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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(655)福島原発汚染水漏れの考察(2)・・・問われるのは現場の杜撰さに主体的に向き合うこと

2013年04月12日 22時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130412 22:00)

福島原発汚染水漏れ事故に関する考察の続きです。

明日に向けて(654)で、僕は今回の事故で露見したものは、現場があまりに杜撰な突貫工事の連続でようやく維持されていること、とくに仮設設備が多く、何かがあればすぐに破綻してしまう現状にあることであると指摘しました。
ただし今回の汚染水漏れは、事前に把握されていた可能性も考えられ、その場合、汚染水を浄化処理する新型装置のアルプスの可動により、汚染水の海洋投棄が考えられているので、これまで汚染水に含まれていたストロンチウムなどに焦点があたって欲しくない、むしろ汚染問題に社会的関心を誘導したいという思惑もあるのではと指摘しました。
ただより考察を深める中で、露呈された現場の構造的欠陥について、もう少し丁寧に押さえておく必要を感じました。同時にもう一つ奥に隠されているものがあることも見えてきました。何かというと、海洋投棄が狙われている放射性物質のトリチウムです。

まず今回、明らかになった汚染水計画の破綻は、7つ作られた貯水槽が構造上の欠陥を有していたことを大きな根拠としています。この貯水槽を手がけたのは前田建設工業(東京)で、東電が仕様を作成しました。もともとは産業廃棄物処理場に使われている技術で、地面に掘られた穴に、粘土質のシート1枚と、ポリエチレンシート2枚を重ねたものでした。
しかしなんともともとこの技術は、産廃を保管する際に、そこに降った雨水が地中にしみ出さないように使われる技術であって、貯水を目的としたものではありませんでした。前田建設自体が、この技術を貯水目的で使用したのは始めてだそうです。どうしてこんなにいい加減なことが行われてしまったのでしょうか。

少し考えると見えてくるのは、実は毎日400トンも発生する汚染水の処理など、これまで東電はまったく経験したことなどないという現実です。いや、他の誰が経験したこともないと思うのですが、そのためとてもではないけれども知恵が回らないのが実情ではないか。ここがもっとクローズアップされるべきだと思います。

考えてみれば、今、起こっていることはまったくの想定外の連続であるわけですから、東電にとっては初歩的なことも知らない技術的対応が次々と問われているわけです。そもその東電は、原子炉のメーカーよりもずっと低い技術しか持っていません。プラントが正常に動いている時の運転の仕方しか知らないし、それ以外の経験などないのです。
膨大な水の処理などもまったく初めてのはずです。にもかかわらず、「事故収束宣言」や、あたかも福島原発サイトの危機は過ぎ去ったのかのような言説に大きく阻まれ、技術的応援を得ることができない。同時に、これまで長い間、事故があると必ずまずは隠蔽を試みてきた東電の閉鎖的な体質、自らの技術的未熟さを認めて、謙虚に教えを乞うたことなどない傲慢体質も大きな阻害要因となっていると思われます。
そのため、その方面の方たちにとっては、初歩的と言えるようなミスが次々と起こり、おそらくは致命的な構造的欠陥を他にもたくさん宿していることでしょう。繰り返しますが、ここにこそ私たちの国の根本的な危機が懐胎しています。

これに対してどうするのか。私たち市民にできるのは、下から福島原発の今の危険性を、繰り返し訴え、それを社会的意識の俎上に上げていくことです。例えばぜひそれぞれで行って欲しいのは、これから行われる参議院選挙で、それぞれの地域の候補者に、この問題をどう考えているのかを問い、そのこと自身で考えてもらうことです。
同時に、ぜひ各地で原発災害対策の実施、避難訓練の実施を行っていただきたいと思います。その際、ご自分のお住まいの市町村の行政に働きかけ、原子力災害対策への取り組みを少しでも向上させることを訴えてください。同時に市民レベルで、原子力災害を想定した学習会などを行い、少なくとも事故が深刻化した際の、個人レベルでの対処を決めておくこと、それを周りに伝えることです。
とくに東北・関東など、福島原発により近い方はぜひともより具体的で綿密な計画を立て、それを可能な限り多くの方に伝えて欲しいです。小さいことの積み重ねに見えますが、しかしそのようにして危機への対処を重ねる中から、福島原発の今の危険性を社会的に明らかにしていくことが、私たちが下からできることです。

私たちはゆめゆめ、東京電力に私たちの明日の安全を委ねることなどあってはなりません。ただ東電はダメだとなじっているだけならば、実は東電に頼りきっていることにしかならないことに目覚めましょう。そうして私たち自身が危機管理に立ち上がるのです。
行政の方たちにも、このことを問いかけてください。ネズミ一匹のせいで、死活を制するクーリングシステムがダウンしてしまったり、産廃の雨水対策用のシートで作った超水槽から、ある意味では当たり前のように漏洩が起こってしまっているのです。まったく初歩的な事故が次々と矢継ぎ早に繰り返されている。
だからとても安心などできないのです。だとしたら災害対策を重ねるしかありません。重ねる中から、現場の今への社会的批判の目を喚起しなくてはいけない。みなさん、ぜひこのことに立ち上がってください。もはや私たち市民しか、この国の人々を本当に守る主体はいません。未来を守るために、行動しましょう!

同時に、すでに指摘したように、私たちが見つめておくべきことは、今回の汚染水漏れの中で、東電が早晩、汚染水の海洋投棄に向かおうとするだろうということです。その際、これまで可能な限り、遡上にあげようとしなかったストロンチウムが、いきなり除去可能な物質として東電の口から語られるようになると思います。
その際には、ではこれまでどれだけのストロンチウムが出てきているのか、この点を東電に追求しつつ、危険な海洋投棄を批判していく必要があります。この点はぜひ一線で活躍している記者さんたちにも頑張って欲しい点です。
同時に非常に重要な点として押さえておくべきことは、62の核種を取り除いても、唯一、除去できないとされているトリチウムについてです。これがそのまま海洋投棄されようとしているわけですが、トリチウムは大変な危険物質です。にもかかわらず、トリチウムの危険性を非常に過小評価した対応がなされると思われます。この点も非常に重要です。

続く 次回は隠されたトリチウムの危険性について解説します。

 

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明日に向けて(654)福島原発汚染水漏れを考察する・・・露顕したのは杜撰さとストロンチウム隠し?

2013年04月10日 23時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130410 23:30)

4月6日、東京電力により、福島第一原発の地下貯水槽から120トンの放射能汚染水が漏れ出してしまったという発表がなされました。この段階で東電は、別の地下貯水槽に移すことが必要だけれどもそれには5日間かかると述べました。
ところがその後、次々とこの認識が覆される事実が発覚しました。まず明らかになったのは、移送を進める間にさらに47トンが漏れる可能性があるということでした。この段階で、仮設設備ばかりを使ってきた限界への各方面からの批判が始まりました。
続いて汚染水の漏れ出しが起こった貯水槽の隣の貯水槽からも、同じことが起こっていることが判明し、ここからも汚染水を違う貯水槽に移さなければなならくなってしまいました。さらにその移送先であった第一貯水槽も、同じように漏れ出しが起こっていることが判明。ついに東電は4月10日段階で、貯水槽への移送を断念。6月までにすべての汚染水をタンクに移すことを発表しました。

そもそもこの汚染水は、原発炉内の冷却に用いられた後、セシウムだけが除去できたもので、ストロンチウムやプルトニウムなども含まれたものです。原子炉に穴が空いているため、建屋の中に流入してくる地下水とも混ざってしまい、毎日400トンが新たに発生しています。
海水が混ざっているため塩分濃度も高く、それだけシート材などを腐食させやすい。東電はこの水を、原発敷地内に建てた多数の貯水タンクと地面を掘って作った7つの地下貯水槽に貯めてきましたが、すでに今回の事故以前から許容量の約8割に達しており、行き詰まりをみせていました。
その状態での今回の事故は、汚染水処理過程が完全に破綻してしまったことを意味しています。今後、新たな対策をたてることが問われています。

今回の汚染水事故が示したものは何でしょうか。一つは先に、幾つかの燃料プールのクーリングシステムが一斉にダウンしてしまった事故の分析によっても明らかにしたように、福島原発サイトの今が、突貫工事の連続による、仮設に次ぐ仮設での対処によって、極めて脆弱な状態になっているということです。詳しくは以下をご覧下さい。

明日に向けて(651)無責任体質に覆われた福島原発の現場(収束作業員ハッピーさんのつぶやきから)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/cc90da1a51501e5486dd67c7aaae1f24

しかし一方で、今回の事態を見ていて、何かおかしいという違和感も湧いてきました。電源が一斉にダウンしてしまったことは隠しようのない事実だったと思うのですが、今回の汚染水漏れ、本当はもう少し前から把握されいたのではないか。むしろ発表の機会を伺い、次々と発表を書き換える形で公表したのではないか。
端的な話、このように発表されると、情報を追いかける側としては混乱しやすいのです。細かい経緯がわかりにくくなる。一般の方は、事態を追いかける気力を失い、東電によって発表され、マスコミが流す記事をただ読み続けることにもなってしまうのではと思えます。
実際、今回の事態の報道を時系列にそって読んでみましたが、こういう時ほど、マスコミの側も東電の発表通りに記事を書かされやすい。つまりこのように事故情報が小出しに修正されながら出てくるような状態は、実は情報操作もしやすい状態でもあるのです。マスコミは東電の発表の伝達媒体になってしまう。

東電がまた何かを隠しているのではないか・・・と疑いの目を向けて少し前に遡ってみると、浮上してきたのは、東電がこの間、汚染水の中に含まれているストロンチウムの情報を隠したがっているように見えることでした。これを僕は以下で分析しました。

明日に向けて(613)ストロンチウムはどこへ?・・・東電魚介類調査から考える
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/9736fa788e839dcb237639ccda3027a0

ここで明らかにしたことですが、2011年12月18日に発表された朝日新聞による東電発表に基づいた試算によると、2011年4月から5月までで、少なくとも約462兆ベクレルの放射性ストロンチウムが流出したことが明らかになっています。東電が同じ時期に流出した放射性ヨウ素とセシウムの総量を約4720兆ベクレルと発表しているので、ストロンチウムはその1割に相当することになります。
セシウムだけを考えるのならば、(ヨウ素とセシウムの比を1対1と仮定して)ストロンチウムは2割は出ていたことになるのですが、その後の調査でこれの裏付けとなるデータが出てこない。魚の汚染としても浮上してきません。しかし相当量のストロンチウムが放出されたことは間違いないのです。にもかかわらず行方不明です。
東電はここに人々の目、マスコミの目が向くことに強い警戒心をもっているのではないかと思えます。そこからさまざまな発想を巡らしているのではないかと考えて、東電の動向を見ていると、いつも一つのつながった系が見えてくるのです。

今回も実は伏線として重要な位置を持っているのが、あらたな放射性物質除去装置アルプスの投入ではないかと思えます。まさにこの時期に投入され、試験運転が開始されていますが、この装置はこれまで主にセシウムしか除去できなかった現状を変え、ストロンチウムやプルトニウムをはじめ62の核種を捉えることができるとされています。これを投入することで、貯水の場がなくなった汚染水を海に放出したいというのが東電が折にふれて述べて汚染水対策の展望です。
これに今回の問題はリンクしているのではないか。あらかじめ把握していた漏れ出しの実態を公表することで、汚染水のアルプスによる濾過ののちの海への放出もやむなしという方向に世論を誘導することが目的なのではないか。そのようにも見えてきます。この点は、この問題を論じた読売新聞の社説の結語に「海への放出も検討すべきだ」とあったことで、より僕が疑惑を深めた点でもあります。問題の点を抜書しておきます。

「汚染水対策には長期的な視点も欠かせない。貯水タンクや貯水槽を設置する敷地は限られている。早晩、限界を迎える。浄化後、安全基準に沿って海に放出することの検討も求められよう。国民の理解を得るために、政府が果たす役割は大きい」(読売新聞社説4月10日)

さらに突っ込んで考えると、東電は、アルプスの投入による62の核種の濾過の下での海洋放出に踏み切る際に、これまでの汚染水の核種分析に踏み込まれないため、汚染水の漏れ出し問題の方に世論を誘導しているのではないかとも見えます。セシウム以外が除去できることを示すためには、もともとあったものが示されなくてはならない。それがどれだけ減ったかを表さないと、62の核種を除去できることが本当なのかどうか示せないからです。
しかし東電はこれまで汚染水の核種分析を明らかにしていません。いや過去に東電が発表したすべてのデータを細かく解析すると、あるいは発表がある可能性もあります。東電は後のちの追求に備えてこそっとデータを出しておくことを常套手段にしているからです。残念ながらその可能性の全てを調ることはできておらず、その点でこの僕の分析は限界を抱えてもいることを付記しておきます。
それでも、ともあれ汚染水の中身を東電が積極的に発表したがらずにきたこと、また残念ながらここをマスコミが追求してこなかったことは明らかです。

こうした例として挙げられるのは、今回、東電は120リットルが漏れ出したと発表した時に、そこに含まれる放射性物質は約7100億ベクレルだと発表したことです。後に原子力規制委員会が、もっと濃い可能性もあるので、このように発表したのは軽率だと指摘しています。しかしこの指摘もおかしい。そうではなく何が、どれだけ漏れたのかを発表させるべきなのに、違う指摘でごまかしているようにも見えます。
しかしこれまではセシウムしか除去していないと発表しているのですから、ストロンチウム、プルトニウムをはじめ、たくさんの核種が汚染水に存在していることが明らかなのです。だから何がどれぐらい汚染水に含まれており、それが環境に放出されたのかをこそ環境汚染の実態として問題とすべきなのです。しかし原子力規制委員会はまったくそれに触れていないし、残念ながらここに切り込んでいるマスコミも一つもありません。

これらから、今回の問題を汚染水の貯水問題に切り縮めず、汚染の中身を問題にしていく追求がなされるなければならない、この点での解析を重ねる必要があると僕には感ぜられます。
こうした観点から、さらに本格稼働を迎えようとしているアルプスのこと、また浮上してくるであろう汚染水の海洋投棄の動きについて、ウォッチを継続していきたいと思います。

 


 

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明日に向けて(653)「一万円」「円形の聖地」・・・ふくしま・相馬の思いを胸に2

2013年04月07日 11時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130407 11:00)

4月4日と5日の二日間、びわこ123キャンプに参加してきました。素晴らしい場でした。こどもたちはみんな伸び伸びとしていてとにかく楽しそう。
それだけでなく、僕の行った「食べもののお話」では、みんなが目を爛々とさせながら聞き入ってくれ、次々と質問が飛び出しました。多分、僕が行ったこれまでの講演で、一番、リアクションや質問が多かったと思います。子どものエネルギーは素晴らしい!

またその前の大人向けの講演のときには、キャンプを担っている多くのみなさんとともに、福島・南相馬市から大津市に避難している青田恵子さんが参加して下さり、少しですが南相馬の話をしてくださいました。
前回紹介した「拝啓関西電力様」という詩、そしてまた新たに「一万円」という詩を、相馬弁で朗読してくださいました。東京電力への怒りを込めた作品で、読みながら青田さんは、悔し涙を流されていました・・・。

ご報告したいことがてんこ盛りの素晴らしい企画だったのですが、今日はこの青田さんの「一万円」という詩と、もういっぺん、相馬への思いを込めた「円形の聖地」という詩をご紹介します。どうか静かな心でお読みください。

*****

「一万円」
青田恵子

宮城県に五人で避難していた二ヶ月
当座の物品購入費用代
一万円の賠償請求したんだわ
東京電力さ郵送したらば
二、三日して速達が来たんだわ
さすが東京電力やるごと早(は)えごどと思って
開けて見たらば
一万円の領収書つけてよこせって
戻さっちぇ来たったの
レシートなんと どっかさ失くしたべし
失くしたならば買った店の名前
ゆってよこせって
買った日付もゆってよこせって
そだごと今さらわかんねー。思い出せねー。
やっぱしくれたくねえんだ一万円
一万円くれてやっからあれ出せこれ出せと
はじめっからねえのわかってゆってくる
おめぇらだって二年も前の買物
覚えてっか?
ダイヤモンドやマンションでねえんだよ
茶碗5個 湯呑み5個 皿5枚
たわしにスポンジ ほいちょ(包丁)にまな板
自衛隊から水もらうのに並ばねばなんねえし
その日その日 生きんのに精一杯で
そだ領収書どころでねがった
ゆくゆく賠償さ必要になっぺなんて
そだごとまで考えらんにぇがった
座卓もねえ 畳さ 新聞紙広げて
テーブル替りにしたんだげんちょも
紙コップから 初めてセト物の茶碗で
「お茶っこ」した時は うまかったなぁ
五人で二ヶ月間の日用品だよ
下着も着替えも何にもねかったんだよ
一万円とは
ずい分少なく見積もってやっちまったもんだ
領収書出せなんて おどすもんだから
こっちから東電さオマケして安くしてやったんだ
どこまで欲深であさましいやつらなんだ
ああ! いらねえ いらねえ
一万円なんと いらねえわ
そのかわり ”3・11”の前の福島さ
戻してくいろ
早春の阿武隈の峰より注ぐ あの
オレンジ色の残照に包まれた
オラのふる里を
返してくいろ

初出 月間志賀 第259号

 

「円形の聖地」
青田恵子

半径20キロメートル
コンパスで引かれた円い場所
誰も住めない所です
「フクシマ」この悲しみの山河
泣き顔見せずに たえてます。
行き場がなくて もがいています。
わがまま言わずに こらえています。
我が故郷
福島県相馬郡小高町
馬の町 機の町 潮騒の町
常磐線 小高駅
その朝まで乗っていた
駐輪場にならぶ自転車
再びハンドルを握ることも
ペダルを踏むこともなく
持ち主はどこへ消えて行ったのか
あの日から常磐線は走っていない
蔦が絡んだ赤錆の鉄路
やがて樹木は
廃墟の町をやさしく抱いて眠らせる
五百年後の人々は かつてここに
浮舟城があったと知る石塊(いしくれ)を
掘り当てるであろうか
馬は駿馬(しゅんめ)の嘶(いなな)きと蹄(ひづめ)の音を
運んで来るであろうか
ふる里の川をさかのぼる鮭のごと
ひたすら営みはそれに尽き
帰る川のない私の魂は
二万四千年の間さ迷い続けるのであろうか
荊棘(いばら)の森を切り裂き
二万四千年の眠りを覚ます王子は
現われるのであろうか
誰も 入れてはなりません。
誰も 触れてはなりません。
誰も 眠ってはなりません。
「フクシマ」その悲しみの大地
円形の聖地


【注】
相馬郡大高町(ソウマグンオダカマチ)
福島第一原発から20kmの中にある。現在は南相馬市に合併されたが、私の中では、旧相馬郡小高町がふるさと。

馬の町
千年の昔から続く騎馬による軍事訓練。今に伝わる「相馬野馬追い(ソウマノマオイ)祭り」は平将門が祖。

機の町
往時は輸出用の絹織物製造が主な産業。機屋(ハタヤ)と呼ばれた。

浮舟城(ウキフネジョウ)
町の中心部にある城址。野馬追いの神事が行われる。

二万四千年
プルトニウム239の物理的半減期。


*****

守田よりのお願い

作品への感想を求めます。「明日に向けて」(652)掲載の「拝啓関西電力様」もあわせて、ぜひ青田さんの作品にメッセージをお寄せください。守田より青田さんにお伝えします!
 

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明日に向けて(652)ふくしま・相馬の思いを胸に

2013年04月03日 23時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130403 23:30)

最近、福島県の中の相馬市、南相馬市の方たちと僕との縁が不思議にも次々と深まってきました。その中で、相馬の方たちの思いがさまざまに見えてきました。
今日は、福島県浜通り・・・相馬の方たちの痛みをみなさんにシェアしていただきたくてこれを書いています。

まず冒頭に、滋賀県で昨年末に行われた集会で、相馬の方が読まれた詩をご紹介します。

*****

『拝啓関西電力様』
青田 恵子
 
エアコン止めで、耳の穴かっぽじって
よーぐ聞け。
福島には、「までい」っつう言葉があんだ。
までいっつうのは、ていねいで大事にする
大切にするっちゅう意昧があんだ。
そりゃあ、おらどこ東北のくらしは厳しかった。
米もあんまし穫んにぇがったし、
べこを飼い
おかいこ様を飼い
炭を焼き
自然のめぐみで、までいにまでいに今まで
暮らしてきた。
原発は いちどに何もかもを
奪っちまった。
 
原発さえなかったらと
壁さ チョークで遺書を残―して
べこ飼いは首を吊って死んだ。
一時帰宅者は、
水仙の花咲く自宅の庭で
自分さ火つけて死んだ。
放射能でひとりも死んでないだと……
この うそこきやろう 人殺し
原発は 田んぼも畑も海も
人の住む所も
ぜーんぶ(全部)かっぱらったんだ。
この 盗っ人 ドロボー
原発を止めれば
電気料金を二倍にするだと………
この 欲たかりの欲深ども
ヒットラーは毒ガスで人を殺した
原発は放射能で人を殺す
おめえらのやっていることは
ヒットラーと なんもかわんねぇ。
ヒットラーは自殺した
 
おめえらは誰ひとり
責任とって 詫びて死んだ者はない
んだけんちょもな、おめえらのような
人間につける薬がひとつだけあんだ。
福島には人が住まんにゃくなった家が
なんぼでもたんとある
そこをタダで貸してやっからよ
オッカアと子と孫つれて
住んでみだらよがっぺ
放射能をたっぷり浴びた牛は
そこらじゅう ウロウロいるし
セシウムで太った魚は
腹くっちくなるほど 太平洋さいる
いんのめぇには、梨もりんごも柿も取り放題だ。
ごんのさらえば
飯も炊けるし、風呂も沸く
マスクなんと うっつぁしくて かからしくて
するもんでねえ
そうして一年もしたら
少しは薬が効いてくっかもしんにぇな
 
ほしたら フクシマの子供らとおんなじく
鼻血が どどうっと出て
のどさ グリグリできっかもしんにぇな
ほうれ 言った通りだべよ
おめえらの言った 安全で安心な所だ。
さあ、急げ!
荷物まどめて、フクシマさ引っ越しだ
これが おめえらさつける
たったひとつの薬かもしんにぇな。

【註】相馬弁の解説
①んだげんちょも…だけれども
②腹くっちく…腹いっぱい
③いんのめえ…家の前
④ごんの…焚き物にする小枝や落ち葉
⑤うっつぁし…うっとうしい
⑥かからし…わずらわしい
 
*****
 
みなさん。どう思われたでしょうか。僕は深く胸を打たれました。

僕がこの詩を知ったのは、兵庫県姫路市での避難者公聴会の席のこと。南相馬市から兵庫県に避難している女性が、相馬弁で読み上げてくれました。
 
ちなみに相馬は、福島原発事故で、もっともてひどく踏みにじられてしまった地域の一つです。
ここから滋賀県に避難されていた方に橘さんというご夫妻がおられます。僕は2011年5月に、宮城県角田市のピースファームというところに行って講演を行った時に初めてお会いしました。

このときの宮城への訪問は、僕にとって福島原発事故後、初めての東北訪問でした。きっかけは京都で「被災地の方に使って欲しい」と四駆自動車のカンパがあったことでした。僕はその頃、物資を送って支援していた宮城県気仙沼市に、自ら運転して車を届けにいくことにしました。
その際、東北各地で放射線に関する話をする場を設定していただけたのですが、その会場の一つが宮城県角田市のピースファームでした。ここに自然農や有機農を営んでいる方たち、林業家や陶芸家、炭焼き家、また福島県浜通りの、双葉町や南相馬市から避難中の方などが集ってこられました。
ピースファームにつくと、人々が手に手にガイガーカウンターを持って待っていました。僕が話の輪の中に入っていくと、いきなり「守田さん、俺ら、ここで農業やっててもいいだべか」と問われました。私が思わず「ウッ」とつまると、「あ、つまってる、つまってる」と笑い声が起こりました。

講演での質疑応答も白熱しました。参加していた双葉町の宮大工棟梁のお連れ合いがこう語りました。「守田さん。私は故郷に帰れるのが五割、帰れないのが五割だと思っています。どちらですか。はっきり言ってください」。
僕は息を飲み込んで「申し訳ありません。帰れないと思います」と答ました。すると彼女はこう語ってくださいました。「そう、おっしゃってくだされば、私たちも新しい人生にむけて踏ん切りがつけられます。はっきり言ってくださってありがとうございます」。今でも忘れられないその一言をその場の全員が噛みしめました。

続いて農家の方たちから「守田さん。放射能と、抗生物質とどっちがやばいべか」という質問が出ました。「濃度でしょうね」と僕。「そりゃそうだなあ。測らないとわかんねえな」との答え。僕は「まだここに何がどれだけあるか分かりません。今、大事なのは測ることです」と語りました。「それなら百姓があっちこっちで測定器をもってはかるべか」という声があがりました。
実はその後、ここから市民測定所が二つ誕生していきました。一つは村田町に農場を構える三田常義さんが代表で立ち上がった「みんなの放射線測定室てとてと」です。丸森町、角田市、川崎町、村田町、七ヶ宿町の農家や林業家がここに集って設立が進められました。
もう一つの測定室は、自然農を営む仙台市太白区の石森秀彦さんが立ち上げた「小さき花・市民放射能測定室です」。2つの測定室ともに、今なお、元気な活動を続けています。

このときの集まりの場に、南相馬市から避難していた橘さんも参加されました。橘さんは放射能の影響を知り、その後も娘さんのいる長浜での長い避難生活を続けられました。
しかし甲冑師である橘満さんは、昨年秋に南相馬市に戻られました。伝統行事である相馬野馬追に、甲冑師が欠かせないからです。この橘さんを取材した記事が東京新聞(および中日新聞)に載りました。以下をご覧下さい。
 
<犠牲の灯り 第2部「飯舘 女たちの哀歌」> 読者からの反響
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/akari/list/CK2013032102000212.html
 
滋賀県にいるとき、橘さんは、福島や東北・関東から子どもたちを招いて保養キャンプを行っている滋賀の人々と合流し、夫妻で積極的にお手伝いをしてくださいました。
満さんが南相馬に変えられるときに、キャンプの会場であった滋賀県マキノ町の民宿一二三(ひふみ)館で、橘さんとのお別れパーティーが開かれ、僕も出席しました。そうしたら橘さん、僕の活動を支援したいとカンパを手渡されるのです。・・・泣きそうになりました。
 
2012年5月、僕は南相馬市の小高地区を、矢ヶさんとともに調査で訪れました。小高地区は、南相馬市の最も南の地区、原発からの距離は10キロから20キロほどで、4月まで立ち入り禁止だった区域です。立ち入りができるようになったといっても、津波被害もそのままで、ただ心が痛むばかりの状況でした。
その南の端にいくと浪江町との境界線が出てきて、そこからは未だ立ち入り禁止になっていました。福島原発からわずか10キロの地点でした。
そこには吉沢牧場があり、政府による牛の命令に抵抗した吉沢さんが飼っている牛たちが、たくさん、大地の上にいて、ゆったりと草をはんでいました。牧場入口の土の線量をはかると、毎時10μシーベルトを超えていました。
 
僕はなぜか遠くにいる牛たちに「おーい、おーい」と叫んでしまいました。なぜそうしたのかよくわかりません。声は届かなかったようで、牛たちの反応はありませんでした。
最近、ジャーナリストの森住卓さんが、飯舘地区に遺された馬たちの健康に大きな異変が出ていることを発表されています。原発により近いところにいるあの牛たちを思うと胸が痛くなるばかりです。
同時にその時僕は、「今、4号機が倒壊したら、ここにいる僕も、相馬の人々も、とても逃げられないだろうな」とそんな思いがしました。先日の原子炉冷却装置のダウンのとき、この地域の人々はどんな気持ちだったでしょう。このことにも憤りが募るばかりです。

そんな思いを深めている時に、さらに相馬とのつながりができました。すでにご紹介しましたが、シンガポール人のDion Tan君が撮ってくれた”Kakusei”というフィルムに即してでした。この冒頭に、相馬市から秋田市に母子避難している阿部知美さんが出てきます。彼女はあくまでも相馬に残ることを主張した息子の輝(ひかる)君を分かれて秋田に逃れました。
フィルムには続いて輝君自身も登場しています。彼は自分一人で助かりたくはない。みんなで助かりたい。そうあるべきだと強い気持ちをもって生きています。相馬の人々への愛が深い。身体をはって、大人社会が生み出した理不尽に抵抗してもいるように僕には感じられました。
映像には僕も登場させていただいて、矢ヶさんが書いた図を手に、内部被曝の危険性を説明しています。

その知美さんと、輝君と、その後につながることができました。実はこの縁も2011年5月の東北訪問がきっかけでした。気仙沼に行こうと思ったとき、僕が考えたのは、「意地でも福島原発によって被曝させられたくない」ということでした。それで僕は、京都から北陸に向い、敦賀港からフェリーにのって秋田港を目指しました。実はこのとき、なんと敦賀原発が放射能漏れ事故を起こしいたのですが。
その後、秋田市上陸とともに秋田大学で迎えていただいて東北での初めての講演をしたのですが、このとき迎えてくださった方の一人が、Dion Tan君と知り合い、彼の映画作成の手助けをし、僕のことも紹介してくださった村上東(むらかみあきら)さんでした。阿部さんたちとのつながりも、村上さんが媒介してくださいました。

阿部さんとやりとりしたところ、実は彼女と輝君、弟君は、3月11日の地震と津波のあと、南相馬市小高区のお兄さんの家に身を寄せていたのだそうです。阿部さんは枝野長官の発言をすっかり信じてしまい、濃密な放射能が降る中、何かと動いてしまったといいます。
その頃、南相馬市のある病院の庭ではガイガーカウンターの針が振り切れていました。やがて夜になり原発周辺に避難勧告が出されました。その頃になって小高区の人たちは、ようやく危険を察知し、車で脱出をはかったそうです。たくさんの車が、猛スピードで南を目指して走っていったとか。阿部さんたちも、お子さんたちが「早く、早く」と泣き叫ぶ中、脱出されました。

そんな話を聞いて、再び三度、あの事故のときの対応に憤りがこみ上げてきました。東電は実は当日からメルトダウンが始まっていることを知っていました。そして自分たちの家族は真っ先に逃がしていました。家族を逃がしたことが悪いのではありません。東電は自社が家族を逃がしていることを、社会に大きく告知すべきでした。それをしなかったのはとても大きな罪です。
実際には真相が告げられないまま、枝野官房長官の「にわかに健康に被害はない」という言葉だけが流れ続けました。放射線防護の必要性などまったく説かれず、多くの方が避けられる被曝をしてしまいました。しかもきちんとした記録すらも残っていません。残されているのは人々の大きな不安だけです。

そんな風に踏みにじられた浜通りの人々。しかもそこからの避難の過程ではたくさんの方々が命を落としています。東京新聞の統計で、原発事故による避難が原因で亡くなった方は1000人を超えることがわかっていますが、その多くが浜通りの人々です。しかもこの統計には、放射能の被害はカウントされていません。どれほどの被害を受けたのか、まだ分からないのがこの地域の人々なのです。
しかも、今なお、線量が高いところが広範囲に広がっているのに、避難地域に指定されたところ以外では、避難の権利が認められず、むしろこれらの村々への帰還が奨励されています。大きな圧力を伴ってです。

相馬の人々、浜通りの人々、輝君や彼が愛する地域の人々をいかに救うのか。それは私たち全体に課された課題です。浜通りの人々を見殺しにして、わたしちの真に豊かな未来の展望はありません。理不尽に人が虐げられていることを見過ごすことは、その理不尽な仕打ちに加担することでしかないからです。そしてそのことが続く限り、私たちの誰もが理不尽な仕打ちにあう可能性が広がるばかりです。
だからこそ、私たちの誰もが、我が事として、相馬の、浜通りの人々の救済を考える必要がある。そのためにもその地域の人々の心を知ることもとても大事です。そのためにぜひみなさんにKakuseiの知美さんと輝君の言葉に耳を傾けて欲しいです。

さらに現地の調査をもっと深めなくてはならない。そのために僕は、放射能汚染の実態を知りつつ、それでも地域のために南相馬に戻った橘さんにぜひお会いしたいと思っていました。
本当にそんな思いを強めていたある日、郵送で京都で購入している東京新聞の紙面を開いていたら、そこに橘満さんが笑っていました。非常に深い縁を感じました。

実は橘さんをみんなでお見送りをした高島市マキノ町の民宿一二三館では、たった今も、春の保養キャンプが開かれています。明日4日に僕はお招きを受けて講演することになっているのですが、なんとそこに橘さんがご夫妻で参加されていることを知りました。
また僕がスタッフの方に、冒頭に記した相馬の方の詩を紹介したい。橘さんがおられるなら、ぜひ相馬弁で読んでいただきたいとお願いしたところ、なんとこの詩を書いたご本人の青田さんがこの日に参加されることを知りました。

なぜこんなに縁がつながるのか。僕は相馬の方たち、とくにここで無念にも命を落とされた方たちが、僕を呼んでいるのだと思うのです。そうして、必死になって現状を訴えている方たちに、僕を接近させているのでしょう。
「この声を聞きなさい。この声を広めなさい」・・・そう何かが僕の耳元で囁きかけていることを強く感じています。

東京電力と政府は、あの事故によって、1000名以上もの人々の命を奪いました。しかしこのことに対して、誰ひとりも責任が問われていません。こんなことは絶対に放置してはならない!
その思いを胸に、明日、僕はマキノ町にでかけ、参加者やスタッフなど大人の方たちには福島の被曝の現実と放射線防護に必要な知識を。子どもたちには、今何を食べるといいのか、何を食べていけないのかのお話をするつもりです。
お近くの方、どうかご参加ください。みなさんで相馬の、浜通りの痛みをシェアして、ともに前に進みましょう!

以下、企画の案内です。

***

4月4日(木) びわこ123キャンプにてお話します。

現在、滋賀県高島市マキノ町で、東日本大震災支援プロジェクトとしての、子どもたちの保養キャンプが行われています。
このキャンプにお招きを受けて、放射線の話、身体を守るお話をします。
午後5時からキャンプ場の民宿一二三館でお話します。
質疑応答を入れて午後6時半までです。
 
6時半からは子ども達と一緒にみんなで夕御飯
その後、子どもたち向けに「どんなものを食べるといいの。何を食べてはいけないの」というテーマで30分ほどお話します。

詳しくは実行委員会の井野文さんまでお問い合わせください。
08053517569

びわこ123キャンプ
http://www3.hp-ez.com/hp/biwako123/page1


 

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