明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2006)東海第二原発の再稼働を認めない判決が出されました(水戸地裁)

2021年03月18日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です(20210318 23:30)

避難計画やそれを実行する体制が整えられていない

再び原発裁判に関する朗報です!
本日18日に水戸地方裁判所(前田英子裁判長)が、東海第二原発の再稼働を認めない判決を言い渡しました。「避難計画やそれを実行する体制が整えられていない」というのが主な理由です。
この判決は東海第二原発の危険性を向き合って奮闘されてきたすべての皆さんが引きだしたもの。とくに裁判の労を担ってこられた皆さんに、拍手と感謝をお送りしたいです。

より詳しく見てみましょう。NHKによると前田裁判長は避難計画について「原発から30キロ圏内に住む住民が避難できる避難計画と体制が整っていなければ、重大事故に対して安全を確保できる防護レベルが達成されているとはいえない」と指摘。
さらに原発の30キロ圏内の住民が94万人にのぼることをあげ「避難計画を策定しているのは14市町村のうち避難が必要な住民が比較的少ない5つの自治体にとどまっていて、人口の多い水戸市などは策定できていない」と指摘しました。
また「策定された計画でも、地震などの自然災害による住宅や道路の被害も想定した、複数の避難経路を設定しておらず、実現可能な避難計画や実行できる体制が整えられていると言うには程遠い状態だ」として、再稼働を認めかったそうです。

この点について、原告住民側の弁護団長河合弘之弁護士は、判決を評価した上でこう述べました。
「きちんとした避難計画、実効性のある避難計画を立てているところはありません。実際自治体が悪いのではなくそんなこともともと不可能なんです。ちゃんと被ばくしないで逃げられると思います?」
その通り!東海第二原発は30キロ圏内に居住者が約94万人もいて、とくに避難が困難ですが、他の原発とてどこも近隣の人々がきちんと逃げられる避難計画を持ってなどいないのです。その点でこれは他の原発にも合致する判決です。


東海第二の避難の困難性

そもそも東海第二原発の周辺は、核燃料工場や研究施設など、12カ所もの原子力関連施設がひしめいていて、複合災害となる可能性が高い地帯です。その30キロ圏内に94万人がいるのですからそれだけで避難の困難性が見えてきます。
さらにこの原発は北側に久慈川、南側に那珂川をかかえており、地震時にどこかの橋がダメになったら他の橋に車が殺到することになります。
また茨城県が行った5キロ圏の住民8万人の避難のシミュレーションで20時間もかかることが分かっています。しかもこれは5キロ圏外の方が自宅待機して逃げないことを前提にしたもので、実際にはもっとかかってしまいます。

避難先も現実性のない設定だらけで、例えば固定イスで占められた講堂が指定されていて、横になるスペースもない場合などもあります。
こんな状態の中で茨城県内44の市町村長に行ったアンケート (2018年) で、再稼働に賛成したのは常陸大宮市のみで10の自治体が反対を表明しました。避難計画についても10の市町村のトップが「現実的に不可能」などと指摘していました。
これらは2018年末に放映されたNNNドキュメント「首都圏の巨大老朽原発 再稼働させるのか」で指摘されたことがらです。

しかも本年2月にそんな形で作られた避難計画ですら30キロ圏内からの避難者の受け入れ施設が18000人分も足りていなかったことがさらに明らかになりました。この点については以下の記事をご覧下さい。
明日に向けて(1973)東海第二原発事故時の避難所見積もり18000人分不足-総員避難は無理!再稼働を止めるべきだ(2021年2月1日)
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/10da0e15ad0704f012e3599ec7e773d9

これらからも今回の判決で「避難計画やそれを実行する体制が整えられていない」ので、再稼働は認められないとの判決が出されたのはまったく妥当です。


東海第二原発が危険なのは避難の問題にとどまらない

一方で前田裁判長は「基準地震動」の設定や施設の耐震性、津波の想定などは「原子力規制委員会が審査に適合するとした判断に見過ごせない誤りや欠落があるとまでは認められない」と指摘し、原告側の主張を退けました。
この点では昨年12月4日に、大飯原発に対する規制委員会の設置許可の取り消しを命じた大阪地裁判決より後退していて残念です。
あらためて東海第二の危険性が、老朽原発としての危険性を抱えていることや、事故時に東京を含む大都市圏に放射性物質が直撃する可能性が高く、より多くの被害をもたらしうることなど、多岐にわたることを強調したいです。

この点で「明日に向けて」では、前述のNNNドキュメント「首都圏の巨大老朽原発 再稼働させるのか」を、文字起こしを含めて紹介してきました。
今のこの時期にごらんになり、東海第二の危険性を、今回の判決に欠けているものも含めてぜひ把握していただきたいです。

明日に向けて(1620)首都圏の巨大老朽原発 東海第二を再稼働をやめさせよう!
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a1ea9db137f76c5d3b5892ee83384ab4

明日に向けて(1621)東海第二原発が事故を起こした時、避難できるのか
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/04b01f55fec298e351618c88f3514461

明日に向けて(1622)東海第二「市民の安全安心を第一に考えれば再稼働はあり得ない」-10市町村+1が反対!
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/9958fe8d5f91b53ea0f92ec3babbd85d


全ての裁判所で、原発の地震への弱さー規制委員会の設置許可を問題にして欲しい

さまざまな危険性の中でもやはり最も強調しておきたいのは、今の規制委員会による設置許可の中での地震に対する評価が非常に甘い点です。
これは原発が、地震のことがいまよりもずっと分かっていない時期に立てられてしまったためですが、とにかく実際に起こった多くの地震よりもかなり耐震性が低いのです。
端的に言って、多くのハウスメーカーが3000ガル~5000ガルの地震を想定しているのに比べて、なんと数百ガルしか想定していない。一桁低い。

この点で「明日に向けて」では、2014年に大飯原発3,4号機の運転停止を求めた元福井地裁裁判長樋口英明さんの語られていることを何度も取り上げてきていますが、もっとこのことを広げていく必要があります。
原発はとてもではないけれども人々が避難できないから運転してはいけないのも勿論、なにより日本に頻繁に起こっている規模の地震に直撃されたらもうそれで壊れてしまうから動かしてはいけないのです。

原発の危険性をより具体的に指摘しながら、原発ゼロへの歩みを深めましょう!

#東海第二の再稼働認めない #首都圏の巨大老朽原発 #避難計画やそれを実行する体制が整えられていない #東海第二原発 

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明日に向けて(2005)『放射線副読本』の次に来るもの-放射線災害復興学にまっとうな批判の目を!ナガサキの経験に学びながら

2021年03月18日 09時00分00秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です(20210318 09:00)

原爆被災地・フクシマに漂う「核との共存」

大変、意義深く、かつ素晴らしい論稿に出会いました。
「原爆被災地・フクシマに漂う『核との共存』-被爆地・ナガサキも同じ過ちを経験した-」です。原発設置反対小浜市民の会が発行している『はとぽっぽ通信』227号(2019年2月)に掲載されたものです。
執筆されたのは高槻市在住の山口研一郎医師。医療活動のかたわらで、命の問題を扱うシンポジウムを精力的に開催されています。

山口医師は長崎医大の出身。福島原発事故後に福島県に入り込み、ウソに満ちた安全論をふりまいたかの山下俊一氏と机を並べた間柄です。福島における山下俊一氏の活動を鋭く批判されています。
その際、大事なのは長崎の歴史を背景に語られていること。今回のこの論考でも冒頭で次のように述べられています。
「私の生まれ故郷である長崎でも、被爆直後から『核との共存』『平和利用』が語られ始め、その挙句、原爆への怒りから「祈りの長崎」へと変質した過程があります」。

実はこれをリードしたのが長崎の聖人とうたわれてきた永井隆氏でした。長崎の被爆の中心地、浦上在住のカトリック信者にして原子物理学者で、長崎医科大学放射線科助教授としての仕事中に被爆され、1952年に亡くなられました。
様々な発言や出版物で長崎の被爆者に大きな影響を与え、長崎の平和の使者として尊重されてきた方です。長崎原爆資料館にもまつられています。
その言葉によって救われた方もおられたわけで、そうした思いは尊重されなければなりませんが、それでも山口医師が紹介した、以下の永井氏の主張は衝撃的です。

「嗚呼、世界大戦争の闇、将に終わらんとし平和の光りさし始めたる八月九日、この天主堂の大前に立てられたる大いなる燔祭(はんさい)よー悲しみのうちにも私共はそれを美しきもの、潔きもの、尊きものよと仰ぎ見たのでございます、浦上教会が世界中よりえらばれ燔祭に供せられたことを感謝しましょう」(被爆後の合同葬での弔辞より) なお燔祭とは、ユダヤ教やキリスト教において、生贄の動物(雄の牛・羊・やぎ、はとに限る)を祭壇で焼いて神に捧げる神聖な儀式のことだそうです。
「原爆に見舞われて私たちは幸せであった。浦上住民の信仰の一途さを見よ。天主堂に存する御聖体の下、隣人互いに助け合って快く苦難の道を歩みつづける姿は、外観は貧苦であるが、幸福に満ちているのである」
「あれほど恐れられていた残存放射能も、ひと雨ごとに洗い流され、いまではほとんど証明できない。田畑の作物もむしろ出来がよくなった。生まれ出る子供に不具がありはしないかと心配されたが、丈夫な赤ちゃんが次々と産声を上げた。お嫁さんの妊娠率も悪くなく、祝福された女の人がよく私の家の前を通る。もう何の心配もいらない」(ともに『ロザリオの鎖』1948より)


浦上天主堂の取り壊しによる「被爆への怒りの終焉」・・・。

山口医師は長崎大学医学部の先輩でもある永井氏の活動に疑問を持ち続けておられたそうです。
それがはっきりしたのが、1970年7月発行の『週刊朝日』臨時増刊号「長崎医大原子爆弾救護報告」に書かれた永井氏の一文を読んだ時だったそうです。
「原子爆弾の原理を利用し、これを動力源として、文化に貢献できる如く更に一層の研究を進めたい。転禍為福。世界の文明形態は原子エネルギーの利用により一変するに決まっている。そうして新しい幸福な世界が作られるならば、多数の犠牲者の霊も亦、慰められるであろう」

ようするに永井氏は、「長崎・浦上は神に選ばれた。被爆した民は世界戦争という罪の償いとして犠牲の祭壇に供えられた」と語り、「だから怒ってはいけない!祈りをあげよ」と長崎の人々に説いたのでした。
実はこうした主張のもと、被爆し、廃墟の存続が切望されていた浦上天主堂も解体されたのだそうです。しかも訪米を終えた田川長崎市長の強い提言により、市議会議員全員の反対を押し切って。これもまた永井氏の言葉の影響下のことでした。
そうして長崎は繰り返し「怒ってはいけない!祈りをあげよ」と言われ続けてきたのだそうですが、山口医師はこう指摘しています。

「その背後に来るべき『冷戦』をひかえたアメリカの核戦略構想があったことは言うまでもありません。その推進のために開発された原爆が、カトリックの聖地(天主堂が存在する長崎は、東洋のローマ=ヴァチカンと称された)を破壊し尽くし、8500人の信者を死亡させた事実を一日もはやく葬りさることが必要でした。その象徴こそ天主堂であったのです。天主堂の取り壊しは、同時に「被爆への怒りの終焉」とも言えたのです。こうして長崎は「平和記念都市」から」「国際文化都市」へと変質しました。」
なるほどと思いました。永井氏は発言の中で遺伝的影響も完全に否定していますが、それもまた原爆傷害調査委員会(ABCC)を立ち上げたアメリカの意向と大きく重なっていることを指摘しておきたいです。


長崎で行われたことを福島のみならずあらゆる被爆地で繰り返してはならない!

さて大事なこととして山口医師が紹介しているのは、この永井隆氏を強く信奉しているのが山下俊一氏であるということです。
長崎大学教授だった彼は、退官時に最終講義のタイトルを「転禍為福」としたのだとか。永井氏への敬愛を語りながらです。
そのようにして福島で安全宣伝を行い、被曝の危険性を無視し続けたわけです。

さらになんとその山下氏の右腕として、同じように福島で繰り返し安全宣伝を担ってきた高村昇長崎大原医研教授が、長崎と広島で「放射線災害復興学」を立ち上げています。
さらなる核災害が起こることを前提とし、そのときに放射能の中で「住民が明るく楽しく毎日を送れる」ことを目指すのだとか。これはもう人々を騙す準備としか言えません。
高村昇氏はまた、文科省が作成した『放射線副読本』の編纂に関わり、さらにいま東日本大震災・原子力災害伝承館館長も務めています。

その高村氏が立ち上げた「放射線復興災害学」では、「放射線災害を生じた場合の対応」「災害後の長期的復興」について「学問体系化し人材を育てる」のだとか。
次の原子力災害が生じることを仮定し、「リスクコミュニケーションを通して住民が明るく楽しく毎日を送れる」「新たな村作り」「放射線の不安を持っている人たちの科学的な理解を深め、その不安を緩和するためのコミュニケーションができる人材」「放射線はわれわれの生活になくてはならないもの」などの文面が並んでいると、山口医師は指摘しています。

これは許しがたい。再び三度、放射線被曝の影響を隠し、放射性物質の中で人々に「被曝を気にせずに」生きていくことを強制しようとしているのです。
原子力産業にとって、いや核兵器産業にとって、これほどに好都合な存在はありません。
『放射線副読本』の次に来るものとしての「放射線災害復興学」にまっとうな批判の目をともに向けましょう。そして次世代の人々に、被曝の危険性からしっかりと命を守るべきことを伝えていきましょう!

なお山口研一郎医師は、この3月20・21日に以下の企画を主催されます。興味のある方はこちらもご覧下さい。
「再びいのちを問う-”コロナの時代”を体験して」
https://hayariki.wixsite.com/hayashida/post/_life

#長崎原爆 #怒りの広島祈りの長崎 #山口研一郎 #永井隆 #山下俊一 #高村昇 #放射線副読本 #放射線災害復興学

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