人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

迷いなきブルックナー~ユベール・スダーン=東京交響楽団・定期演奏会を聴く 

2012年12月03日 07時00分28秒 | 日記

3日(月).昨日,サントリーホールで東京交響楽団の第606回定期演奏会を聴きました プログラムは①マーラー「子供の不思議な角笛」から,②ブルックナー「交響曲第6番イ長調(ノヴァーク版)」の2曲で,指揮はユベール・スダーンです

「子供の不思議な角笛」はアルニム(1781~1831)とブレンターノ(1778~1842)の二人によって編纂された600編から成る民謡詩集です.この中からマーラーはいくつかを選び曲を付けました 東響定期では,先月も「子供の不思議な角笛」から何曲かを取り上げましたが,今回は別の曲を抜粋して演奏しました.ソプラノのクリスティアーネ・エルツェが「ラインの伝説」「だれがこの歌を作ったのだろう」「麗しきトランペットが鳴り響くのは」「この世の生活」「原光」「番兵の夜の歌」「高い知性への賛歌」の7曲を歌いました

いつもどおり指揮棒を持たないスダーンに伴われて,ソプラノのエルツェがシルバーのドレスに身を包まれて登場します エルツェはある時はしみじみと,ある時は声を張り上げて美しいソプラノを聴かせてくれました 歌詞で面白いのは「この世の生活」です.子供と母親とのやり取りの歌ですが,空腹な子供が「お母さん!おなかすいた!パンをくれないと死んじゃうよ!」と言うと,母親は「待っててね,かわいい坊や.明日,急いで麦をもらおうね」と答えます.麦を刈り入れ終わり,また子供が同じように訴えると,母親は「明日,急いで脱穀しようね」と答えます.脱穀を終わり,また子供が同じように訴えると,母親は「明日,急いでパンを焼こうね」と答えます.そして,パンが焼き終わったとき子供が横たわるのは棺の中!というものです.これはシューベルトの「魔王」と同じ世界です

次いで歌われた「原光」は交響曲第2番”復活”の第4楽章に転用されました この曲ではオーボエのソロがありますが,荒絵理子のソロは背筋が寒くなるような感動的な演奏でした.器楽がどんなに優れていても人間の声には太刀打ちできないのが当たり前ですが,この時の彼女の演奏は人声を超えて心の機微に訴えかけてきました 私が東響の定期会員を続けている一つの理由は彼女の演奏が聴けるからです

 

          

            東京交響楽団プログラム12月号の表紙はクリムト作

            「ベートーヴェン・フリーズ 第3場面~歓喜・接吻」

 

2曲目のブルックナー「交響曲第6番イ長調」は,作曲家の生前に全曲が演奏されることがありませんでした ブルックナーはあまりにも自作に自信を持てず世の批評ばかり気にしていたようです.1883年2月にヤーンの指揮で第2,3楽章のみが演奏され,全曲が演奏されたのは1899年2月(ブルックナーは1896年に死去),マーラーの指揮によってでした

スダーンの合図で第1楽章「マエストーソ」が高速のテンポで開始されます.ひと言で言えば「迷いなく突き進む演奏」とでも言うべき力強い演奏です

実はここ数日,オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団のCDで予習していたのですが,あまりの違いに面喰いました というのは,クレンペラー盤が「ハース版」による演奏なのに対してスダーンは「ノヴァーク版」を使用しているのが一つの理由です.それに加えてテンポ設定の違いが顕著です.クレンペラーの演奏は悠然としたものなのに対して,スダーンの演奏はスピード感溢れるものです.クレンペラーの現役全盛の1960年代と現代の2010年代とでは50年の開きがあります.もちろんテンポの速い遅いだけで演奏が古いとか新しいとか判断できるわけではありませんが,重要な要素の一つであることに間違いはないでしょう

 

          

 

第2楽章「アダージョ」は一転,神への祈りの音楽です.ブルックナーの音楽を聴くときにいつも感じるのは”神”の存在です.彼は神のために音楽を作ったのだと思います

ブルックナーの特徴の一つでもある「スケルツォ」の第3楽章を経て第4楽章「フィナーレ」を迎えます.ホルン,トランペット,トロンボーン,バス・チューバといった金管楽器を中心に大管弦楽によって圧倒的なフィナーレを飾ります

スダーンの右手が上空を突き刺し,最後の一音が鳴り終わると,一瞬のしじまが訪れます.客席は物音一つ立てません.そして,後方の席からためらいながら拍手が起こり,徐々に会場全体に伝搬していきます 最後に拍手とブラボーの嵐が舞台に押し寄せました それは,演奏者に対するブラボーですが,この演奏会に限って言えば,聴衆自らへのブラボーだと言っても過言ではありません

何度も舞台に呼び戻されたスダーンは,つかつかとヴィオラの一番後方まで歩いて行き,一人の女性奏者の手を両手で握って声をかけていました 多分「今日が最後の演奏ですね.オーケストラの一員として頑張ってくれてありがとう.長い間お疲れ様でした」と言ったのだと思います.「サプライズ」だったのでしょう.その女性は急な展開に戸惑っているように見えました.スダーンが指揮台に戻っていくとハンカチで目頭を押さえていました スダーンは漢字で素(敵)男と書くのかも知れません.優しい心の持ち主なのでしょう あと1年少しで東響の音楽監督を去るのはいかにも惜しいと思います

良い気分で外に出てカラヤン広場を横切ると,大きな光のツリーが出迎えてくれました.もうすぐクリスマス,ですね

 

          

 

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