人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

バッハ・コレギウム・ジャパン5月度定期 ⇒ 8月7日に延期 / 碓井広義編「少しぐらいの嘘は大目に 向田邦子の言葉」を読む ~ 独特のリズムを持った切れ味鋭い文章の秘密

2021年06月02日 07時14分32秒 | 日記

2日(水)。バッハ・コレギウム・ジャパンから5月7日(金)の定期演奏会延期の通知が届きました 東京公演は8月7日(15時から東京オペラシティコンサートホール)に延期されます 手元のチケットで入場できるとのことです 私は残念ながら、当日「フェスタサマーミューザ」の日本フィルのコンサートの予定が同じ時間に入っているので聴きに行けません フェスタサマーミューザは9日までなので、どうせなら10日以降に延期すればよかったのに・・・と思いますが、会場の手配とかいろいろと問題があるのでしょう 残念ですが仕方ありません

ということで、わが家に来てから今日で2335日目を迎え、テニスの大坂なおみ選手は選手の精神状態が軽視されていると訴え、全仏オープン開幕前に記者会見に応じない意向を表明、30日の1回戦勝利後、記者会見を拒否して1万5000ドル(約165万円)の罰金を科せられたが、31日、2回戦を棄権すると自身のツイッターで表明した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トップアスリートでなければ解らないプレッシャーと 毎日闘っているんだと思う

 

         

 

昨日は、夕食に「鮭の粕漬け焼き」「タコの山掛け」「浅漬け」「もやしとワカメの味噌汁」を作りました 火曜日は魚がメインです

 

     

 

         

 

碓井広義編「少しぐらいの嘘は大目に  向田邦子の言葉」(新潮文庫)を読み終わりました 向田邦子は1929年、東京生まれ。実践女子専門学校(現・実践女子大学)卒。人気テレビ番組「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など数多くの脚本を執筆する。1980年「想い出トランプ」に収録の「花の名前」他2作で直木賞受賞 エッセイに「父の詫び状」などがある。1981年8月22日、台湾旅行中、飛行機事故で死去

碓井広義は1955年、長野県生まれ。メディア文化評論家。慶応義塾大学法学部政治学科卒。1981年にテレビマンユニオンに参加。2020年3月まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)を務めた

 

     

 

そもそも私が向田邦子の作品を読むようになったのは、娘が実践女子大学付属女子高校に推薦入学してからです 最初は「父の詫び状」「眠る盃」「夜中の薔薇」などの名エッセイを読んで、その文章に魅せられ、「阿修羅のごとく」「あ・うん」「蛇蝎のごとく」などの小説を読み、さらに「寺内貫太郎一家」「冬の運動会」などの脚本を読み進め、増々向田ワールドにのめり込んでいきました 「阿修羅のごとく」はテレビでも観たし、映画でも観ました 向田作品はほぼすべて読んでいます

向田邦子の文章の大きな特徴は、基本的に「である調」で書かれた男性的な文章です さらに、独特のリズムを持った無駄のない切れ味鋭い文章です。彼女の文体を真似しようと思っても出来ません 私にとって手本となる文章は向田邦子です

 

     

 

碓井広義氏は「はじめに」の中で、向田邦子の書く文章について次のように紹介しています

「文学から政治まで、辛辣な言辞を吐くことで知られるご意見番、山本夏彦が評した『突然あらわれてほとんど名人』という言葉に、彼女への賛辞と驚きが端的に表れている 人気ドラマの脚本家であり、名エッセイスト、そして直木賞受賞作家

本書は、編者である碓井氏が向田作品(小説、エッセイ、脚本)の中から選んだ370余りの「ことば」を紹介したものです 「ことば」は次の6つのテーマに分けて収録されています。

第1章「男と女の風景」・・・見栄はらないような女は、女じゃないよ

第2章「家族の風景」・・・どこのうちだって、ヤブ突つきゃヘビの1匹や2匹

第3章「生きるということ」・・・七転八倒して迷いなさい

第4章「自身を語る」・・・私は極めて現実的な欲望の強い人間です

第5章「向田邦子の『仕事』」・・・嘘をお楽しみになりませんか?

第6章「食と猫と旅と」・・・好きなものは好きなのだから仕方がない

向田邦子が一貫して書いてきたのは「男と女」であり「家族」であり「食」であるので、この章立てには納得します

それぞれの章で特に印象に残った「ことば」をご紹介します

〇女の話には省略がない

〇水商売ってのは7年やれば一人前だけど、結婚てのは7年じゃ駄目なのかねえ

〇一番か。しからずんばビリか。どっちかでなくては気のすまない人が多い。だが、この頃になって、本当に怖いのは二番の人ではないかと思うようになった 一番は、軍旗を持って格好良く飛び出すが、タマにあたって壮烈な戦死を遂げる率が高そうだ 競輪でも、先頭切る選手は風圧でバテてしまう。最後に笑うのは、二番手につけておいて、土壇場で追い抜く人ではないだろうか

〇決断するということは、小さいものを切り捨てるということですよ

〇栄枯盛衰は時のならいだ、人間の価値とは関係なし

〇「人間はその個性に合った事件に出逢うものだ」という意味のことをおっしゃったのは、たしか小林秀雄という方と思う。さすがにうまいことをおっしゃるものだと感心をした 私は出逢った事件が、個性というかその人間をつくり上げてゆくものだと思っていたが、そうではないのである。事件の方が、人間を選ぶのである

〇思い出はあまりムキになって確かめない方がいい 何十年もかかって、懐かしさと期待で大きくふくらませた風船を、自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体ないではないか

〇世の中で自分ひとりがすぐれている。私のすることに間違いなどあるわけがない。違っているのは相手であり世間である。天上天下唯我独尊は、お釈迦様ならいいが、凡俗がやると漫画である

〇私は「清貧」という言葉が嫌いです。それと「謙遜」という言葉も好きになれません。私のまわりには、この言葉を美しいと感じさせる人間がいなかったこともあります 少しきつい言い方になりますが、私の感じを率直に申しますと、清貧はやせがまん、謙遜はおごりと偽善に見えてならないのです。清貧よりは欲ばりのほうが性に合っていますし、へりくだりながら、どこかで認めてもらいたいという感じをチラチラさせ、私は人間が出来ているでしょう、というヘンに行き届いたものを匂わせられると、もうそれだけで嫌気がさして、いっそ見栄も外聞もなく、お金が欲しい、地位も欲しい、私は英語が出来るのよ、と正直に言う友人の方が好きでした

〇自分に似合う、自分を引き立てるセーターや口紅を選ぶように、ことばも選んでみたらどうだろう ことばのお洒落は、ファッションのように遠目で人を引きつけはしない。無料で手に入る最高のアクセサリーである。流行もなく、一生使えるお得な「品」である ただし、どこのブティックをのぞいても売ってはいないから、身につけるには努力がいる 本を読む。流行語は使わない。人真似をしない・・・何でもいいから手近なところから始めたらどうだろうか。長い人生でここ一番というときにモノを言うのは、ファッションではなくて、ことばではないのかな

〇自由は、いいものです。ひとりで暮らすのは、すばらしいものです でも、とても恐ろしい、目に見えない落とし穴がポッカリと口をあけています それは、行儀の悪さと自堕落です。自由と自堕落を、一緒にして、間違っているかたもいるのではないかと思われるくらい。これは裏表であり紙一重のところもあるのです

〇おそばのタレは、たっぷりとつけたい。たっぷり、というよりドップリといった方がいい。野暮と笑われようと田舎者とさげすまされようと、好きなものは好きなのだから仕方がない

〇カレーライスとライスカレーの区別は何だろう カレーとライスが別の容器で出てくるのがカレーライス。ごはんの上にかけてあるのがライスカレーだという説があるが、私は違う 金を払って、おもてで食べるのがカレーライス。自分の家でたべるのが、ライスカレーである。厳密にいえば、子どもの日に食べた、母の作ったうどん粉のいっぱい入ったのが、ライスカレーなのだ

〇お恥ずかしい話だが、私は平常心をもってメロンに向き合うことが出来ない なんだこんなもの。偉そうな顔をするな。たかが、しわの寄った瓜じゃないか、と無理して見下す態度をとりながら、手は、わが志を裏切って、さも大事そうに、ビクビクしながら、メロンを取り扱っている

まだまだ、挙げればきりがないのでこの辺にしておきます

最後に、碓井氏が向田邦子のエッセイ集「男どき女どき」に収録の「無口な手紙」で書いている「望ましい手紙」について解説した文章をご紹介しておきます

「『簡潔、省略、余韻、この3つに、いま、その人でなければ書けない具体的な情景か言葉が、ひとつは欲しい』とあるが、これは向田が書く全ての文章に共通することだとも言える 誰もが見逃してしまいそうな日常的事象を、独自の角度からすくい上げることで、隠されていた『何か』を見せてくれる彼女のエッセイはその真骨頂かもしれない

今年=2021年8月22日、向田邦子は40周忌を迎えます

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