28日(水)。わが家に来てから今日で3088日目を迎え、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」の創設者、プリゴジン氏による反乱を受け、ロシアのプーチン大統領が26日夜、国民に向けに約5分間のテレビ演説を行い、反乱の失敗を強調し、西側諸国などがロシア国内の「仲間殺し」の試みに加担したと主張した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ウクライナ国民を多数殺したワグネルに 西欧諸国が加担するわけないだろうが!
昨日、夕食に「ビーフシチュー」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました ビーフシチューは今回久しぶりに牛ブロック肉ではなく牛バラ肉を使いました。甘みがあって美味しかったです
昨夜、サントリーホールで東京フィル「第987回サントリー定期シリーズ」を聴きました プログラムは①尾高惇忠「オーケストラのための”イマージュ”」、②ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18」、③同「交響曲第1番 ニ短調 作品13」です
演奏は②のピアノ独奏=亀井聖矢、指揮=尾高忠明です
亀井聖矢人気のせいか、会場はいつもより女性客が多いように思います
オケは16型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの東京フィルの並び。コンマスは近藤薫です
1曲目は尾高惇忠「オーケストラのための”イマージュ”」です この曲は尾高忠明の兄・尾高惇忠(おだか あつただ:1944-2021)が1981年の「民音現代作曲音楽祭」のために作曲した作品です
翌1982年には父・尚忠の功績を記念して創設された「尾高賞」に本作が選ばれましたが、初演を演奏したのは尾高忠明指揮東京フィルでした
個人的には、身内の者が作曲した作品を定期演奏会で取り上げるのってどうなのよ?と思いますが、身内の者でなければ取り上げないからという葛藤があるように感じます
尾高氏に限らず、指揮者って自分で作曲した作品や身内の作品を演奏してみたいものなのでしょうね
1980年代には、こういう無調風の現代音楽が流行ったなあと懐かしく聴きました
2曲目はラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18」です この曲はセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)が1900年から翌01年にかけて作曲、1901年に初演されました
よく知られているように、ラフマニノフは1897年の「交響曲第1番」が大失敗に終わり、ノイローゼ気味になって、1900年前半の数か月にわたり精神科医ニコライ・ダーリのもとで睡眠療法を受けますが、これが功を奏し改善します
その年に手がけたのが「ピアノ協奏曲第2番」で、ラフマニノフ自身のピアノ独奏による初演は大成功を収めました
そもそも「交響曲第1番」が大失敗に終わったのは、林昌英氏のプログラム・ノートによると、「ペテルブルクとモスクワの音楽界の確執が一因だった可能性がはるかに高い。有り体に言えば、”ライバル都市に移って調子に乗っている若造が、挨拶もなしにペテルブルクに乗り込んでくる”という構図になってしまった」ということらしいです。ちなみにラフマニノフは幼少期からペテルブルク音楽院に入って学びましたが、指導法が合わず、12歳でモスクワ音楽院に移りピアノと作曲を学んでいます。この曲は第1楽章「モデラート」、第2楽章「アダージョ・ソステヌート」、第3楽章「アレグロ・スケルツァンド」の3楽章から成ります
ピアノ独奏の亀井聖矢は2001年生まれ。2022年のロン=ティボー国際音楽コンクールで第1位、併せて「聴衆賞」「評論家賞」を受賞しています
亀井のピアノ・ソロにより第1楽章が開始されます 続くオーケストラによる重厚なテーマはいつ聴いても素晴らしい
「これぞ、ラフマニノフ」と言いたくなります
第2楽章では、ロマンティシズムの極致をいく詩情豊かな亀井のピアノが会場を満たします
第3楽章では、中盤でテンポアップして協奏曲から競争曲に移るかのようなピアノとオケとの丁々発止のやり取りがスリリングで聴き応えがありました
フィナーレでは、尾高 ✕ 東京フィルのダイナミックな演奏に乗せて、亀井は腰を浮かせてピアノを強打し、力強くも華やかな演奏を繰り広げました
ブラボーと拍手の嵐、そして1階前方の女性客を中心とするスタンディングオベーションが見られました アンコールはありませんでした。見識です
休憩時間には女性トイレに長蛇の列ができました
プログラム後半はラフマニノフ「交響曲第1番 ニ短調 作品13」です この曲は1895年に作曲、1897年3月27日にペテルブルクでグラズノフの指揮で初演されました
前述のとおり大失敗に終わりました
第1楽章「グレイブ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アレグロ・アニマート」、第3楽章「ラルゲット」、第4楽章「アレグロ・コン・フォーコ」の4楽章から成ります
この曲は5日前の6月22日にジャナンドレア・ノセダ指揮NHK交響楽団で聴いたばかりなので、否が応でも聴き比べることになります
結論から先に言います 同じ曲なのに全く違う曲に聴こえました
演奏を聴き終わって振り返ってみると、ノセダ指揮による演奏は、速めのテンポで容赦なくグングン進み、聴衆を置いていく感じがして、「これでは初演が失敗したのも無理はない」と思ったたのに対し、尾高指揮による演奏は、比較的緩めのテンポで演奏され、適度な間を置いて次に進むように感じ、「これなら初演が成功したかもしれない」と思いました
その顕著な例が第4楽章フィナーレでした
タムタム(銅鑼)の一打の後、同じメロディーがアグレッシブかつ執拗に繰り返されラフマニノフの意欲が前面に押し出されますが、ノセダは息もつけないほど超高速テンポで駆け抜けたのに対し、尾高は納得のいくテンポ設定で繰り返して曲を閉じました
同じ曲なのに違う指揮者・オーケストラで聴くと全く違う印象を受ける こういうところにもクラシック音楽を聴く醍醐味があります
カーテンコールが繰り返されますが、尾高は拍手を制し、マイクなしで次のように聴衆に語りかけました
「尾高家としては、今日、兄・尾高惇忠の作品を演奏してくれた東京フィルの皆さんに感謝申し上げたい 実は父・尾高尚忠の命日は1951年2月16日で、兄・惇忠の命日は2021年2月16日で、同じ日でした
このサントリーホールで兄の作品を演奏できることは本当に幸せです
サントリーホールはサントリー社長の佐治敬三さんのひと言で建設が決まりました
それは(カラヤンの助言を受けてパイプオルガン付きのホールを建設し)、カラヤンを呼んで杮落し公演をやるためでした
残念ながらカラヤンは来日できず(注:風邪のため)、代わりに小澤(征爾)さんが(ベルリン・フィルを)指揮しました
ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を初めて指揮した時のピアニストは中村紘子さんでした。今から約50年前のことです
私も、もう歳なので井上道義に倣って、そろそろ引退しようかと考えています
」(会場
)
周知の通り、尾高氏と桐朋学園時代の同期生・井上道義氏は2024年12月末をもって指揮活動からの引退を表明しています さて、尾高氏はどうするのでしょうか? まだまだ元気いっぱい活躍してくれそうです
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