富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

【追悼】・・・「松木妙子」さんを偲んで

2015年07月22日 | パソコンサークル

また大事な「仲間」である人が、逝かれました。
7月19日、サークルの仲間である松木妙子さんは、「間質性肺炎」という病魔と懸命に闘いながらも
治療の甲斐もなく、ついにその人生を閉じられました。
思えば、「富田」のこの地に越されてきて、第2の人生を彼女の思うままに過ごされるはずでした。
美術の先生であった彼女の2つめの人生は「農業」であるとかハーブとか
土に根ざした生き物への憧憬や深い思い入れとともに、そのライフスタイルが築かれはずであり
ゆっくりとして生き生きした生活がそこにあるはずでした。彼女が病にとりつかれなければ・・・・・・・
いずれにしても73歳という生涯は、道の半ばに終わった口惜しさが、この僕をしてこみ上げます。

 

彼女は、群馬の桐生の生まれであり、教職の道を進まれ美術の先生として大阪に赴任されていたと聞きます。
退職後に縁あって、この地に住まいを得られて、我々とサークルでの時間を共有することが出来ました。

思えば彼女は、いつも凜として、そして前向きでおられました。
世の中への視線は、僕自身ともたびたび重なるところもあって、彼女の颯爽とした精神性は
いつも尊敬に値したものでした。

田舎に住むと・・・どうしても視野を狭くして、あの人がどうたら、こうたら
自分を棚に上げて、人のことばかりを口にしてしまうことがあるようです。最近特に思うのは
集落に増え続ける空き家のありようで、それは便利と引き替えに田舎を捨てていくと
都合よく考えがちですが、一方でどうしても「ひとのこと」を口にして、世間を狭くする風土も人を
遠ざける一因ではないのかと、田舎慣れして気づかされるのです。

その意味で、彼女の口からはそうした言葉の一つも耳にすることはなく
僕のお手本でもありました。
彼女の人生を深く知りません。知らなくても彼女は、十分に僕らの仲間でしたし、時には
道を指し示す人でもありました。人への思いやりは決して、ずけずけと立ち入らず今ある人の生き方を
正当に見て、評価する人でした。

けれどもそんな彼女が遠く群馬の桐生から大阪、そして丹波と
変わる人生で、最果ての地となった富田で、こともあろうにこんな難病にみまわれた彼女の人生の不運は、
何も・・・何一つ として彼女の力になり得なかったこの僕を、悲嘆させます。

病院に見舞ったときに、彼女が発した言葉を忘れません。
彼女は死を覚悟してたというよりも、むしろ信仰をよりどころにさらに強く「死と向き合って」おられたことを
思います。時には強がりではなくありのままに、運命の一つとして受け入れているかのように・・・
僕らの哀れみや同情などはるかに超えていると感じて
そのありようは、僕らがマネのしようがないほど気高く、そして強いものでした。

7月21日、園部のカソリック教会で、彼女の子供や孫たちに囲まれ彼女の送別のミサが営まれました。

マリア・ベルナデッタ 松木妙子さん」僕らは決してあなたを忘れません。
あなたは、とても強い人でした。

 


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