人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

沼尻竜典 ✕ 森麻季 ✕ 東響でモーツアルト「交響曲第40番ト短調」、「ドン・ジョバン二」序曲&アリア「むごい女ですって」他を聴く ~ 第37回モーツアルト・マチネ「モーツアルト✕晩年」

2019年08月25日 07時21分17秒 | 日記

25日(日)。昨日の朝日新聞・別刷り「be」の「be  between 読者とつくる」コーナーのテーマは「料理を作るの、好きですか?」でした 

beモニターの回答者1724人による集計結果によると「はい」が54%、「いいえ」が46%だったそうです 「はい」の理由は「健康的、栄養のバランスがいい」(479人)、「経済的だから」(472人)、「作って食べたい献立がある」(412人)、「手作りはおいしい」(401人)、「楽しい、気分転換」(336人)がトップ5となっています 一方、「いいえ」の理由は「調理作業が面倒」(496人)、「料理が下手」(316人)、「他の人が作ってくれる」(273人)、「献立を考えるのが面倒」(254人)、「食材をそろえるのが面倒」(219人)がトップ5になっています

私は週5日間(月~金)は夕食を作りますが、その一番の理由は「働く娘と同居しているから」です もし家族がいない単身家庭だったら食事は作らず 総菜を買ってきて済ますかも知れません ただ、独身時代に1年間アパートで一人暮らしをした経験から言うと、どうしても食べるものが偏ります。ラーメン、餃子、カツ丼、牛丼、焼き鳥、カレーライス・・・毎日のようにこういう料理ばかり食べていたら健康に良いわけがありません したがって、単身の場合でも栄養のバランスは考えると思います それでも、外食は必ず飽きます その一方、「いいえ」の理由はよ~く分かります 私の場合、一番の理由は「献立を考えるのが面倒」だからです。でも、一旦メニューを決めてしまえば、あとはレシピ通りにさっさと作るだけなのであまり悩むこともありません 最近、外食して「これだったら自分で作った方がよっぽど美味しいし経済的だ」と思うことが多くなりました わが家の強みは、山形に単身赴任している息子は毎日自炊して料理の腕を磨いているし、娘は私が現役の時には毎日夕食を作ってくれていたので料理は得意だし、私はまだ半人前とは言え 少しずつレパートリーを増やしつつあるし、と 3人とも料理が出来ることです    さて、お宅はいかがでしょうか

ということで、わが家に来てから今日で1607日目を迎え、トランプ米大統領は23日、中国が米国への報復関税を発表したことに関連し「偉大な米国企業に対し、米国内への生産移管も含め、中国の代替先をすぐに探し始めるよう命じる」とツイッターで述べ、中国からの撤退を呼びかけた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     米国の大統領はいつからそんな権限を持つようになったんだ?  共産主義国家か?

 

         

 

昨日、ミューザ川崎で「第37回 モーツアルト・マチネ モーツアルト✕晩年」を聴きました   プログラムはモーツアルト①オペラ「ドン・ジョバンニ」K.527から序曲、②同:アリア「むごい女ですって」、③「コジ・ファン・トゥッテ」K.588から序曲、④同:アリア「恋人よ、許してください」、⑤交響曲第40番 ト短調 K.550です   ②④のソプラノ独唱は森麻季、管弦楽=東京交響楽団、指揮=沼尻竜典です

沼尻竜典氏は1990年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。現在、びわ湖ホール芸術監督、トウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア音楽監督を務めています

森麻季さんは東京藝大大学院、文化庁オペラ研修所修了。ミラノとミュンヘンに留学。プラシド・ドミンゴ世界オペラコンクール等、国内外のコンクールで上位入賞を果たしています

 

     

 

ミューザ川崎でコンサートを聴くのは「フェスタサマーミューザ」のフィナーレコンサートのあった8月11日以来、ほぼ2週間ぶりです   月日の流れの速さを感じます

自席は1階8列センターブロック右側です

オケは左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置 チェロのトップにはソロや室内楽の活動でお馴染みの上森祥平氏がスタンバイしています コンミス(客員)は1992年生まれ、2014年ロン・ティボー=クレスパン国際コンクール第2位入賞の青木尚佳さんです

1曲目はオペラ「ドン・ジョバンニ」K.527から序曲です オペラ「ドン・ジョバンニ」はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756‐1791)がプラハ国民劇場の委嘱により1787年に作曲しました 1786年にオペラ「フィガロの結婚」がウィーンで大評判を呼びましたが、プラハでも上演されることになり、モーツアルトは1787年にこのオペラの上演のため当地に招待されます その年の1月に彼はプラハに赴きましたが、その時に新しいオペラの作曲を依頼されます。それが「ドン・ジョバン二」です このオペラは同年10月29日にプラハ国民劇場で初演され大成功を収めました

沼尻氏の指揮で演奏に入ります 冒頭の衝撃的な和音はドン・ジョバンニの悲劇的な運命を暗示するかのようです モーツアルトのオペラはその序曲にエッセンスが集約されています 指揮棒を持たない沼尻氏は大きな身振りでデモーニッシュな音の世界を構築します

淡い紫色のエレガントなドレスに身を包まれた森麻季さんが登場し、「ドン・ジョバンニ」第2幕第12場でドンナ・アンナが恋人のドン・オッタ―ヴォに向かって歌うレチタティーヴォとアリア「むごい女ですって」を歌います 森さんの特徴はクリアな歌声です とくに高音部が綺麗で、後半のコロラトゥーラが鮮やかです 目をつぶってブラインド・テストをやっても森さんの声は判別できると思います。声に個性があります

次いでオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」K.588から序曲が演奏されます 「コジ・ファン・トゥッテ」は1789年から翌90年にかけて作曲され、1790年1月26日にウィーンの宮廷劇場で初演されました この序曲もオペラのエッセンスを凝縮したような明るく軽快な曲想になっています オーボエの荒木奏美、ファゴットの福士マリ子、フルートの柳原佑介(客員)による掛け合いが楽しく聴けました

再度 森麻季さんが登場し、「コジ・ファン・トゥッテ」第2幕からフィオルディリージのアリア「恋人よ、許してください」を歌います 森さんはこの曲でも透明感のある美しい歌声で、良心の呵責に苦しむヒロインの心情を歌い上げました


     


プログラムの最後は「交響曲第40番 ト短調 K.550」です この曲は1788年6月から8月までの3か月間に「第39番 変ホ長調 K.543」「第41番ハ 長調K.551」とともに作曲されました モーツアルトの交響曲の中で短調の曲は、この第40番の他には「第25番 ト短調 K.183 」があるのみです 言うまでもなく、どちらも名曲です 第1楽章「アレグロ・モルト」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「メヌエット(アレグレット)」、第4楽章「アレグロ・アッサイ」の4楽章から成ります

演奏に先立って、ティンパニ奏者が退出しました。今までは深く考えなかったのですが、第40番はティンパニの出番がないのです これは数年前に、第39番にオーボエの出番がないのに気付いた時以来の衝撃的な出来事です 「何年クラシック聴いてきたんだ」と非難されそうですが、あらためて自分の無知蒙昧さに呆れています

この曲を最後に生演奏で聴いたのはいつだったろうか、と考えてしまうほど聴いていません 久しぶりにト短調交響曲を聴いて、あらためて「ロマン溢れる哀しみの推進力」とでも表現すべき音楽と感じました この曲の演奏は、木管楽器の誰それとか、金管の誰それとか、誰かの演奏が突出していたということではなく、弦楽器と管楽器がよく溶け込んで見事なハーモニーを奏でていたというのが相応しい言い方だと思います

ところで、この曲の第4楽章「アレグロ・アッサイ」の冒頭部分の演奏を聴いて思い出したのは、小林秀雄の「モオツァルト」です 

音楽評論と言ったらよいのか、文芸評論と言ったらよいのか、単にエッセイと言えばよいのか分かりませんが、あまりにも有名なこの作品の「1」は、

「エッケルマンによれば、ゲエテは、モオツァルトに就いて一風変わった考え方をしていたそうである」

という書き出しで始まっています そして「2」は交響曲第40番の第4楽章の冒頭部分の楽譜を載せた上で、

「もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大坂の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう」

と書き出しています(新潮文庫:小林秀雄「モオツァルト・無常という事」13ページ)。

そして、彼は次のように続けています

「兎も角、それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。街の雑踏の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏したように鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。百貨店に駆け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった。自分のこんな病的な感覚に意味があるなどと言うのではない。モオツァルトの事を書こうとして、彼に関する自分の一番痛切な経験が、自ら思い出されたに過ぎないのであるが、一体、今、自分は、ト短調シンフォ二イを、その頃よりよく理解しているのだろうか、という考えは、無意味とは思えないのである

「モオツァルト」が書かれたのは昭和21年(1946年)でした 当時の「知」の最先端を行く小林秀雄がここで語っている「一体、今、自分は、ト短調シンフォ二イを、その頃よりよく理解しているのだろうか、という考えは、無意味とは思えないのである」という言葉は、73年後における現代の聴衆にも重くのしかかってきます


     

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