明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2445)日本は必ず負ける戦争にのめり込んだ 誰もこの国を守ろうとはしなかった-8月15日に思う

2024年08月15日 22時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240815 22:00)

8月15日に戦争について考え直そう

2020年8月15日に書き、同年12月8日に動画配信と共に再掲した記事をリメイクしてお届けします。
何度でも確認しておくべき重大な事実がここにあるからです。
まずは動画をご紹介します。ぜひご覧下さい。


日本の指導層はアメリカに勝てないことを知りながら戦争にのめり込んだ

1941年12月8日、大日本帝国政府はハワイの真珠湾にあった米海軍基地を奇襲し、日米戦争の火ぶたを切りました。
この戦争を捉え返すのに大事な示唆を与えてくれている番組をご紹介します。NHKが2011年に「日本人はなぜ戦争へ向かったのか」と問うて作成したドキュメントの4回目「開戦・リーダーたちの迷走」です。

日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回「開戦・リーダー達の迷走」
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001200050_00000

とくに秀逸なのは、開戦当時、天皇を囲んだ御前会議、そこに方針を提出する大本営政府連絡会議に出ていたすべてのメンバーが、日本はアメリカに絶対に勝てないと認識していたことを描いたこと。米日の当時の国力差は総合力で80対1。誰がどう考えても勝てるはずなどなかったのです。
番組は政府と陸海軍の誰もがそう考えていたのに、絶対に勝てない戦争に日本がのめりこんでいった過程を描いています。





なぜ戦争を回避できなかったのか

絶対に勝てない戦争をなぜ回避しなかったのか。最大の理由が、自分たちがさんざん戦争熱を煽ったために好戦的になっていた日本民衆を恐れていたことにあったのことを番組は描いています。
このころ日本はアメリカに、中国からの撤兵を要求されていましたが、それまで20万の兵士の死をもたらし、国家予算の7割をもつぎ込んでいたため、引き下がることができなくなってしまっていたのでした。

しかしとても勝ち目がないこともはっきりしていました。海軍は何度も繰り返した演習からも、米軍に勝つ道がないことを熟知しており、このため先に陸軍に戦争を回避を言いだしてもらってのろうと考えました。
陸軍は陸軍で、すでに中国との戦争の泥沼にはまっていて、とても新たにアメリカとの戦争をかまえることなどできないことを熟知していました。それで先に海軍に戦争を回避を言い出してもらいのろうと考えた。そして結局、両者は共に黙り続けたのでした。

そんな中で内大臣木戸孝一の推薦のもと、東条英樹内閣が生まれましたが、なんと木戸によると狙いは戦争回避にあったのでした。「天皇に忠実な東条なら、天皇が戦争回避を命令すれば陸軍を抑えられる」と考え、東条を選んだと言うのです。
しかし昭和天皇もまた「戦争を止めよ」と言いませんでした。結局、誰もが開戦すべきでないと思っているのに、誰もがそれを言い出さず、結果的に絶対に勝てないと分かっていた対米戦争にのめりこんでいったのでした。


誰も国を守ろうとは思わず身体をはりもしなかった

このあまりにばかばかしい事態がなぜ生まれたのか。番組の最後で、佐藤賢了元陸軍省軍務課長がこう述べています。「独裁的な日本の政治ではなかった。だから(戦争回避)はできなかったんです」
「こうした日本人の弱さ、ことに国家を支配する首脳、東条さんをはじめ我々の自主独往の気力が足りなかったことが、この戦争に入った最大の理由だと思います」

しかしそうではありません。こんな捉え方はまったく間違っています。はっきりしているのは、誰も命をかけてこの国を守る気概など持ち合わせていなかったということです。責任感や倫理感もまったく欠けていたのです。
もちろん昭和天皇もそのうちの一人でした。誰もが勝つのは無理だと知っていたのだから、大元帥であった天皇が「戦争をやめよ」と命令すれば、誰もが喜んで従ったに違いなかった。にもかかわらず言い出さなかった。

誰かが止めれば、あの戦争は回避できたのでした。何百万という人々が死ななくても良かったのでした。
にも関わらずこの国は対米戦争に突入し、太平洋戦線で敗北を重ね、やがてアメリカに本土空襲、沖縄地上戦、原爆投下という大量虐殺を繰り返されて、おびただしい死者を出した上に崩壊したのでした。


● 戦争の苦しみ、悲しみの中から憲法が生まれた!

その後、この国は平和憲法を持ち、戦争を否定して今日まで歩んできました。戦争で傷ついた人々、わたしたちの親や先達が、懸命になって民主主義を育ててきてくれました。
そんなことがいま、NHKの朝の連ドラ『虎に翼』にも反映され、あらためて感動を呼んでいます。それで僕もこの番組に即し、私たちが憲法の何を魂として受け取り、育んでいかねばならないか、この間論じてきました。
動画と記事をご紹介します。ぜひご覧下さい。

明日に向けて(2421)『虎に翼』から考える 原発は憲法違反だ!-全文の文字起こしをお届けします
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/19d72ace125bbb34c52c65cf5a77c306


同じことを繰り返させない!

しかし勝つ見込みのない戦争に国をひきずり込んだこの国の支配層は、戦後はアメリカに全面的に擦り寄ることで生き延び、その戦争政策を支えてきました。
朝鮮戦争特需で「復興」を果たし、さらにベトナム戦争でも大儲けをしてきました。たいへん恥ずべきことです。その後も日本政府は、アメリカの戦争政策をすべて肯定し、支えてきました。

そんな中でこの国は、世界有数の地震大国であるにもかかわらず、アメリカに押し付けられて原発を次々と建てはじめ、危険を指摘するたくさんの声を無視し続けた挙句に、福島原発の大事故を起こし、国の半分がなくなりかねない危機に直面しました。
しかもそれでもいまもなお、この国の支配層は原発にしがみついています。南海トラフ地震(西日本大震災)発災の可能性の高まりを自ら公言し、新幹線を徐行させたり、ビーチを立ち入り禁止にしたりしながらです。あまりに愚かです。

なぜこんなことが繰り返されるのか。今もあの時と同じだからです。この国の支配層の誰も、この国を大切だとは思っていないし、この国の山河など愛してなどいないし、いわんや人々を守る気などさらさらないのです。
しかしあの時と今は全てが同じなのかというと、それも違います。戦後、日本民衆は、憲法で得た人権を活かしつつ、かつての侵略戦争を捉え返しながら、アメリカの戦争政策への政府への加担に対し、さまざまな抵抗運動を作りだしてきたからです。

原水爆反対運動やベトナム戦争反対運動などはその典型で、やがてそれは成田空港反対の大きな運動を作りだし、さらにいま、沖縄の米軍基地の辺野古への移設を阻む力ともなっています。
さらに福島原発事故後、より多くの人々が政府のウソに気づき、覚醒しました。原子力平和利用に騙されていた自分たちの過ちにも気づきだし、世論の大半が原発反対を唱える状態を生み出すにいたっています。

私たちがしっかりと踏まえなければならないのは、この私たちの力こそが、この社会の本当の安全を守り、平和を支えているのだということです。だから私たちはパワーアップしましょう。すべての愛するもののために。
8月15日にみなさんとこのことを誓いあいたいです。


すべての戦争と核の犠牲者への想いを胸に 長崎の日のキャンドルビジルより

#8月15日 #終戦記念日 #日米戦争 #太平洋戦争 #負けると分かっていた #御前会議 #責任のなすりつけあい

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明日に向けて(2444)南海トラフ地震発生の可能性の高まりが告げられる中、『原発からの命の守り方2024』を読む会を開催中です。ご参加を!

2024年08月14日 10時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240814 10:30)

南海トラフ地震(西日本大震災)など巨大地震発生の高まりに対し原発を止めることが必要

南海トラフ地震(西日本大震災)発生の可能性の高まりが政府より告げられました。これを受けて新幹線が徐行したり、被害想定地域のビーチが閉鎖されたりしています。
ところがそんな時であるにも関わらず、伊方原発をはじめ、幾つもの危険地帯にある原発が稼働を続けています。
あまりに無謀で愚かで無責任。危険な原発をなんとしても止める必要があります。そのために何が必要なのかを考え抜く場として『原発からの命の守り方2024』を読む会を開催しています。
以下からお申し込みできます。画像クリックでイベントページに飛べます。
https://forms.gle/m8sgasA8GmPVtJiJ7

『原発からの命の守り方2024』を読む会


『原発からの命の守り方2024』は無料でダウンロードできます!

『原発からの命の守り方2024』は僕が作成したもの。これを無料でお配りしています。まずはぜひ手に取って見て下さい。以下から入手できます。
https://forms.gle/pYWuksJT2tuinLVb7
冊子版(有料)も作りました。以下からお申し込み下さい。
https://forms.gle/T8EeCkJP4d1wW6Eb9


『原発からの命の守り方2024』は3月末にリリース

このパンフレットを出版したのは今年の3月末。福島原発事故から13年を踏まえ、原発問題の基礎から最新情報、被曝被害の真相まで深掘りしました。
とくに福島原発事故は今年になって、その進展のあり方がこれまで分析されてきたものとは大きく違っていたことが見えてきたので、最新情報を盛り込みました。
13年も経ってやっと分かった重大な事実が幾つかあるのですが、これらをきちんとつかめば、もうこれ以上、原発を動かしてはならないことがより鮮明になります。


福島原発事故に関する驚くべき新事実をスクープした『福島第一原発事故の「真実」』の内容を反映!


読む会を開催中

読む会は8月3日からスタートしています。zoomにて開催で全5回です。主催はにょきにょきプロジェクト。
原発についてのイロハから、最新情報までしっかり学んでいるので、これに参加すれば、原発に関する初歩から専門領域までかなりしっかりつかめます。
「原発のことをどこかでしっかり学ばないと。でも忙しくて時間がとれない」と思っている方にうってつけの講座です。


8月3日の読む会から 守田がスクショ


原発を止めるために一番大事なのは以下の3点

とくに「原発に展望がないことをしっかりと見極める」ことを重視しています。そもそも原発は技術的な難問を超えられておらず、安全性が確保できていません。核燃料サイクルの夢ももう終わったので原子力政策はオワコンです!
同時に大事なのは、民衆に力があることをもっと強く自覚すること。福島原発事故後、私たちは21基の原発を廃炉にし、輸出も1つもさせていません。能登半島珠洲原発だって民衆が建てさせなかったのです。なのに力がないと騙されちゃダメ!
一方で残念ながら放射能の被害は深刻に広がっています。福島だけでなく首都圏、とくに東京の汚染も深刻です。この現実としっかり向き合ってこそ未来の明るい展望が拓ける。この厳しいことにもみんなで立ち向えば怖くありません!


守田講演スライドより


討論に参加する中で怒りを力に替えよう!

「巨大地震が迫ってきているのになぜ原発を止めないのだ」と腹を立てているみなさんにもぜひ参加して頂きたいです。
地震と原発の関係性を深掘りしながら、その怒りを、原発を止める力にどうしたら替えられるのか、そのためにどういう観点が必要なのか、みんなで討論しているからです。
ぜひ味わっていただきたいのは、こうしたことを討論によって体得していく醍醐味です。単なる知識の習得ではない。言葉を交わす中で思いを重ねていく行為がとても大事だし、面白いし、やりがいがあるのです。この点は百聞は一見に如かず!強くお誘いするのはこのためでもあります。


事前ににょきにょきプロジェクトで討論を重ね、工夫を凝らして臨んでいます!


学び方はいろいろ

zoomに参加していただいて、一緒に学ぶことを基本スタイルとしていますが、リアルタイムで参加できないときも、あるいは後からもう一度じっくり学び直したいときも、アーカイブもお届けしますのでそれをご覧になれます。
またあとから振り返って新たに疑問がでてきた場合も、可能な限り、お答えする動画を作成し、それをまたみんなで共有する形もとっています。
ちなみに1回目の内容は「能登半島地震・珠洲原発・志賀原発を問う」「福島原発事故とは何だったのか」でした。これもアーカイブで学べます。2回目は10月5日土曜日午前10時半から。さらに12月、2月、4月の第一土曜日午前10時半から行います。


第1回は最初の2項目を扱った


大好評の『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』も使います!

にょきにょきプロジェクトで作成し、あちこちで読む会などに使って頂いてきた『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』も適宜使用します。
これも参考文献とすることで、原発のこと、放射線被曝のことをじっくりとなおかつ楽しく、みんなで学べます。このBOOKの入手先も示しておきます。
https://nyoki2pj.com/lp/info_yomitokibook/
製本版お申し込みは以下から
https://onl.bz/qKRSYkW


参加代金は別表をご覧下さい

1回1000円ですが5回まとめると3500円
またにょきにょきプロジェクトの各種コースに参加すると無料、ないし割引適用になります。
詳しくはこのページをご覧下さい。https://toshikyoto.com/press/8764.html


ご参加をお待ちしています!

みなさま。ぜひ『原発からの命の守り方2024』を使った討論の場にご参加下さい。
お申し込みは以下から
https://forms.gle/m8sgasA8GmPVtJiJ7 

*****
#原発からの命の守り方 #にょきにょきプロジェクト #守田敏也 #にしむらしずえ #下澤陽子 #放射線副読本すっきり読み解きBOOK #原子力政策はオワコン #原発は止められる #放射能被害の広がりと向き合おう #核なき未来へ

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明日に向けて(2443)科学者たちは沈黙し隠ぺいに加担。このため多くの人々が被害を認められず、苦しみ続けてきたー再再掲 NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー4

2024年08月12日 16時50分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)
守田です(20230808 17:00)

NHKBS1スペシャルの文字起こしの4回目をお届けします。なお小見出しは守田がつけました。

NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-4回目
2023年8月6日再放送

● 長崎間の瀬地区も被爆させられ見捨てられ続けている 

残留放射線の研究が進まなかったことで、被爆者として認められないという人たちがいます。西山より遠い、爆心地から7.5キロに位置する間の瀬地区です。

鶴武(つるたけし)さん(84)。原爆の影響によって家族がガンに苦しめられてきたと訴えてきました。

原爆が投下されたとき、8歳だった鶴さん。
「ここが私たちが住んでたとこです。」

その日降った雨に当たり、脱毛の症状が出たといいます。

鶴さん
「私は髪の毛が薄なって、くしにかかってから、くしを外さもできんよと、そげんつらい目に遭ったということは事実や。」
「ここが池になっとったです。」

当時、間の瀬地区では、池や沢の水が暮らしに欠かせないものでした。

「飲んだら危険ちゅうことは誰もわからんけんで、それを飲んだり、料理も、何をすっとも一緒。」

家族に異変が生じたのは、原爆投下から15年ほど経ったころ。

「腹の腫れたり、首の腫れたりしとったけんね。それば思い出して。」

間の瀬地区で育った4つ上の姉、愛子さんが亡くなったのです。

「胃がんにもなっとったけえ。腹がこう、大きくなっとった。人間もあげんなってしもうとやろかって思うごた、辛い目におうとっとじゃもん。」

間の瀬地区でも原因不明の病で亡くなる住民が相次ぎました。しかし国から被爆者として認められていません。
住民たちが綴った国への請願書です。

請願書
「ドシャブリの雨に濡れて」「幼子が原因も解らない病気で日増しに悪くなり、食べ物も食べずに死んでいきました。」
「厚生省のお役人様。私たちは今だに何の命の保障もありません。」



● 世界は残留放射線を無視したまま核災害を繰り返してきた

その後も、核兵器の開発を押し進めた世界は、残留放射線の存在から目を背け続けました。



1954年、アメリカはビキニ環礁で核実験を実施。

爆発の際に出た放射性物質が広範囲に降り注ぎ、日本の第五福竜丸が被爆しました。

さらに、核の平和利用を掲げた原発で事故が発生。(スリーマイル島原発事故1979年)放射性物質が放出され、その影響が議論されます。



そして1986年、チェルノブイリ原発事故で、史上最悪の放射能汚染事故が起きます。



原子炉から出た大量の放射性物質が、外部に拡散。WHOでは「被爆による死者は9000人に上る可能性がある」と推定しています。


● ソビエトも被爆実態をつかみながら恣意的に情報を操作していた

ナレーション
広島・長崎以来、最悪の放射能汚染問題に直面したソビエト。

ロシア国立社会政治史文書館
実は、ソビエトも76年前に、原爆初動調査を行っていました。

ロシア国立社会政治史文書館職員
「これは共産党中央委員会の対外政策関係の資料です。」

ソビエトが被爆地(広島と長崎)に調査員を派遣し纏めた報告書です。
「ソビエト原爆調査報告書 1945年9月~46年9月」



「被爆地は報道されていたほど、恐ろしい状況ではないようだ。放射線で多くの人が亡くなったのは、医療支援を行わなかったためである。」

原爆の被害はほとんど無い・・と報告していたのです。

私たちはウクライナで、当時報告書を纏めた人物の遺族(ラリーサ・トロヒーメンコさん)に会うことができました。

クズマ・デレビヤンコ(対日理事会ソビエト代表)。
当時の指導者スターリンに高い外交手腕を買われ、日本に派遣された人物です。デレビヤンコは手帳を残していました。

手帳
「ヒロシマでの原爆の被害がすさまじい。」

手帳には、報告書とは異なる原爆の被害の凄まじさを物語る内容が記されていました。

ソビエトの調査団が撮影した被爆地の映像です。(1945年9月)調査員は地元の人から残留放射線の被害と見られる実態を耳にしていました。

「被爆地で目にしたのはひどい被害だった。警察官から『街中では恐ろしい疫病が蔓延しているから行かないほうがいい』と言われた。」

デレビヤンコは帰国から4年後、膵臓ガンで死亡しました。

遺族ラリーサ・トロヒーメンコさん
「脱毛が始まって、他にも不調があるようでした。原爆投下から間もない時期に、被爆地で調査したことが原因だろうと思っています。こんなことになるなんて。」


● スターリンのアメリカへの対抗意識から原爆の威力を否定。チェルノブイリ事故でも情報操作が行われた

何故、ソビエトの原爆調査員は、実態とは異なる報告をしたのか?スターリンの政策を研究する歴史学者のニキータ・ペドロフさんです。
当時、スターリンはアメリカへの対抗意識から、原爆のあらゆる威力を否定していたと指摘します。

ニキータ・ペドロフ
「報告書は、ソビエトが原爆を恐れていないことを示しています。これはスターリンが当時、個人的な会合で『原爆は報道されている程恐ろしくない』と語った政治方針に沿ったものでした。
調査員には、報告書を読む側の政治的な要求を満たすことが求められたのです。」

ロシアの核政策に長年携わり、チェルノブイリ事故の医療対策責任者を務めたレオニード・イリイン博士です。
イリイン博士は、科学が政治に左右される状況は、今も変わっていないと言います。

レオニード・イリイン博士
「私たちがチェルノブイリの大惨事を調査した時もそうでしたが、放射線の値を引き上げたり引き下げたりする問題は、かなり恣意的なものでした。例えば、ストロンチウムの汚染度など、全て恣意的に決定していたと非難されたものです。」

残留放射線については、データが高く見積もられていても、低く改ざんされていても、私は気にしません。」

そして2011年。東京電力福島第一原子力発電所で水素爆発が発生。今も、世界は放射線を巡る難題に直面し続けています。




● 残留放射線の影響を日本も無視し続けてきた

アメリカとソビエトが否定する残留放射線の影響に、日本はどう向き合ってきたのか?
原爆投下直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」。「健康被害を受けた」と訴える住民は、自分たちを被爆者と認めるよう、長年、国と争ってきました。



国は「住民が主張する黒い雨による健康被害の科学的根拠は無い」とし、一定の条件が認められた人以外は、援護してきませんでした。

7月(2021年)、広島高等裁判所は住民の主張を認め、国が指定する区域以外にも健康被害が及んでいると判断。国も上告を断念しました。

そして国は、被害を訴える人を認定する新たな基準を作るため、広島県や市と協議を始めています。

一方、今も被爆者として認められていない、長崎県間の瀬地区の住民たち。長崎県と市は、被害を訴える人を被爆者として認定するよう国に訴えていますが、見通しは立っていません。

鶴武さん
「政府の人にも認めてもらえないちゅうことで 誰に頼ればよかでしょうかっちて。
我々は議員でもないし何でもない。でも苦しむだけ苦しんでいる。言いたいことが全然通じないっちゅうことで、情けなかですたい」


● アメリカも被害を受けた元兵士の訴えを無視

アメリカでも残留放射線による被害を訴える人がいます。ジェームス・スネレンさん。94歳です。
原爆投下から五週間後、長崎に駐留していた時に被爆。帰国後に皮膚ガンを発症したと主張しています。

ジェームス・スネレンさん
「異なる2人の医師から、私の皮膚ガンは放射線による被ばくの可能性が50%以上であると診断されました。同じ部隊の上官は白血病で亡くなり、砲術将校も胃がんで亡くなりました。仲間の多くが放射能で亡くなっているんです。」

アメリカ政府もまた、スネレンさんの訴えを却下しています。
今も、核兵器の開発を続けるアメリカ。

トランプ政権で、国防次官補代理を務めていたエルブリッジ・コルビーさんです。
アメリカの核戦略と残留放射線の認識について聞きました。

エルブリッジ・コルビー氏
「アメリカは中国と覇権争いをしており、戦争を抑止する”準備”が必要でした。その為の選択肢として小型の核兵器の配備が議論されようとしています。」

NHKスタッフ
「それは残留放射線を出さないのですか?」

コルビー氏
「地中で爆発させたら多くの残留放射線が発生しますが、空中だと最小限で済みます。爆発させる高度が非常に重要です。」

「高い地点で爆発させれば、残留放射線の影響はほとんどない。」 その論理は76年前と変わっていませんでした。


● 真実を語らなかった科学者の苦悩

76年前のあの日、原爆初動調査に携わった人たちは、残留放射線の実態を把握しながら、国家の大義を優先し沈黙しました。被爆地を調査した医師や科学者たちはその後、どんな人生を送ったのか・・?

ジェームズ・ノーラン医師の孫のノーラン教授
「これが私の祖父です」

ジェームズ・ノーラン医師。マンハッタン計画に参加し、その後、広島で調査を行った放射線の専門医でした。

ノーラン教授
「祖父に『日本はどうだった』と聞くと『想像を絶する惨状以外の何ものでもなかった』と答え、それ以上、何も話しませんでした。祖父は生涯、深い苦悩にさいなまれていました。」

残りの人生を、患者の命を救うことに捧げたというノーラン医師。真実を言えなかったという負い目があったと、遺族は考えています。

ノーラン教授
「グローブスは『医師たちがこう言っています』などと言うことで、医師の専門性を利用していました。ある意味では、祖父たち科学者も共犯者になっていたのです。
祖父は戦後、核実験が行われたという記事を読むたび、こう嘆いていました。『あいつらは核の恐ろしさをわかっていない』。」

原爆初動調査を統括したグローブス少将。その後、中将に昇進し、核開発計画を指揮し続けました。73歳で亡くなるまで「残留放射線は皆無である」という見解を変えることはありませんでした。

アメリカが長年にわたって残留放射線の調査を続けていた長崎西山地区。現在、「放射線量は減衰し、自然界と同じレベルだ」とされています。

西山地区で生まれ育ち、白血病の為に命を落とした松尾幸子さん。亡くなってから54年が経ちました。

松尾トミ子さん
「訳が分からずに、ただ白血病ということだけで亡くなってですよ、無念だったんじゃないかな。」

幸子さんが亡くなる前、家族に手紙を書いていました。

松尾幸子さんの家族宛の手紙
「私の病気は、今の医学ではどうすることも出来ないものです。どんなに立派な薬を飲もうが、名医であろうが同じことです。くれぐれも体に気をつけて下さいね。ごめんなさいね。さようなら。」

原爆初動調査。
そこで分かった事実が明らかにされていれば、救えた命があったはずでした。何故、調査は隠蔽されたのか?そして何故、痛みは放置され続けるのか?
被爆地からの訴えです。

~資料提供~
広島平和記念資料館
長崎原爆資料館
広島市公文書館
理化学研究所
東京大学総合研究博物館
資料映像バンク 主婦の友社
共同通信社
朝日新聞社
毎日新聞社
中国新聞社
中国放送
長崎放送
岸田貢宜
岸田哲平
尾糠政美
松田弘道
ロシア連邦国立公文書館
ロシア国立社会政治史文書館
Getty Images atom central
Buyout Footage NC State University
US Army Heritage Education Center
Yale University Medical Historical Library
National Museum of Nuclear Science and History
National Archives and Records Administration
UCLA Library Special Collections
McGovern Historical Center
Texas Medical Center Library
Atomic Heritage Foundation

取材協力
高橋博子
港区立郷土資料館
Dr.Janet Brodie
Paul Liebow 
David Holloway

声の出演
小林勝也
菅生隆之
今井朋彦
久保田民絵
田村勝彦
山像かおり
大場泰正
佐古真弓
清水明彦
田中明生
斉藤志郎
外石 咲

語り:広瀬修子 濱中博久
取材:喜多祐介
撮影:三好学
照明:富田弘之
音声:落原徹 若生正和
CG作成:倉田裕史
映像技術:押鐘慎司

コーディネーター:エテリ・サコンチコワ イーゴリ・ヘラスコ
リサーチャー:渡辺秀治 ナタリヤ・ゴリャーチェヴァ
編集:河野達則 樋口俊明
音響:日下英介 田中繁良
ディレクター:佐野剛士 水嶋大悟 大小田紗和子 
制作統括:佐藤稔彦 小口拓朗

制作・著作 NHK広島 福岡

文字起こし終わり

素晴らしい番組を提供してくださったNHKのスタッフのみなさん、番組協力者のみなさんに深い感謝を捧げます。

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKBS1スペシャル #残留放射線 #ソビエト原爆調査 #スターリン #黒い雨 #長崎間の瀬地区 #沈黙した科学者たち #被爆地からの訴え

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明日に向けて(2442)米軍は長崎西山地区の人々を被爆されるままに任せつつ観察し続けたー再再掲 NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー3

2024年08月12日 16時45分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)
守田です(20240812 16:45)

NHKBS1スペシャルの文字起こしの3回目をお届けします。小見出しは守田がつけました。なおここから後編となりますが、冒頭の3分半ぐらいは前半のダイジェストなので割愛しました。

● アメリカは西山地区で被爆による健康被害を克明に調べていた

NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-3回目
後編 見過ごされた被害 そして世界は核を求めた
2023年8月6日再放送 

ナレーション
爆心地から3キロにある長崎市西山地区です。
山を隔てているため、原爆の熱戦や爆風は届かず、直接の被害はほとんどなかったとされています。ところが戦後になって、住民の体調不良や、突然亡くなるケースが相次ぎました。

原爆投下から30年余り、それまで元気だった働き盛りの男性が、突然白血病で命を落としました。

岩﨑恒子さん(85)です。
西山地区で生まれ育った夫の岩﨑精一郎さんを44歳で亡くしました。



「これがミカン狩りをした時の写真。」

精一郎さんは、他の農家に先駆けて観光農園を開くなど、地域の期待を背負った存在でした。

「元気だったですもんねえ。『長崎県一になる、みかんば植える』一生懸命、意気込みしてたんですけどね。」



4人の子どもにも恵まれた精一郎さん。それは突然の宣告でした。

「白血球がものすごく多くて、人の何倍もあるって言われて。あとね、三月ぐらいですよって。私には絶対、俺は死ぬってことは、言わなかったですもんね。でも最後にはね。(子どもを)学校だけは出しなさいって。」

「私、(医師に)聞いたんですよ。これ原爆の関係ですか、身から持ち出しですがって聞いたら『わからない』っておっしゃいました。」

夫の死後、農業の仕事を引き継ぎ、四人の子どもを育て上げた恒子さん。なぜ夫は白血病で命を落とさなければならなかったのか。今も考え続けています。

「(婚姻時の写真を指して)これね、私が亡くなったら、ひつぎに入れてくれって言ってるんです。
お年寄りが手をつないで歩いていく姿を見てね。私も年をとったら、あんなんして手をつないで歩きたかったなと。



原爆にあったからこんな病気になったとはっきりしたらねえ、いいんですけど。それも分からないまま。」

こうした住民たちの疑念をよそに、アメリカは西山地区で、長期にわたって調査を続けていたことが分かりました。

原爆投下から5年後の1950に纏められた残留放射線の報告書です。詳しい聞き取りと共に、住民の写真も添付されていました。

報告書
「農家の中尾夫人は、原爆が投下された時にかぶっていた綿のほおかぶりを倉庫から持ってきてくれた。彼女は原爆の後にやってきた泥の雨が、このてぬぐいの上に降ったと語った。」

中尾恒久さん。86歳です。
「ははあ。これはここですねぇ。これはたぶんうちの母親でしょうね。」

写真の女性は母親のたかさんでした。原爆が投下された時、10歳だった中尾さん。アメリカの調査団が家を訪れ、雨について調べていたことを覚えていました。

中尾さん
「原爆の落ちたときは暑かったとですもんね。雨降ってきたちゅうて外に出おったとですよ。雨っていうてもドロドロした、ちょっと油っこかった雨だったですよ。」

報告書では、残留放射線と雨との関係について分析していました。
「住民によると西山地区に降った雨は赤みがかった黒色で、異物が混じった大粒の雨だったと言われている。
配水管が詰まるほど濃い雨で、貯水池の水には苦みがあり、1週間ほど飲めなかったと語った。」

中尾さんの母親が8月9日に使っていた手拭いについても調べられていました。

「中尾夫人のほおかぶりをX線フィルムでサンドイッチ状態にした。そして横田基地のラボでそのフィルムを現像すると、おなじみの放射性物質の斑点が見られた。」

アメリカはどれだけ放射線が残留しているか、中尾さんの畑や家の屋根などあらゆるサンプルを集めていたのです。

先祖代々、農業を営んできた中尾さん。調査団はこの畑についても入念に調べましたが、その理由については明かしませんでした。



「ちょうどあそこら辺の、ハナモモが植わっている辺やったですよ。(調査員が)傘をさしてですね、泥をとって。当時は目的とか何とか、そういうことは言わんですね。」

● 西山地区は核爆発による放射性物質拡散のモデル地区にされていた

なぜ、アメリカは西山地区を調査し続けていたのか?私たちは、報告書を作成した人物の遺族を訪ねました。

マーグレット・レベンソールさんです。

今年父親の遺品を整理した時に、膨大な原爆の資料を発見しました。
「原爆に関する研究は重要性が高いと思ったので全部残しておきました。」

父親の名前は、リオン・レベンソール。



放射線を分析する装置を開発する会社、トレーサーラボ(Traser lab)に務めていました。レベンソール残した手記には、西山地区を訪ねた理由が書かれていました。

「Traser labは空軍と契約していて AFOAT-1(Air Force Office Atomic Energy1)と呼ばれる秘密組織が存在した.。
その目的はソビエトの核実験の爆発の際に出る放射性物質の検知であった。」

当時、ソビエトは初めての核実験を成功(1949年)。米ソの核開発競争が激しさを増していました。



レベンソールは大量の放射性物質が降り注いだ西山地区をモデルに、核爆発で放射性物質がどのように広まるのかをつかもうとしていたのです。

レベンソールの部下の、ロドニー・メルガードさんです。西山地区には大量の放射性物質が残されており、格好の研究場所だったと言います。

NHK取材班スタッフ
「広島・長崎の原爆で、残留放射線は存在していましたか?」

ロドニー・メルガード
「はい、もちろん。原爆を開発した科学者たちは正確に把握していました。爆発直後、放射性物質の90%は空気中にあり、小さな粒子が風に乗って浮遊していたはずです。
風下であれば数㎞離れた場所でも、命を脅かすような放射線の影響が出ていたでしょう。」

西山地区の土をアメリカに持ち帰ったレベンソールは、人体への影響の手がかりも見つけていました。放射性物質の核種です。
核種とは原子核の種類のことで、陽子と中性子の数によって放射性物質の種類を特定できます。

リオン・レベンソール
「我々はバークレーに戻って土を分析したところ、放射性ルテニウム(Ru-106)とセリウム(Ce-144)が見つかった。これらは最初のプルトニウム原爆(長崎原爆)から出たものであることが確認された。」

私たちはレベンソールの資料を、残留放射線を長年研究する物理学者の星正治教授と、放射線影響科学専門の大瀧慈教授に見てもらいました。

広島大学星正治名誉教授
「こういう測定ができるというのは、ものすごい量の放射能があります。僕の感覚から言うと。このルテニウムとセリウム。これはよく核実験の後で見つかる「核種」やから。
体にもし入ったとしたら、放射能によって体のどこにいくか、「プルトニウム」や「ストロンチウム」は骨にいくとか、「セシウム」は筋肉とか違うから、だから核種の同定は必要ですよ。
広島・長崎の「核種」を同定(確定)した話はないと思うな。」

もし、核種の情報が日本に伝えられていたら、原因不明の死や、体調不良を訴える住民の為の研究が進んでいた可能性があります。

広島大学大瀧慈名誉教授
「なぜいままで隠されてきたか?公やけな、公的なね、報告がなされてきてなかったか?そちらこそ問題があると思うんです。」



「この結果、このデータに関連するようなですね、調査とか研究が行われていないとは、むしろ考えにくいんですよ。」



1950年にレベンソールが(米)国の原子力委員会で行った報告です。

レベンソール
「長崎と広島で低レベルの放射性物質が、広範囲にわたって点在し続けている証拠に多くの関心が寄せられた。
被爆地域の肥料に現地住民のし尿が用いられるため、除去された放射性物質はその地域に戻されるだけでなく、汚染されていない地域にも散布されることが考えられる。



残留放射線の影響は、アメリカが行っている被爆者の遺伝子研究にも重要な意味を持つ可能性がある。」

アメリカは日本が独立した後も、残留放射線の影響を継続しました。しかしその成果は、西山地区の住民達に伝えられることはありませんでした。

アメリカの調査対象になっていた西山地区の住民、中尾恒久さん(86)です。

訪問した診療所の医師
「きょうは甲状腺の超音波の検査をしますからね。」

長年、病に苦しみ続けてきた中尾さん。二十歳の頃、甲状腺機能低下症を発症。その後、ガンにも見舞われました。西山地区では甲状腺の病に苦しむ人が少なくありません。

医師
「ここにあるのが甲状腺ですよ。ちいとこれが小さい。萎縮しているんですね。」



しかし残留放射線との関係は今もほとんど明らかになっていません。

NHK記者
「(調査結果について)ちゃんと説明を受けたことはありますか?」

中尾さん
「いや、そりゃなか。放射能がそんなに残っとっていうとに知らせずに調査して。ほんとうに。何十年もあれして、住んどっと所に住まれんっていうことは、聞きとうもなかったですけど、しかし聞きとうなかっても、事実ば教えてくれないとですねえ。」



● 被爆するがままに任され観察され続けた西山地区の人々

西山地区に住んでいた義理の妹を亡くした松尾トミ子さんです。松尾さんは幸子さんの死に対して、今も割り切れない思いを抱いています。
今回、幸子さんの死因について1980年に長崎大学がまとめた報告書を入手しました。

長崎医学会報誌 43巻9号  809-813頁
所謂、「西山地区」より発生した慢性脊髄性白血病の一例(急性転化例)長崎大学原研内科教室
富安孝則(とみやすたかのり)・岡部信和(おかべのぶかず)・松本吉弘(まつもとよしひろ)

飲み水を通して、体内に放射性物質が取り入れたれた可能性が指摘されていました。
「しかしこの一例のみでは、残留放射線との因果関係は断言できない」と結ばれていました。

NHKスタッフが松尾トミ子さんと面談し「長崎医学会報誌」を見せて説明
「こういう所にすごく高い残留放射線が測定されていた。だけど公表されていなかったということなんですよね。」

松尾トミ子さん
「ええ、ええ。」

私たちはアメリカが原爆投下の5年後には確証を特定し、人体への影響について研究を続けていたことを伝えました。

松尾トミ子さん
「いやあ、はっきり言って腹が立ちますよね。うん。これは人として見ていないみたいな感じが私はするんですよ。実験みたいにしてるなって。そういうふうにしか取れないですね。」

実は西山地区では、長年放射線の影響が噂されていました。しかし農業で生計を立てる住民が多く、誰もそれを自分から語ろうとしなかったといいます。

松尾トミ子さん
「父もお野菜作っていたんですよ。市場に持っていってたんですよ。それをして生計を立てているから、売らないといけない。だけどそれを言ったら、自分たちの生活が成り立たない。」



「何か言ったら、みんなから変な目で見られる。村八分になる。そういう気持ちがあったんじゃないかなと思いますけどね。」

西山地区の白血病と残留放射線との因果関係は今も証明されていません。

長年、西山地区の白血病について研究を行ってきた、長崎大学の朝長万左男(ともながまさお)名誉教授です。原爆との関係を証明するのは容易ではないとしています。

朝長教授
「普通の人からも10万人に1人か2人は慢性骨髄性白血病は出るんですよ。
「それと混同していませんか」と、言われると「いやいや、これははっきり原爆の放射線で起こっているんですよ」と言うにはどうですか。相当な根拠がないといかんですよ。そこですね。
(残留放射線は)累積していくわけだから、本当はそれが計算できないといけないけど、生活パターンが非情に、その時に福島でも同じような問題が起こっているのですけどね。外にどのくらい出ていて、家の中でどのくらい生活していたのか。
そうしたことを毎日記録している人なんていないでしょう。そういうところに壁があってね、福島でも正確な被爆線量を出すことは非常に難しいんですよね。」

アメリカが残留放射線を否定したことは、何をもたらしたのか?

朝長教授
「残留放射能の研究が進んでないでしょ。例えばプルトニウムが人体に入っててね、これも残留放射能でしょ、ある意味でね。それが、今頃分かってんのよ。
一生懸命にその当時にやっていれば、もっといろんなデータが出たはずでしょ。そういう事ですよね。そこに科学者でもない陸軍のトップがね、「無い」と判断するのは、もう、政治以外の何ものでもないですよね。」

続く

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKBS1スペシャル #残留放射線 #長崎西山地区 #黒い雨 #ルテニウム #セリウム #星正治 #大瀧慈

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明日に向けて(2441)グローブス少将が残留放射線をもみ消し被爆者救護も禁止したー再再掲 NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー2

2024年08月12日 16時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)
守田です(20240812 16:30)

NHKBS1スペシャルの文字起こしの2回目をお送りします。

● マンハッタン計画責任者グローブスが残留放射線をもみ消した

NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-2回目
2023年8月6日再放送

ところが、これらの調査結果は、ある人物によって隠蔽されます。グローブス少将です。
ペースが調査後にグローブスに呼び出されていたことが、今回初めて分かりました。



「帰国後、私は報告書を書き『Secret』扱いにした。」
「ある日、上司に呼び出されると一緒にグローブス少将がいた。彼らはしかめ面をしていた。
彼は「報告書は『Top Secret』にすべきだった」「これに関係する文書やデータは全て廃棄し全てを忘れろ」「報告書を書いたことも忘れることを命じる」と言った。
これは作り話ではない。私は「イエス サー」と答え、しっぽを巻いて退散し彼の言う通りにした。」

さらに被爆地を撮影していたコリンズも、軍の意向に沿った調査報告を求められていたと語っていました。

ドナルド・コリンズ
「原爆調査に向かう前、責任者からこう言われました。『君たちの任務は、放射能がないことを証明することである』。
そこで私はこう言いました。『失礼ですが我々は残留放射線を測るように命令を受けたのですが』。すると責任者は『放射線量が高くないことを証明しろ』と言ったのです。」

その結果、グローブズが提出させた初動調査の報告書では、残留放射線の存在が完全に否定されていました。

グローブス少将宛「原爆調査報告書」(1945年9月5日~10月12日)
「『残留放射線』の測定結果と、人への被害の臨床的な証拠がないことを考えると、爆発後、有害量の残留放射線が存在した事実はない。



人々が苦しんでいるのは、爆発直後の放射線のためであり、残留放射線によるものではない」

グローブズが残留放射線が存在しない理由として挙げたのが、原爆を開発した物理学者オッペンハイマーの理論でした。



原爆は爆発する瞬間、強烈な初期放射線を放出します。これに対し残留放射線は2種類あります。
一つは爆心地の土壌などが中性子を吸収することで放射性物質となり、放出するケース。もうひとつは爆発で発生した放射性物質が雨や塵などと共に降り注ぎ、地上に残り続けるケースです。

ただしオッペンハイマーは「広島 長崎では残留放射線は発生しない」としました。
なぜなら「原爆は地上600mという高い地点で爆発したため、放射性物質は成層圏まで到達。地上に落ちてくるのは極めて少量になる」というのです。
これがアメリカ政府の残留放射線に関する公式見解となりました。


● 実際には深刻な残留放射線の影響があった

グローブスによって否定された残留放射線。私たちは極秘とされた海軍の測定した値や、日本の科学者による測定値を入手。専門家と共に値と場所を地図上にプロットしてみました。
1945年9月から46年1月までに測定された、長崎の残留放射線の値です。残留放射線は時間と共に急激に低くなる減衰という現象を起こします。



そこで時間を遡り値の変化を調べてみることにしました。

すると原爆投下の1時間後、爆心地から3キロ離れた西山地区で、放射線は1時間当たり97ミリシーベルトを超えていた可能性があることが解りました。



この放射線の値を計算した京都大学複合原子力科学研究所の今中哲二研究員です。

NHKスタッフ
「一番注目すべき地域ってどこだと思われますか?」

今中哲二研究員
「それはやっぱり西山ですよね。西山が圧倒的に線量が高かったですから。これはもう私からしたら直ちに避難するか、直ちにどこか遮蔽の強いコンクリートの建物に避難するとかという線量です。
そういう中でたぶん西山の人たちはね、暮らしてたんだと思います。」

放射線医学の第一人者である広島大学の鎌田七男名誉教授は、人体に影響を与えていた可能性を指摘します。

鎌田七男名誉教授
「6時間たった段階で(がん死亡リスクが高まる)100ミリシーベルトは優に超えちゃうと。これだけの数値からでも人体への影響はあったと。
体調を崩していったり脱毛した方もあるわけですから、これを見て(人体への影響があると)意を強くすることができますね。」

西山地区の住民を対象に血液検査を行っている写真も見つかりました。近隣の子どもたちまで集め、検査に協力させていました。



原爆投下から2か月後、アメリカ軍が注目していたのは白血球の値でした。正常値を遙かに超える1万以上の高い値を示す住民が多数に上りました。(1945年10月~46年1月)

鎌田名誉教授によると「放射性物質が体内に入ったことで起きた可能性が高い」と言います。
アメリカ軍は残留放射線を測定していただけではなく、人体への影響の可能性まで周到に調査していたのです。

陸軍軍医による報告書
「西山地区の人々は原子爆弾の投下から数か月後に、有意な白血球増加がみられた。動物の場合、全身に被ばくした後に白血病が進行する可能性があり、人間がどうなるか特に興味深い。
また放射性物質を経口摂取した後の人体から、骨肉腫も確認されている。西山地区に残る放射性物質の堆積物には、人がさらされ続けると危険を伴う可能性がある。



この条件を考えると、原爆の直接の影響を受けていない西山地区の住民は、残留放射線の影響を観察するのに理想的な集団である。」


● 核開発のために在留放射線は皆無と語ったグローブス

次々に明らかになる残留放射線に関する不都合な事実。しかし、グローブスは公式見解を変えようとはしませんでした。
1945年11月28日、グローブスは議会で証言を行います。その議事録を今回入手しました。

質問者
「残留放射線を調査した記録はありますか?」

グローブス
「はい。ございます。残留放射線は『皆無』です。『皆無』と断言できます」。
爆発が非情に高い地点で起きたため、放射能による後遺症は発生しませんでした。

質問者
「私から見ると、陸軍省は何度も何度も『放射線による被害はなかった』と強調しています。そこには放射能被害を認めると、倫理的に間違いを犯したことになるという思いが、陸軍省側にあったのではないですか?」

グローブス
「この問題は、ひと握りの日本国民が放射能被害に遭うか、それともその10倍ものアメリカ人の命を救うかという問題であると私は思います。これに関しては私はためらいなくアメリカ人を救う方を選びます。」

当時ソビエトとの冷戦が既に始まっており グローブスは今後も核兵器が必要であると強調します。

グローブス
「アメリカの科学者の研究では残留放射線による死についての報告は実証されていない。



原子力の研究をやめてしまうことは、アメリカが自ら死を選ぶことに等しい。」

「原爆は非人道的な武器では無く、アメリカになくてはならないものだ。」
グローブスは残留放射線の影響から目をそらし、核開発で世界をリードすることを最優先としたのです。


核開発の歴史を分析してきた歴史学者のジャネット・ブロディ教授です。
グローブスは科学を都合よく利用することで、残留放射線の問題をアメリカ国民の目からも覆い隠していったと指摘します。

「アメリカ社会では「無知学」と呼ばれるずるい手法が使われることがあります。
「無知学」とは当局が望まない情報の拡大を何らかの手段で阻止することです。



グローブスは全ての″原爆に関わる文章″を支配し続けていました。
そして科学的なメリット、医学的な効果など、肯定的な結果だけを取り上げて、負の部分は隠しました。
これは戦争犯罪を犯した人に対して、見て見ぬふりをするのと一緒です。

グローブスは負の側面から顔をそむけたい市民の深層心理につけ込んでいったのです。
政治家やアメリカ国民を残留放射線の問題から、目を背けるように巧みに操ったのです。」


● 日本軍もまた「放射能はすぐに減衰する」と深刻な影響を隠そうとした

アメリカが残留放射線を否定する一方で、日本はその影響をどう捉えていたのか?
実は日本軍も原爆が投下された翌日から、被害を調べる為、医師や科学者を現地に送っていました。(8月7日、日本海軍調査、8月8日日本陸軍調査、8月13日九州大学調査)



その中に、残留放射線にいちはやく注目した医師がいました。東京大学の都築正男(つづきまさお)教授です。

都築正男教授 中国新聞1945年9月5日掲載記事より
「爆発の当日、広島におらず、その後広島にやってきた人で数日間、勤労作業などに従事した人の健康状態については、相当の症状を示し、また死亡した人もある。」



「爆発後、数日以内に爆心地から半径500m以内の土地で働いたものには、ある程度の傷害があたえられていると考えてよかろう。」

都築が疑ったのは、原爆が爆発した後に爆心地に入った人が被爆する”入市被爆”でした。



爆心地の土壌は、中性子を吸収することで放射性物質となり放射線を放出します。
今回入手した値で作成した、広島の爆心地周辺での残留放射線です。原爆投下後の1時間後は1時間当たり15ミリシーベルト(15.13mSv/hr)と極めて高い値になっていました。

広島では、原爆投下の翌日に救護や家族を探す為に、少なくとも1万8千人が爆心地に入っていて、残留放射線を浴びた可能性があると考えられています。

残留放射線が人体に与える影響を危惧していた都築医師。
長男の正和さんは、その原点に戦前にアメリカに留学して放射線医学を研究した経験があったと語ります。
「(原爆投下前に)アメリカの放射線の専門医から、そんなに大量の放射線を生物に照射することはありえないわけだから、お前の研究は放射線医学にとって意味のない研究であると。ただそれが後になったときに、放射線の生物に対する影響がどういうものがあるのかもっと研究しなければいかんということは、直接、聞きましたけどね。」

当時、日本の科学者の間では残留放射線については、さまざまな思惑が交錯していました。
西山地区の調査に参加した物理学者の森田右(すすむ)博士は、住民を避難させることを検討していました。(回想録 1991年より)
「西山地区に雨と一緒に死の灰が降り注ぎ、地面一帯が強い放射能を持っていることが判明、住民の避難が検討されたこともあった。」

さらに西山地区の調査に協力した石川数雄医師は、血液検査で分かった白血球の値についてこう述べていました。

「いままでかつて我々が予期しなかったとにかく普通でない変化がありました。非常にたくさん増えて1万2万といわゆる白血球増多症を持っていたわけです。それが若い子どもの方が多かった。私たちはここに非常に恐るべき事実があるような気がしましてそれが蓄積した時にどうなるかと。」



一方で石川数雄医師は、残留放射線が大衆を不安に陥れることを危惧していました。

石川数雄医師
「アメリカの方から伝えられた『70年生物の存在を許さない』とPRされて、そのことに多くの方々が恐れおののいて、多くの死体の片付けも十分できないような不安な気持ちであった。
私は『放射能というのは時間とともに強く減弱していくんです。弱っていくんです。いわゆる人間の体に受けても心配はいらないんだ』と県知事に申し上げたことを記憶しています。」

廣島戦災(放射能に関する)調査報告書(1945年8月15日)
陸軍がまとめた報告書です。「人体に障害を与える程の放射線は測定できなかった」と記されています。有害な残留放射線は存在しないとされることでパニックを防ぎ、人心の安定を図ろうとしていたのです。


● 人々を助けようとする科学者たちは米軍に圧迫された

それでも日本の科学者たちは、アメリカの調査に協力する一方で、残留放射線の人体への影響を証明しようと取り組みます。



原爆調査に当たった都築正男医師が残した資料です。

原爆投下から3ヶ月後に開かれた原爆災害調査研究特別委員会の極秘の記録が見つかりました。

1945年11月30日。GHQの立ち会いの下、広島、長崎を調査した科学者が、初めて一同に会し、報告を行いました。(「原爆災害調査研究特別委員会」)
戦中、国産の原爆開発を行っていた仁科芳雄博士。爆心地から離れた地で残留放射線を測定した事実を発表します。

仁科芳雄博士
「特別な地区の放射能が強くなっている所があります。原爆が爆発して原子核の破片が飛散して放射能を示している。雨と一緒に落ちてきている。」

続いて、残留放射線の人体への影響を危惧していた都築正男医師。

都築正男医師
「爆発後 他の土地から応援にまいり、作業に従事した人の白血球の数が減りました。放射能の障害を受けたのではあるまいか?ただ確実にそうである実例をいまだつかみえないのであります。」

しかし アメリカ側が科学者に対し厳しい言葉を突きつけます。

GHQ経済科学局幹部
「日本人の原爆研究は許さぬ」

都築はこの発言に強く反論します。「広島と長崎ではここで発言している瞬間にも原爆症で次々と死亡しつつある。原爆症はまだ解明されていない新しい疾患でまだ治療方法はない。たとえ進駐軍の命令でも医学上の問題について研究発表を禁止することは、人道上許しがたい。」

しかし、アメリカ占領下では都築医師の主張が通ることはありませんでした。
戦後、都築都築正男(医師)にインタビューした広島大学の今堀誠二教授は、都築から「科学者としての無念」を聞いていました。

「問題は政治が先か、人道が先かということであって、結局は人道が政治に押し切られてしまった。広島・長崎に何万という被爆者がいるんだと。毎日何人も死んでいってるんだと。
その人々を助ける方法があり、研究もでき、発表もできるにもかかわらず、占領軍の命令によってそれを禁止して、この人々を見殺しにするとは何事かと。」



晩年まで被爆の研究を続けた都築医師
核の平和利用が検討され始めたころ、原爆初動調査を振り返り、こう語っていました。
「私は今後、機会が与えられるならば、資料を整理して人類の幸福のためにより友好的な形で編み直してみたい。
そうすれば苦心して集めた資料が真に実を結ぶ時を迎えるだろう。」

国家の思惑の中でにぎり潰されていった科学的事実。
新たな取材でアメリカは残留放射線を否定しながら、被爆地の調査を続けていたことがわかりました。

「残留放射線の影響は、アメリカが行っている被爆者の遺伝子研究にも重要な意味を持つ可能性がある。」


体調不良や原因不明の死があいついだ長崎市西山地区。調査の対象にされながら、住民たちはその事実を一切、知らされませんでした。

松尾トミ子さん
「これは人として見ていない感じがするんですよ。実験みたいにしてるなって。」

戦後、核兵器の開発を進めた世界は、残留放射線の存在から目を背けつづけました。

チェルノブイリ事故医療対策責任者
「私たちがチェルノブイリの大惨事を調査した時もそうでしたが、放射線の値を引き上げたり引き下げたりする問題はかなり恣意的なものでした。」

残留放射線の否定は私たちに何をもたらしたのか。現在にいたる核と人類の関係を紐解いていきます。

続く

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKBS1スペシャル #残留放射線 #グローブス #オッペンハイマー #都築正男 #仁科芳雄 #広島 #長崎

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明日に向けて(2440)アメリカは原爆による被曝実態を隠した。実際の被害はずっと大きかったー再再掲 NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー1

2024年08月12日 16時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)
守田です(20240812 16:00)

● NHKBS1スペシャル「原爆初動捜査 隠された真実」をご紹介します

この間、過去にNHKが報じた原爆に関するすぐれた番組の全文文字起こしの再掲を進めています。すでに『原爆死 ヒロシマ 72年目の真実』(2017年放映)と『原爆と沈黙~長崎浦上の受難~』(2017年放映)を掲載しましたが、今回、続いて『原爆初動調査 隠された真実』(2021年放映)を掲載します。2021年、2023年に「明日に向けて」で扱ったものの再再掲です。

広島・長崎への原爆攻撃後、初動調査に入ったアメリカ軍が、黒い雨などがもたらした残留放射線による深刻な被曝実態を把握していながら、握り潰していた事実を掘りだしたかなりの大スクープで、長崎の被爆実態が、これまで考えられてきたよりも、圧倒的に酷かったことが示されています。

これはとても重要です。現在の世界の放射線防護学は、広島・長崎における被曝調査=実際の被爆実態を隠し、大幅に矮小化されたものに基づいているからです。この大スクープは、日本だけにとどまらず世界のヒバクシャにとって重要な意味があります。ぜひお読み下さい。


● 深刻な被曝事実が握りつぶされていた!

NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」
2023年8月6日再放送 以下、文字起こしをお届けします。

ナレーション
今回初めて見つかった、76年前の被爆直後の長崎を撮影した映像です。
アメリカ軍の原爆に関する最初の調査を兵士が撮影した、極めて貴重なものです。

米軍元兵士
「私の任務は地域に残った放射能を測定することでした。」

アメリカ兵が測定していたのは被爆地に残る放射線、残留放射線でした。

米軍元兵士
「51km地点では通常の2倍もの残留放射線を計測しました。」

原爆の爆発によって発生した放射性物質が、雨や塵と共に降り注ぐことなどで発生する残留放射線。
その影響に関しては、未だ意見が対立しており、最大の謎とされてきました。
調査に参加した94歳の元兵士です。当時、被爆地に残る残留放射線の調査は、トップシークレットだったと言います。

アメリカ原爆調査員 マイカス・オーンスタッド(94)
「調査団は残留放射線が存在することは知っていました。しかしその恐ろしさを私は理解していませんでした。」

今回私たちは、原爆投下直後に、アメリカ軍が行っていた原爆初動調査に関する膨大な資料を入手しました。そこからは残留放射線についての、知られざる真実が浮かび上がってきました。
アメリカ軍は、秘密裏に残留放射線を測定。極めて高い値を測定していました。さらに、それが人体にどのような影響を及ぼすかまで、研究していたのです。

原爆調査報告書
「この地に残る放射性物質に人がさらされ続けると、危険を伴う可能性がある。」

「動物の場合、全身に被ばくした後に白血病が進行する可能性がある。人間がどうなるか特に興味深い。」

しかし、アメリカ政府はこの事実を隠蔽。科学者達に圧力をかけて残留放射線も無かったことにしようとしていたことも、明らかになりました。

マイカス・オーンスタッド
「私は上官に呼ばれて『報告書に関係する文書やデータは廃棄し全てを忘れろ』と命令された。」

日米両政府は原爆の残留放射線による健康被害を認めてきませんでした。

しかしヒロシマ、ナガサキの人々は「その影響で多くの人が苦しんでいる」と訴えています。

岩﨑精一郎さん(44歳没)の妻岩﨑恒子さん
「骨髄性白血病。脾臓も取ったんですよ、手術して。原爆にあったからこんな病気になったってはっきりしたらいいんですけど。それも分からないまま。」

なぜ、残留放射線の影響は隠蔽されることになったのか。
核による被害と、国家の思惑が交錯した原爆初動調査。真実が隠されていた過程を辿り、その全貌を明らかにします。

タイトル
原爆初動調査 隠された真実
前編 ”科学”を握り潰した”国家の思惑”

原爆が投下された市街地から3キロ。

山間にある長崎市の西山地区です。

戦前は貯水池を中心に小さな集落が点在。多くが農業を営んでいました。

この地区で原爆投下後しばらくして、住民の体調不良や原因不明の死が相次ぎました。

松尾トミ子さんです。この地区で育った義理の妹を亡くしました。
「これはねぇ、成人式の写真です。成人式の時はこんなに元気だったんですよね。」

松尾幸子さん。23歳の若さで白血病で命を落としました。
「ひとつも怒ったところを見たことはないです。人の嫌がることは絶対言わない子だったですもんね。うん・・。」

76年前の8月9日。西山地区は爆心地から山を隔てているため、原爆の熱線や爆風は届かず、直接の被害はほとんど無かったとされています。
しかしこの日、地区には灰や雨が降り注ぎました。1歳だった幸子さんは、貯水池の近くにいた兄の背中でそれを浴びたといいます。

「なにしろ灰が落ちてきて・・・『この灰は何』という感じで、何も知らずに受けてたみたいですね。」

幼い頃は、何の異常も感じなかった幸子さん。突然体調を崩し、17歳の時に「白血病」と診断されます。

「血の塊が口から出たり、鼻から出たり。もう、それを取ってやるのが大変だったって。
一番いい時に亡くなっているから、何とも言えないです・・・やっぱりいろいろ考えたら、涙が出るんですよ。」

幸子さんの死と、残留放射線との関係は、当時の詳細なデータが存在せず、分からないとされています。

ヒロシマ、ナガサキで、その年だけで21万の命を奪ったとされる原爆。
実はアメリカは、その被害や影響の詳細なデータを収集する為、調査団を派遣していました。

最初の(マンハッタン管区)調査団が広島に入ったのは9月8日。原爆を開発した科学者たちでした。続いて陸軍と海軍の、それぞれの調査団が(10月12日)。
更に戦略爆撃調査団も加わり(10月14日)、およそ4ケ月にわたって、大規模な調査を行いました。



調査には軍人だけでなく、物理学者や医師を始め、様々な分野の専門家が参加。日本人の科学者も協力しました。
地表温度を3000度以上に上げた熱線や、秒速440メートルの爆風がどのように建物を破壊したのか、原爆が被爆者にどんな影響を与えたかなどが詳しく調べられたのです。

調査を統括したアメリカ陸軍のグローブス少将です。
原爆開発計画「マンハッタン計画」の総責任者だったグローブスは、ある事に頭を悩ませていました。それは被爆地に残る残留放射線の影響でした。

実は、日本は、被爆直後から、その被害を世界に訴えていました。日本が世界に向けて行っていたラジオ放送です。

ラジオ東京
「原爆は今や世界の批判の的となっている。この死の兵器を使い続ければ、すべての人類と文明は破滅するだろう。」

各国が特に問題視したのは、終戦後もその地に放射線が残り、人体に影響を与えているのではないかということでした。
ディリー・エクスプレス
「広島では原爆が落ちた30日後にも人が死んでいる。それは『原爆の疫病』としか表現できない。」

アメリカ国内でも、ヒロシマは70年間草木も生えないと報道され、「原爆は国際法に違反した兵器ではないか」という世論が高まったのです。



これはグローブスにとって不都合な状況でした。当時、アメリカは占領のため、日本に兵士を駐留させようとしていたからです。
原爆投下後に自国の兵士が被爆することになれば、議会や世論の反発は避けられない。こうした中で初動調査は行われていたのです。

大きな焦点となっていた残留放射線の存在。今回、初動調査についても新たな事実が明らかになりました。
76年前の調査に参加した科学者の遺族です。当時、父親が被爆地で使っていたという遺品を保管していました。


被爆地調査員ドナルド・コリンズの女性遺族

「これは父ドナルド・コリンズのカメラです。長崎で調査で使っていたんだと思います。」

ドナルド・コリンズ。放射線の研究者として、原爆開発に携わってきた人物です。
1945年9月。調査団の一員として、ヒロシマ、ナガサキを訪れていました。
コリンズが被爆地で撮影したプライベート・フィルムと証言テープが見つかりました。映像には、長崎市内で残留放射線を測定するコリンズの姿が映っていました。

ドナルド・コリンズ
「私の任務は地域に残った放射能を測定することでした。ジープに乗って、どこまで残留放射線が広がっているのかを確認しました。」



アメリカ軍が神経を尖らせていたという残留放射線の値。

「我々は風下51km地点まで追跡しました。51km地点では通常の2倍もの残留放射線を計測しました。」

コリンズらは残留放射線が人体に与える影響にも注目、多数の写真を残していました。

ドナルド・コリンズ
「我々はどのくらい放射能を浴びると吐き気を引き起こすのか。どのくらいで脱毛が起こるかを分かっていました。我々は住民がどこにいたのかを聞いて、受けた放射線量を予測していました。」

同じ時期、被爆者への聞き取りなどを行った元調査員が今も健在でした。
マイカス・オーンスタッドさん。94歳です。

被爆地に残留放射線がどの程度残っているか、不安を感じていたといいます。
しかしその情報は厳重に管理され、一部の科学者しか知ることはできませんでした。

「調査団は残留放射線が存在することは知っていました。しかしその恐ろしさを私は理解していませんでした。」
「私は科学者ではありませんし、詳しいことは何も知らされず、こちらから何も問いかけることはできませんでした。」

当時、トップシークレットの指定を受けていた残留放射線の記録。

今回、海軍が4か月に渡って、被爆地の残留放射線を測定していたデータも入手しました。
報告書を作成した海軍のネロ・ペース少佐です。生理学の研究者だったペースも、また、残留放射線に関する証言を残していました。

「私たちは4か月の間、長崎で残留放射線を測定。人々から血液を採取し、広島でも同じことをした。私たちが収集したデータは”機密事項”だった。」

ペースは4か月かけて長崎で900カ所、広島で100カ所もの地点で残留放射線を測定していました。
報告書の中で、ある地域で非常に高い残留放射線が確認されたことが記されていました。長崎、西山地区。23歳で亡くなった、松尾幸子さんが住んでいた場所でした。

「西山地区は山の陰にあり、初期放射線を受けなかったにもかかわらず、爆心地より高い残留放射線が認められた。
放射線測定器を地上1mのところから地上5cmへ移動させると、測定器の針は倍増した。西山地区ではかなりの放射線があることを示した。
この地区の放射線量の最高値は1080μr/hr(マイクロ・レントゲン・パー・アワー)を示し、人間の最大許容量に近かった。」

現在の値に直すと1時間当たり およそ11μSv/hr(マイクロ・シーベルト)。一般人の年間線量の限度を4日で超えることになります。
報告書では西山地区で残留放射線量が高い理由を「その地形にある」と分析していました。

海軍報告書
「8月9日の長崎は風速3mの微風が吹いていた。西山地区では、爆発後に雲が上空を通過し雨が降った。爆心地と貯水池の間には山が連なっており、谷間となっている西山に放射性物質が堆積したと考えられる。

続く

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKスペシャル #残留放射線 #グローブス #マンハッタン管区調査団 #戦略爆的調査団 #長崎西山地区 #原爆調査 #白血病

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明日に向けて(2439)「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の被爆二世・三世への適用を求めるオンライン署名に今一度ご協力を!

2024年08月10日 16時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240810 16:30)

オンライン署名にご協力を

本年6月9日午前10時より「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の被爆二世・三世への適用を求めるオンライン署名が始まりました。
立ち上げたのは被爆二世・三世全国連絡会。(代表世話人 森川聖詩)
僕もこの連絡会に参加している京都「被爆二世・三世の会」の一員として、積極的にこれを推し進め、みなさんに協力を求めてきました。

おかげさまで立ち上げてから24時間で1000名を超えたのですが、その後の伸びが止まっていました。
しかし8月6日、9日を挟んだこの期間で急にまた署名数がアップ。嬉しいことにいま5180名を越えました。(10日16時30分現在)

ぜひさらに署名を増やしたいです。まだの方は以下をクリックして署名にご協力下さい。すでに署名して頂いた方は、ぜひ拡散にご協力下さい。

被爆二世に援護を求める署名

どなたかに伝える場合には以下のアドレスをお使い下さい。
https://chng.it/H4rLfzrCmG

紙媒体でも署名を行っています。こちらにもご協力下さい。なおオンラインと紙媒体とタブって署名してかまいません。
https://toshikyoto.com/wp-content/uploads/e1763c70de7f8fdf77a56eb57366e4da.pdf
https://toshikyoto.com/wp-content/uploads/6eee813898e34e78a36e16b16161a5ef.pdf

なおこの記事を見て紙媒体の署名を行って下さった方は、署名用紙を京都「被爆二世・三世の会」事務所にお送り下さい。
〒604-8854 京都市中京区壬生仙念町30-2 ラボール京都4階 京都原水協気付 075-811-3203

 

被爆二世・三世にさまざま被害が起きている

被爆二世・三世にどのようなことが起こっているのか。
京都「被爆二世・三世の会」の仲間と共に、この点の調査を行い、この春に調査報告書をリリースしました。

以下をご覧いただけるとリアルなことが分かります。なお英語版も作りましたので、ぜひ英語圏のお仲間にお伝え下さい。

『被爆二世三世健康調査アンケート結果報告書』
無料ダウンロード申し込みフォーム
https://forms.gle/zLtiUZcAtKNB9nwNA

冊子版申し込みフォーム
https://forms.gle/24hHZXjvKUbhfTzf9

英語版申し込みフォーム
https://forms.gle/vFdVpkuXw3YXSWpv8

署名に取り上げられた二世の声もご紹介します。

「子どもの頃から何か病気を発症するとこじらせてばかり。風邪をひくと咳だけが2~3か月も残ったり気管支炎や副鼻腔炎を併発したりする。40代後半頃からは以前よりもさらに風邪をひきやすくなり、季節を問わず、1年のうち8~9か月もの間、次々と風邪をひくようになった」(60代・男性、神奈川県)
「私には本当は兄がいた(姉がいた、弟、妹がいた)。でも生まれてすぐに、あるいは生まれるまでもなく、この世の光を受けることなく亡くなった」

これらの声も一緒に広げて頂けると嬉しいです。


三田医師講演会にもご注目を

すでに何度も報じているように、私たち京都「被爆二世・三世の会」は、今年5月の年次総会に、岡山の三田茂医師をお招きしてお話していただきました。
三田さんは途中から、私たちの報告書を片手にお話下さっています。なのでとにもかくにもこの動画をご覧いただきたいです。

この講演、とても貴重なのでこの間、全文文字起こしも連載しています。いま5回までできています。あと2回で完結です。
ここまでの掲載記事を紹介しておきます。

明日に向けて(2424)三田茂医師講演ー「原爆ぶらぶら病」と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性、共通性ー被爆・被曝の新しい理解・病悩の解決の可能性 全文文字起こし1
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/75a758f68b4f68b4d778459af5daf4d0

明日に向けて(2425)国の調査は結論ありき!  ―三田茂医師講演・「原爆ぶらぶら病」と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性 全文文字起こしその2
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/df251260b486a6b5ac08718a22790bd9

明日に向けて(2426)被爆二世・三世健康調査アンケート結果報告書を読み解く ―三田茂医師講演・「原爆ぶらぶら病」と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性 全文文字起こしその3
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/08dda4dd8cc4e16df6e28baaec2d930e

明日に向けて(2429)冷え性、風邪やケガになりやすく治りにくい(被爆二世の症例から) ―三田茂医師講演・「原爆ぶらぶら病」と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性 全文文字起こしその4
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/fcce34244c68b852c8a90f7ab4657e31

明日に向けて(2434)臓器トラブル、ガン、止まってしまう、病悩(被爆二世の症例から) ―三田茂医師講演・「原爆ぶらぶら病」と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性 全文文字起こしその5
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/8cb76987d2c3ffa1fe7bccf50fc09938


全ての人の人権の向上のために、署名にご協力下さい!

今回の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の被爆二世・三世への適用を求める署名は、多くの方の人権の向上に直結しているものです。
なぜなら被爆被害は、私たちすべてが受けてしまっているからです。アメリカと旧ソ連だけでも400回以上も大気圏内での核実験が行われてきました。

また米ソ(ロ)を中心とした核兵器工場や、フクシマを含む各地の原発の深刻な事故により、さらにたくさんの放射能が撒き散らかされています。
核廃棄物のずさんな投棄もしばしば行われ、何度も核汚染がもたらされ続けています。そうした事態にストップをかけるためにも核被害への補償を少しでも拡大していくことに大きな位置があります。


原爆と核の犠牲者を追悼するキャンドルビジル 京都三条大橋にて 20240809 守田撮影

そのような点から、わが身のためにもと考えて、ぜひこの署名に力をお貸しください。
よろしくお願いします!(以下をクリック)

被爆二世に援護を求める署名

#被爆二世 #原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律 #被爆二世三世への適用を #被爆二世三世健康調査アンケート結果報告書 #京都被爆二世三世の会 #被爆二世三世全国連絡会 #新ヒバクシャ #能力減退症 #化学物質敏感症 #電磁波障害

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明日に向けて(2438)ナガサキの痛みと悲しみを捉え返す-3

2024年08月09日 16時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240809 16:30)

続けて全文文字起こし記事の2本目をお送りします。

明日に向けて(2438)ナガサキの痛みと悲しみを捉え返す-3  キリシタンから、被差別部落から、沈黙が破られていく(再掲 NHK「原爆と沈黙~長崎浦上の受難~より)
https://toshikyoto.com/press/8903.html


本日8月9日午後7時より京都市三条大橋で原爆と核の犠牲者を追悼するキャンドルビジルを行います。LIVE配信も行います。リアルで、またバーチャルで、ご参加下さい。
詳しくはFacebookイベントページをご覧下さい。(画像をクリック↓↓↓)
原爆と核の犠牲者を追悼するキャンドルビジル2024~ヒロシマ・ナガサキの日に

#原爆と沈黙 #長崎浦上の受難 #浦上四番崩れ #キリシタン #被差別部落 #ヨハネパウロ二世 #宇沢弘文 #社会的共通資本

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明日に向けて(2437)ナガサキの痛みと悲しみを捉え返す-2

2024年08月09日 16時15分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240809 16:15)

続けて全文文字起こし記事の2本目をお送りします。

明日に向けて(2437)ナガサキの痛みと悲しみを捉え返す-2 「涙痕」、涙で怒りを表す被差別部落浦上の人々(再掲 NHK「原爆と沈黙~長崎浦上の受難~より)
https://toshikyoto.com/press/8898.html


本日8月9日午後7時より京都市三条大橋で原爆と核の犠牲者を追悼するキャンドルビジルを行います。LIVE配信も行います。リアルで、またバーチャルで、ご参加下さい。
詳しくはFacebookイベントページをご覧下さい。(画像をクリック↓↓↓)
原爆と核の犠牲者を追悼するキャンドルビジル2024~ヒロシマ・ナガサキの日に

#原爆と沈黙 #長崎浦上の受難 #ナガサキ #浦上 #被差別部落 #部落解放同盟長崎支部 #同和対策事業

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明日に向けて(2436)ナガサキの痛みと悲しみを捉え返す-1

2024年08月09日 16時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240809 16:00)

本日8月9日はアメリカ軍が長崎の人々を大量虐殺した日です。あらためて犠牲になられた方たちに哀悼の意を捧げたいと思います。
同時にこの日に、NHK制作のすぐれたドキュメントを文字起こしでご紹介します。
 
「原爆と沈黙~長崎浦上の受難~」というタイトルで2017年8月12日に放映されたもので、僕は2021年6月7日から10日にかけて文字起こしを掲載しています。ところがその後にブログ「明日に向けて」掲載の当該記事が、gooブログによって「公開停止」処分を受けてしまいました。再掲載依頼を出しましたが、理由も告げられずに停止されたまま。一方このHPの方は記事が生き続けているので、今回はHPからのみ記事を発信します。

ともあれ初めてこのNHKの番組を見たときのショックはとても深かったです。ナガサキの爆心地は浦上。たくさんのクリスチャンの住まう町でしたが、その中に被差別部落があったのでした。江戸時代にクリスチャンを弾圧するために被差別民が住まわされたのです。
この複雑な歴史が、ナガサキの痛み、悲しみをより深いものにしてきたことをぜひみなさんとシェアし、この痛みと悲しみを平和の力に転じていく過程を共にしたいと思い、2021年に掲載しましたが、今日、この日にこの点を再び多くの方と共有したいと思って、再掲することにしました。ぜひお読み下さい。

明日に向けて(2436)ナガサキの痛みと悲しみを捉え返す-1 浦上には二つの差別があった(再掲 NHK「原爆と沈黙~長崎浦上の受難~より) 
https://toshikyoto.com/press/8895.html

*****

本日8月9日午後7時より京都市三条大橋で原爆と核の犠牲者を追悼するキャンドルビジルを行います。LIVE配信も行います。リアルで、またバーチャルで、ご参加下さい。
詳しくはFacebookイベントページをご覧下さい。(画像をクリック↓↓↓)
原爆と核の犠牲者を追悼するキャンドルビジル2024~ヒロシマ・ナガサキの日に

#原爆と沈黙 #長崎浦上の受難 #ナガサキ #被差別部落 #浦上のピカドン #長崎原爆 #永井隆 #西村勇夫 #中村由一 #浦上天主堂

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