17日(水)。昨日午前9時過ぎ、都立O病院泌尿器科で、主治医のU医師が私に告げました 「4月28日に行った前立腺生検では16カ所から前立腺組織を採取しましたが、どこからも癌組織は発見されませんでした
」。「検査後はお酒は控えるように
」と言われていたのに、毎日のようにビールやワインを飲んでいたように、私は全然心配していませんでした
しかし、主治医から直接「癌はなかった」と告げられホッとしたというのが正直な気持ちです
ただし、PSA(前立腺特異抗原)の数値が標準より高いので、半年に1度程度の頻度で定期的に検査をすることになりました
いいんです、お酒が飲めれば
ということで、わが家に来てから今日で3046日目を迎え、ロシア正教会は15日、ロシアのプーチン大統領が15世紀の貴重なイコン(聖像画)「至聖三者」を同正教会に引き渡すことに決めた、と発表したが、正教会はプーチン政権の支持基盤の一つで、ウクライナ侵攻にも協力、プーチン氏は出馬が取り沙汰されている来年の大統領選に国宝級の「贈り物」でキリル総主教の貢献に報いたとみられる というニュースを見て感想を述べるモコタロです
強盗殺人誘拐侵略政権に加担するロシア正教会は 旧統一教会と同様 宗教ではない
昨日、夕食に「鮭の塩焼き」「鯵のナメロウ」「シラスおろし」「豚汁」「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました 和食はいいですね
フリードリヒ・グルダ著「俺の人生まるごとスキャンダル」(ちくま学芸文庫)を読み終わりました フリードリヒ・グルダ(1930-2000)はウィーン出身の20世紀を代表するピアニスト、作曲家。バッハ、モーツアルト、ベートーヴェンのクラシックの名盤を数多く残したが、クラシックにとどまらず、ジャズや即興演奏でも名声を博した
グルダの略歴を簡単にまとめると次の通りです
1930年5月16日(昨日が生誕93年)にウィーンで生まれる。8歳の時に、ウィーン音楽院でフェーリクス・パツォフスキーから最初のピアノのレッスンを受ける 12歳からウィーンの国立音楽アカデミーでピアノをブルーノ・ザイドゥルホーファーに、楽理と作曲をヨーゼフ・マルクスに学ぶ
1946年(16歳)ジュネーヴ国際コンクールで第1位に入賞
演奏ピアニストとしての極めて輝かしいキャリアをスタートさせた
しかし、1950年代半ばに入ると、それだけでは満足できなくなる
「ジャズ・メンたちは、バッハやモーツアルトと同様に、僕の手本となるべき人々だ
」と日記に書き、クラシック界のピアニストとしてのビッグ・ネームを背負いながら、様々なジャンルの音楽をミックスしたコンサート活動や、自らが作曲した作品によって音楽ジャンルの枠を越えた活動に全力を注いだ
2000年に死去したが、彼が尊敬するモーツアルトの誕生日と同じ1月27日だった
本書は グルダの折に触れての発言を集めて編纂したもので、田辺秀樹氏の翻訳の力もあるかもしれませんが、その語り口はフレンドリーで、グルダの飾らない人間性が伝わってきます 本書を読んで分かることは、グルダが生涯で一番主張したかったのは、クラシック音楽の『文化政策的』な意味での解放や、堅苦しい慣習の打破ということです
クラシックの分野でグルダが影響を受けたのは、ウィーン音楽院の先生方のほかに、アルフレッド・コルトーが挙げられています グルダは次のように語っています
「俺は若かったころ、彼の演奏を聴いて、たまげたよ 今になってみれば、その理由がわかる。コルトーは型通りの弾き方をしなかったんだ
彼の演奏を聴いていると、この人はまさにコルトー流に弾いている
ほかのだれとも違う弾き方だっていう印象があった。俺はコルトーの追っかけまでやったくらいだよ
」
また、ミケランジェリについては次のように語っています
「ミケランジェリは、ジュネーヴ国際ピアノ・コンクールの戦前の最後の優勝者だった 1939年だ。俺の場合は戦後最初ということになる
俺たちはまったく違うタイプだ。ミケランジェリみたいに自分に厳しくて、満足することがまるでなくて、ひたすら過酷な苦役ばかり、なんていうんじゃ、さぞかしヒドイ人生だろうと思うよ
あわれなヤツだよ
自分に対しておそろしく厳格な、狂信的完璧主義の奴隷っていう感じ
ピアノを巡ってしょっちゅうトラブルを起こすのもそのせいさ
」
その厳格なピアニスト、ミケランジェリと自由奔放なグルダの両方に師事した女性ピアニストがいます 言うまでもありません。マルタ・アルゲリッチです
グルダはアルゲリッチとの出会いについて次のように語っています
「かつて一度、この俺が教師になりたいと思ったことがあったよ 何度も南米に演奏旅行に出かけていたけど、しつこい母親が12歳になる娘のアルゲリッチを連れてきた
俺はまあ ちょっとピアノを弾くくらいの たいしたこともない子どもなんだろうと思っていた
すごく可愛い子だから、俺も少しは愛想が良くなって、「何を弾いてくれるの? どこでピアノの勉強をしたの?」ってやさしく訊いた。彼女は子どもらしい率直さでシューベルトを弾いた
もう、驚いたのなんのって
神童ってものが、本当にいたんだよ
」「アルゲリッチはそれから2年以上、俺の生徒になったんだ
もっとも、教えるといっても、それは実に風変わりな指導だった。何しろこの娘ときたら、なんだってできちゃったんだ。まったく信じられないよ
12歳かそこらでだぜ。俺は、何を教えていいかわかんなかった
」「君に教えることは何もない。君はいったい何がしたいんだ?と訊いたよ。すると彼女は『クラシック音楽をウィーン人のあなたのところで学びたい』と言った。彼女は要するにウィーンという環境の中で、クラシックについてもっと学びたいんだということが分かった
」
指揮者について、グルダが高く評価しているのはカール・ベーム、ジョージ・セル、アーノンクールだということが分かります カラヤンについても認めざるを得なかったようです
また、モーツアルトについては次のように語っています
「モーツアルトはいつも、ふさわしくないやり方で演奏されている いま俺が問題にするのはピアニストについてだけどね。ピアニストたちは、モーツアルトを演奏する際はいつも、プログラムの最初にそれをもってくる
そのために、聴衆の半分はろくにそれを聴かないってことになるんだ。遅れて来る客も多いし、そうでなくたって、『これは易しい曲で、まあ小手調べなんだ』って思ってるからね
バンバン弾きまくるメイン・プログラムは、後半のチャイコフスキーやブラームス等々だってわけさ。でも、これはとんでもない思い違いで、正しい関係の転倒なんだよ
」
グルダはクラシックにとどまらずジャズなどにも手を伸ばしたことから、様々なスキャンダルを巻き起こします その都度、コンサートの主催者側に迷惑をかけたりしますが、彼は自分の主張を通すために確信犯的にやっています
それは彼が誰もが認める実力者だから可能なのです
ところで、グルダは1967年7月~8月にベートーヴェン「ピアノソナタ全集」(CD9枚組)を録音、AMADEOレーベルから発売していますが、この録音に至るいきさつについて次のように語っています
「重要なことの多くは、偶然のおかげなんだ 個人的な理由からカネが必要になって、さしあたり急いでカネが必要になったことがあった。そうなんだ、離婚ってやつは、結婚するよりずっと高くつくからね
そんなわけでピンチほどではないけど、もう少しなんとかしないと、っていう感じだったんだ。『しょうがねえな。何かやるしかねえな
』ってわけで、俺はアマデオ・レコードでベートーヴェンのソナタ全集を録音することにした
いろいろ交渉した結果、前金10万シリングと印税っていう線で合意した
」
つまりグルダは離婚の慰謝料を稼ぐのためにベートーヴェンのソナタ全集を録音したのです それが下の写真のCD全集です
久しぶりに聴いてみようと思います
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