14日(水)。行きつけの整骨院が3連休で休診だったため昨日、4日ぶりに通院しました さっそく、先週金曜日に長時間座っていたこと、土曜日の朝から腰痛が悪化したことを伝え、電気治療とマッサージを受けました やはり2年前と同じで椎間板が損傷しているとのことです 先生からは今後1週間の間、①出来るだけ横になって休む(仕事ないから出来る)、②寝ている間は目を閉じ、読書やスマホを避ける(先生、それムリです)、③お風呂はシャワー程度(風邪ひきそう)、④お酒は厳禁(もうやってる)ーと「腰痛時留意点 四か条」を言い渡されました。その上、背中に長いテープを縦に5本貼られました そんなわけで、昨日はサントリーホールで開催の読売日響「名曲シリーズ」を聴く予定でしたが、出かけるのを諦めました また、明日から4日連続コンサートが控えていますが、最悪の場合全滅の恐れがあります しかし、2年前の今頃、完治するまで2か月以上かかったのは、コンサートを聴きながら整骨院通いをしたからです この際思い切って 入院したつもりで、完治するまでコンサートを諦める方が 長い目で見たとき 良いのかもしれません さてどうしたものか よ~く考えよ~ 体は大事だよ~ ってか
ということで、わが家に来てから今日で3318日目を迎え、11月の米大統領選で返り咲きを狙うトランプ前大統領が、刑事訴追を受けない「免責特権」をめぐり、連邦最高裁に提訴したが、「免責特権が認められなければ、将来の大統領は退任後に政敵から訴追を受けるリスクを抱える」と主張した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
将来の大統領に トランプのような非常識者は出ないから 訴追されるリスクはない
昨日、夕食に「青椒肉絲」「生野菜とアボカドのサラダ」「シメジの味噌汁」を作りました 腰痛だからといって食事を作らないわけにはいきません。世の中そんなに甘くないです
岩城宏之著「指揮のおけいこ」(河出文庫)を読み終わりました 岩城宏之は1932年東京生まれ。東京藝大在学中にN響副指揮者となり、56年デビュー 以降、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、メルボルン交響楽団など世界の主要オーケストラを指揮。一方、日本発の常設室内管弦楽団「オーケストラ・アンサンブル金沢」の設立、日本人作曲家作品の積極的な初演など、日本クラシック界の発展に尽力した。2006年逝去
岩城宏之の著書は「森のうた 山本直純との藝大青春記」と「オーケストラの職人たち」を読んで滅法面白かったので、本書の復刊を機に買い求めました
本書は1995年~98年に「週刊金曜日」で連載後、99年に文藝春秋から刊行され、2003年に文春文庫に収められました その後、2023年3月に河出文庫として復刊されました
本書は次の17のレッスンから構成されています
レッスン1「何のために指揮者はいるのか?」
レッスン2「無表情で指揮してみたら」
レッスン3「指揮者はキケンな商売」
レッスン4「楽譜の持ち歩き方」
レッスン5「『ガクタイ』の性質」
レッスン6「指揮者の夏休み」
レッスン7「いよいよ実技」
レッスン8「実技の練習、落とし穴」
レッスン9「女には向かない職業?」
レッスン10「名指揮者と譜面の関係」
レッスン11「ルービンシュタインに教わったこと」
レッスン12「大物指揮者に見せるには」
レッスン13「指揮者のファッション」
レッスン14「服は揃った。次は靴の問題だ。」
レッスン15「指揮棒のナゾ」
レッスン16「指揮とはスポーツだ」
レッスン17「偉大な指揮者が舞台を去るとき」
あとがき
結論から先に書くと、滅茶苦茶面白い本でした
1956年9月にN響を指揮してデビューした岩城氏と同じ日にデビューした指揮者・作曲家の外山雄三氏が「解説」を書いていますが、岩城宏之という指揮者の人物像や本書の中で岩城氏が本当に言わんとしていることを的確に表現しています
岩城氏は指揮について次のように書いています
「指揮とは・・(中略)圧倒的な大部分は、スコアの分析である。つまり、音楽の勉強だという、実に月並みなことになるのだ その上で、自分が再現したい理想の演奏を、ひたすら『思う』のである 指揮とは、この『思い』だけだと言っていいだろう。実は、振り方なんて、どうでもいいのだ 自分が表現したいことが指揮台の上で逆立ちすることでしか表せないなら、そうすればいい」
これについて、外山氏は次のようにコメントしています
「彼はオーケストラが100人なら指揮者は少なくとも101の『思い』、101の『チカラ』を持っていなければならないと常に言い続けた その上『振り方なんて、どうでもいいのだ』と言えるのは、彼がその『振り方』も徹底的に分析して熟知しているばかりか、みごとに実践できるほどの練達の域に達しているからである」
岩城氏は「レッスン7 いよいよ実技」の中で、N響にデビューした時の指揮の準備について書いています 何種類かのレコードの中から一番気に入ったトスカニーニのレコードを選び、それを聴きながら、暗い庭に面したガラス戸を鏡にして、何十回も汗だくになって『指揮』したという話ですが、これが捧腹絶倒の面白さです 天下の岩城宏之氏も指揮者デビュー当時はレコード相手に「エア指揮」をやっていたのか、と親近感が湧きます
また、同じ「レッスン7 いよいよ実技」の中で指揮の真意について次のように書いています
「これまでは、指揮者が一体何をやっているかが皆目わからぬまま、指揮という仕事にあこがれている善男善女のみなさんに、オチョクリのレッスンばかりを書いてきたが、ぼくの指揮についての真意を、大マジメに書く
1.指揮を習うことはできない。
2.指揮を教えることはできない。
3.指揮者には、なるヤツだけがなれる。
4.指揮者になれないヤツは、なれない。
これが全てだ。本当にマジメに書くと、これでオシマイである。この一瞬に『指揮のおけいこ』は終わる しかし、せっせと『レッスン』っぽいジョークを続けてきたのだ。ぼくは手持ち無沙汰でつまらなくなるし、突然の終了に読者も困るだろうから、少しグレードを落としてやはり『おけいこ』を続行することにしよう」
「レッスン5 『ガクタイ』の性質」の中で、岩城氏はリハーサル中の日本語の分かりにくさについて書いています
「リハーサルで指揮者が、ある管楽器奏者に『そこのところ、ちょっとハヤ過ぎる』と注文をつけたとする。これだと『テンポが速すぎる』ということなのか、『出が早すぎる』なのか、言葉だけではどちらだかわからない 英語では「too fast」とか「too early」のように、それぞれの言葉がある 『もっとオソく』と言っても、『ゆっくりと』なのか、『出をもう少しあとに』を意味するのか、そのときの状況で楽員は判断しなければならない」
この話などは、なるほどと思います
「レッスン10 名指揮者と譜面の関係」ではトスカニーニの暗譜の話が面白い
「戦前、トスカニーニがニューヨークに現れると、聴衆はトスカニーニの音楽会に殺到した ニューヨーク・フィルの指揮者だったブルーノ・ワルターは、急速に人気を失って、つらく、寂しい思いをしたそうである クヨクヨしていたが、ある時、原因の一つがわかって、少し安心したと「若い指揮者の提言」に書いている トスカニーニは、どんな曲でも暗譜で指揮したのだった これが人気の全てではないが、ニューヨークの聴衆は、トスカニーニの暗譜の指揮に熱狂したのだった 実はトスカニーニは、極度の弱視だったのだ 楽譜を目の前2センチぐらいに近づけなければ、読めなかったのである スコアを譜面台に置いたら、何もわからないのだ。だから自宅で、目をスコアにくっつけて勉強して覚え込み、指揮する時は、練習でも本番でも、暗譜でやったわけだ」
ワルターの若い指揮者への提言は「諸君、なるべく暗譜して指揮をしなさい」だそうです
以上は本書のほんの一部をご紹介したに過ぎません 指揮者を目指す人はもちろんのこと、単なる音楽好きの人にも面白く参考になる著書です。お薦めします
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