430ユーロ(約5万7千円)以上の物品は、これまで通り税関申告が必要だ

昨年、このニュースを新聞で読んだ時には、ベートーヴェンを生んだドイツで、このような事件が起こるとは信じられない思いがしました。やっと常識的な判断がくだされた訳ですね

 

  閑話休題   

 

伊坂幸太郎著「マリアビートル」を読み終わりました 著者の伊坂幸太郎についてはこのブログでも何冊か紹介してきました。彼は1971年千葉県生まれ。「ゴールデンスランバー」「グラスホッパー」「重力ピエロ」「フィッシュストーリー」「モダンタイムス」等、数えきれないほど面白いエンタテイメント小説を書いてきた人です

この「マリアビートル」は2010年9月に、伊坂幸太郎が3年ぶりに書き下ろした長編小説で、「グラスホッパー」の続編とされている作品です

物語は、東京駅発盛岡行きの東北新幹線「はやて」の車内です 幼い息子に致命的な大けがを負わせた仇に復讐すべく「はやて」に乗り込んだ、元アル中の引退した殺し屋の『木村』。闇社会の大物から密令を帯びた、文学通の『蜜柑』と、機関車トーマスが大好きな『檸檬』の殺し屋コンビ、運とツキに見放された、一見気弱な殺し屋・天道虫こと『七尾』、木村の仇であり、顔は中学生、心は悪魔の『王子』。こうした一筋縄ではいかない連中が同じ新幹線に乗り合わせて、狙い狙われ、追いつ追われつの殺人ゲームが展開します

登場人物はほとんど殺し屋と言ってもいいほどですが、木村は子供想いの良き父親だし、七尾はいつも運に見放されて仕事ができないと嘆いているし、蜜柑は妙に文学通だし、檸檬はなぜか機関車トーマスの大ファンだし、とそれぞれが愛すべき人物なのに対して、王子は悪意に満ちた中学生として描かれています。複雑なストーリーですが、物語の構図としては王子対他の殺し屋たちと言っても良いかもしれません

伊坂幸太郎の”表現へのこだわり”とでもいうべき会話があります。文学通の蜜柑が七尾に対して次のように言います

「死んだ親父から言い残されたことがあるんだ。小説の中で体言止めを多用する作家と、会話の中に『にもかかわらず』って言葉を使うような相手は信用するな、ってな」

そのことを裏付けるように、テンポの良い彼の小説には体言止めの文章は見当たりません

この作品のタイトル「マリアビートル」についての説明がまったくないので、なぜ著者がこのタイトルを付けたのか分かりません たしかにこの物語には天道虫(てんとうむし)こと七尾にある仕事を依頼する真莉亜という女性が登場しますが、ビートル(カブトムシ)は登場しません

読み終わって思うのは、これは映画化したら絶対に面白いぞ、ということです

 

          

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朝日新聞「体育館クラシック21年目」の記事に思うこと~もっと広げて料金を安く!

2013年11月14日 07時01分04秒 | 日記

14日(木)。昨日の朝日朝刊「東京」面に「体育館クラシック21年目~足立・柳原の商店街企画~豪華マツタケご飯、楽団にお礼」という記事が載っていました。記事を要約すると

「JR北千住駅から東に1キロ足らずの所にある『柳原商店街』は1993年から『柳原音楽祭』を開いており、今年21年目を迎えた うなぎ店「ゑびす屋」の店主・小倉氏が中心になって運営しているが、地元に設備の整ったホールがないので小中学校の体育館を借りている きっかけは小倉氏が高校時代に聴いて感動した「新世界交響曲」である。これまで、地元の足立シティオーケストラ、桐朋学園オーケストラ、東京藝大管弦楽団、東京音大シンフォニーオーケストラなど13楽団が出演した

入場料は700円と破格の安さなので多くの人が集まるようになった コンサートは地元の人たちの手作りである。炊き出し、会場設営、観客の誘導、パンフレット配布など、すべて自前で行う。費用は商店街や地元の企業からの拠出金と区の補助金でまかなっている 楽団には謝礼が支払われるが、楽器の運送費などに消えてしまう コンサート終了後の地元の人たちが作った”マツタケご飯”が心ばかりのお礼である 指揮者の高関健氏は『演奏会が続く秘訣は、マツタケご飯じゃないかな』と語る」

この記事を読んで、すごく良い試みだなあと思いました。それは聴く側にとっても、演奏する側にとってもこの世に音大生が何人いるか知りませんが、4年間も大学で音楽を学ぶのですから、その成果を学内に留めていてはもったいないです。彼らは人に聴いてもらうために勉強・練習しているのではありませんか

さらに素晴らしいと思ったのは、彼らの試みに、商店街や地元の企業がお金を出して応援し、区も補助金を出して側面から支援していることです こういうのを本当の”文化活動”というのでしょう。このような企画がほかの地域にもたくさん広がると良いと思います

そうすれば、クラシック愛好家人口が拡大し、より多くの人がコンサートに通うようになり、それがオーケストラの収入源の安定化につながり、ひいてはコンサートの入場料金の低廉化に結び付くのではないか、というのが私の目論見です。ぼくってセコイかな

 

  閑話休題  

 

毎年使っている元の職場の「新聞手帳」2014年版が手に入ったので、さっそくコンサートの予定を書き込みました 現時点で判っているのは①新国立オペラ、②バッハ・コレギウム・ジャパン、③東京フィル文京シビックシリーズ、④東響サントリーシリーズ、⑤東響オペラシティシリーズ、⑥新日本フィル・トりフォニーシリーズ、⑦新日本フィル室内楽シリーズ、⑧都民芸術フェスティバル参加公演などですが、このたび大変な事実が明らかになりました 来年6月21日(土)午後2時から3つの公演が重なっているのです 一つは東響オペラシティシリーズ定期公演、二つ目は新日本フィル・トりフォニーシリーズ、三つ目は新国立オペラ「鹿鳴館」です。まだ7カ月以上も先のこととはいえ、何とかしないと2つのコンサートがオジャンになってしまいます このうち東響オペラシティシリーズだけが振り替えが効かないので、これを21日に確定して、新日本フィルを前日の20日(金)に振り替え、新国立オペラを19日(木)に振り替えるのがベストだと思っています 新国立オペラの振替サービスは、すでに3回の限度のうち2回まで権利行使しているので、「鹿鳴館」が最後です。もし、6月より前のオペラ公演で権利行使すると6月公演は振り替えが効かなくなるので、綱渡りです

ここまで書いて、もっと深刻な事実に気が付きました 手帳に書き込んだコンサートのうち④東響サントリーシリーズと⑤東響オペラシティシリーズは手元にチケットがない、ということは、会員継続手続きをしただけで、まだ請求書さえ届いていないということです いずれ払うことになるんだよな、合わせて約9万円也 これを払って、年を越せるんだろうか・・・・・・ああ無情 おお無謀

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小泉人気再び~日本記者クラブ主催「反原発」記者会見に過去最高の407人の取材陣が殺到!

2013年11月13日 07時00分31秒 | 日記

3日(水)。今朝の東京の気温は9度。つい1カ月には「10月なのに真夏日!」と言って騒いでいたのが嘘のようです。お互いに風邪をひかないように気を付けましょう

昨日午後1時半から3時まで、当ビル10階ホールで小泉純一郎・元首相の記者会見がありました。車の正面玄関駐車の関係があるので、10分前に1階玄関ホールに下りていくと、ちょうど白髪のライオン丸・小泉氏が車から降りてエレベーターホールに向かうところでした 現役の首相当時は何十人ものSPを従えていましたが、今やSPも随行者もいません 数台のテレビカメラが追いかけ、女性コメンテーターがコメントを求めますが、彼は口を真一文字に閉じたままエレベーターホールへ進みます

防災センターの監視カメラで10階ホール内の映像を観ると、テレビカメラや新聞記者などの取材陣が会場いっぱい詰めかけていました 後で主催者の日本記者クラブの担当者に訊いたところ、アウンサン・スーチーさんを上回る、記者会見始まって以来の407人の新記録だったそうです かつて「自民党をぶっ壊す!」と言った小泉氏が「東電をぶっこわす!」とブツのではないか、などあらぬ期待を寄せる向きもあるような気がします いずれにしても「首相が決断すれば原発ゼロは実行できる」という「反原発」発言が話題を呼んでいるとはいえ、現役を引退して首相でもない一民間人の記者会見に400人以上の取材陣が詰めかけるのですから、異常なほどの人気ぶりです

さて、裏方はそれからが大変でした。同じ会場で規模を縮小して、30分後の3時半から作曲家・なかにし礼とオペラ歌手・佐藤しのぶの「リメンバーヒロシマナガサキ」CD発表記者会見が開かれるため、会場のセッティングを仕切り直ししなければならなかったのです 

この会見は、佐藤しのぶさんが、なかにし礼さんに「核兵器反対」の詩を書いてほしいと依頼し、CD「リメンバー」(10.23発売)が生まれたことについて、完成までの経緯や歌への思いを訊くというものです

”仕切り直し”はいつものセッティングのプロフェッショナルに加えて防災センター要員の手助けを借り、さらに幸いにも小泉会見が若干早めに終了したことにも助けられて、何とか開始時間に間に合ったようです記者会見の裏にはこうした見えざる苦労もあるのです。関係者の皆さまお疲れさまでした

 

  閑話休題  

 

昨日、ブログのコメント欄にMさんという方からコメントが寄せられました それには「toraさんは女性ですよね。なんか男性にも思えるフシがあり、悩んでいます」と書かれていました 私は普段、パソコンでブログを書いていますが、画面には「プロフィール」欄があって「男性」「東京都」と表示されています。おかしいと思って、自分のブログをケータイで検索してみたら「プロフィール」欄は表示されませんでした Mさんはtoraブログをケータイからご覧になっているのだと思いました

そこで、ケータイからtoraブログをご覧いただいている方のために「プロフィール」の「自己紹介欄」を転載しておきます

「内幸町のビル管理会社に勤めるサラリーマンです。No music no life! 年間目標は①クラシック・コンサート:160回②映画:65本③読書:75冊。昨年実績は①158回、②62本③73冊でした」

今年11月13日現在の中間報告をすると、①153回、②31本③59冊となっています ①クラシック・コンサートは手元のチケットを数えると、楽々クリアして自己新記録が達成できる見通しですが、②映画は絶望的、③読書は微妙なところだと思います。まあ、せいぜい目標達成に向けて頑張りたいと思います

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映画『シュガーマン~奇跡に愛された男』を観る~アメリカで見離され南アフリカで見直されたロドリゲス

2013年11月12日 07時00分05秒 | 日記

12日(火)。昨夕、新橋の「新橋亭」で当社元監査役S氏の送別会が開かれました この日はS氏の誕生日を兼ねて、ビールと紹興酒と美味しいコース料理をいただいて約2時間、楽しく過ごしました 酔っぱらわないうちに集合写真と花束贈呈を、という幹事の配慮は正解だったようです その後、融資誤認で、もとい、有志5人で新橋のカラオケ・スナックSに押しかけ、カラオケ歌合戦を繰り広げました 〆はお店が用意してくれたバースデー・ケーキ とS氏のカラオケ十八番・森進一の「おふくろさん」です そんな訳で、いつものようにお開きは10時を過ぎてしまい、今日も朝から頭が頭痛です なお、S元監査役は11月いっぱい勤務する予定です

 

  閑話休題   

 

一昨日、飯田橋のギンレイホールで映画の2本立てを観ましたが、昨日の『ビル・カニンガム&ニューヨーク』に次いで、今日は『シュガーマン』について書きます

映画のタイトル「シュガーマン」というのは、この映画の主人公・ロドリゲスの歌のタイトルで、この映画は彼の音楽シーンへの奇跡的な復活までを描いたドキュメンタリー映画です

ロドリゲスは1970年代にシンガーソングライターとしてアメリカでデビューしましたが、2枚目のアルバムが商業的に不発に終わり、彼は音楽の舞台から姿を消します その間、彼は肉体労働によって家族を支えていたことが紹介されます。アメリカでは認められなかった彼の音楽は、海を越えて南アフリカへ渡り、反アパルトヘイト運動を続けていた若者たちの熱狂的な支持を受けていました アルバムの売り上げは50万枚にも達したといいます しかし、本人はそのことを知りません

90年代に入って、二人の熱狂的なファンが「自殺して死亡した」と言われるロドリゲスの運命を探るべく調査に乗り出します するとアメリカのデトロイトにロドリゲスの娘たちが住んでいることが分かり、さらにロドリゲス自身も生存していることが分かります それから、彼ら一家は南アフリカに迎えられ、5000人収容の復活コンサートを挙行し成功させます

聴衆の熱狂は異常とも言えるほどで、みな興奮しています。老いも若きも、男も女も、手拍子をして一緒に歌を歌います 映画ではいくつかの彼の歌が流れますが、一番近いと思ったのはシンガーソングライターの象徴的な存在ボブ・ディランです 映画で流れた曲はどれも70年代特有の親しみやすい曲だったので、まとめてアルバムで聴いてみたくなりました

私は「ロドリゲス」という名前こそ知ってはいましたが、生まれたアメリカではなく、南アフリカで奇跡的な復活を果たしたアーティストだったことは、この映画を観て初めて知りました。まさに数奇な運命です

 

          

 

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映画『ビル・カニンガム&ニューヨーク』を観る~82歳でストリート・ファッションを撮り続ける男

2013年11月11日 07時01分04秒 | 日記

11日(月)。昨日、飯田橋のギンレイホールで映画の2本立てを観ました 今日は2010年アメリカ映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」について書きます

ビル・カニンガムは1928年生まれ。ハーヴァード大学中退後ニューヨークに渡り帽子サロンを開きます兵役後、シカゴ・トリビューンでファッション記事を書き始め、ゴルティエなどのブランドをアメリカに紹介します その後、ニューヨーク・タイムズに移り、ニューヨークの街でごく普通の人々のファッションを写して紹介した名物コラム”ON THE STREET”を連載します

この映画は1年中、青い作業服に身を包み、50年以上にわたり自転車でニューヨークの街に繰り出して市井のファッション・スナップを撮り続ける82歳の精力的なファッション・フォトグラファーを追ったドキュメンタリーです

 

          

 

彼の私生活は知られていませんでした 彼は50年以上もカーネギーホールの上のスタジオアパートで暮らしていますが、部屋にはキッチンもクローゼットもありません。あるのは小さなベッドと、これまで撮影してきた全ネガフィルムを収容したキャビネットだけです 蛇足ですが、そのアパートには、かの大指揮者レナード・バーンスタインも住んでいたとのこと

彼はパーティーに出かけてセレブや有名人を撮りますが、「一杯いかがですか?」「あなたも召し上がりませんか?」という誘いには乗りません。「水1杯も飲まないようにしている」と語っています また、他の専門誌に写真が掲載されても一切お金を受け取りません。小切手を目の前で破り捨てたという証言も紹介されます あくまでニューヨーク・タイムズの給料だけで生活します。ニューヨーク・タイムズで紹介されたファッションが数か月後に流行り出すというエピソードもあります

ファッション界の人々は彼に撮られることが名誉なのです。しかし、彼を知らない者からは冷たい仕打ちを受けます。たまたま街で出くわした女子学生数人にカメラを向けると「無断で撮るな!そのカメラぶち壊してやるからな」と罵声を浴びせられます。ビルは肩をすくめ「こういうこともあるよ」とでも言いたげに、次の被写体を探すため自転車を走らせます

インタビュアーは個人的なことに立ち入って訊きます。「今まで恋愛の経験はありますか?」。ビルは「ナッシング」と答えます。「後悔していませんか?」と問われると「後悔はしていない。私はファションと結婚したようなものだ」と答えます 正直なところ「楽しくもあり、寂しくもあり」ではないかと推測します

ひとつ気が付いたのは、デジタル・カメラ全盛の現代に、いまだにフィルム・カメラ(ニコン)をぶら下げて撮影していることです デジタルでは表現できない何かがあるのでしょうか。だから狭い部屋がネガフィルムのキャビネで占領されてしまうのです この映画ができた当時は2010年なので、それから3年経った今、彼は相変わらずフィルム・カメラを使用しているのかどうか、気になるところです

愛すべき82歳のプロフェッショナル 同じ年齢になって、あれだけ精力的な活動ができるだろうか

 

          

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