落語の「長短」に気の短い人物が出てくる。煙管(きせる)をゆっくりと吸っている仲間に腹を立て文句を言う。「たばこなんてものはのんびり吸うもんじゃない。俺なんか急いでいるときは火をつける前に(煙管を)はたいちゃう」▼用意周到も結構だが、そう気ぜわしくてはかなわない。せっかちに先回り、先回り。想像しただけで時間があっという間に過ぎていく気がする。街角でおせち料理の広告を目にする季節だが、あれを見ると今年も終わりという気にさせられる。まだ二カ月以上残っているのに。気の短い世の中か▼そう書いておきながら、数カ月も先の話となる。日本気象協会によると来年春のスギ、ヒノキなどの花粉飛散量は北海道などを除き、今年よりも大幅に増える見通しだそうだ▼関東甲信地方では今年に比べ二・四倍。東海地方は一・九倍。数字を見ているだけで、鼻のあたりがむずがゆくなってくるという人もいるだろう▼今年の梅雨前線の活動が弱かったことと関係があるそうだ。六月の「高温・多照・少雨」の条件がそろってしまい、これがスギの花芽形成を促すらしい。そうなると雨が少なくていいと思っていた、あの梅雨がうらめしくなる▼落語の気短な男を思い出し早めの準備をとは思うのだが、具体的にできることが少ないのが花粉症のつらいところか。せめて来年は多いぞと覚悟し、身構えるとする。
「親ガチャ」は最近流行の俗語で、親は自分で選べないことをいう。中身が何かは運次第のカプセル玩具販売機「ガチャ」に由来するらしい。親の経済力など、生まれた環境で人生が左右されることを嘆く際に使われる▼うちはハズレだったと言っているようで親への敬意も感じられず、使うのをためらう言葉ではある。ただ、格差固定など社会の問題を言い当てていると評価する向きはある▼親のために、これほど苦しむ人がいるのか。両親が旧統一教会の会員で自身もかつて所属した小川さゆりさん(仮名)が先週、日本外国特派員協会で記者会見し、親の行き過ぎた信仰で苦しむ子らを救うため、法整備などを訴えた▼多額の献金で生活は厳しく、子ども時代は見た目の貧しさからいじめられた。アルバイトで得た金も親に奪われた。精神を病んだ時期も。行政に相談しても宗教への理解が乏しく、親身になってもらえないのが現実という▼特派員協会に教団側からファクスが届き、小川さんの説明は精神疾患のため虚偽の可能性があると会見中止を求めてきたが、文書に添えられていたのは両親の署名。親子を裂くこの問題の苛烈さを見せつけられた気がする▼信教の自由に絡む話ではあるが、救う手だては考えねばなるまい。「国ガチャ」という俗語もあるらしいが、生まれた国がハズレだったと絶望させては悲しすぎる。
薄いコートがほしくなるほど寒くなったかと思えば、またちょっと暑くなってみたりとこの秋は調子っぱずれで、ややこしい▼奇妙な天候に惑わされているのはなにも人間さまばかりではなさそうだ。近所の公園に出かけるとソメイヨシノやカワヅザクラの花がちらほらと咲いている。長年の散歩コースだが、これほどの返り咲きはちょっと記憶にない。ぽつんと咲いたサクラの白い帰り花がどこか寂しげに見える▼季節に合わぬ開花を専門的には「不時現象」という。サクラの場合、夏に台風などの影響で葉が落ちてしまうと成長を抑制するホルモンが不足して、花芽が目を覚ましやすいらしい▼こうした状態で秋を迎え、気温が下がった後、暑さのぶり返しなどがあるとサクラの方は冬が終わって、春が来たんだと勘違いして、花を咲かせるそうだ▼なるほど、夏場の台風といい、このところの寒かったり、暑かったりの陽気といい、返り咲きの条件にあっているのだろう。冬さえまだ来ていないのにサクラの早とちりを誘ったらしい▼<物すごやあらおもしろのかへり花>は江戸期の上島鬼貫。おもしろいかもしれぬが、言い伝えではサクラの「時なしの花」はあまり縁起のよいものではないらしい。地域によっては変事や不思議な出来事の前兆ともいうそうだ。前兆はともかくこの寒暖差、体調の管理にはくれぐれもご注意を。
「咳(しわぶき)。恥づかしき人に、物言はむとするにも、先(ま)づ、前(さき)に立つ」▼「枕草子」の中で見つけた。「恥づかしき人」になにか言葉をかけようとするときに限ってむせて咳(せき)が出てしまう。そんな意味だろう▼問題は「恥づかしき人」。今の感覚だと珍妙でみっともない人物が浮かんでくるが、逆である。こちらが恥ずかしくなるほど身分の高い人。そういう人を前にすると緊張のあまり咳が出るというのであろう▼「恥づかしき人」の意味が正反対になるように言葉は時代とともに変化する。文化庁の調査によると「なにげなく」の意味で「なにげに」を使う人は47%、「中途半端でない」の意味で「半端ない」は46%、「正直なところ」を意味する「ぶっちゃけ」は41%。いずれも半数に迫る▼当欄に「なにげに」などと書けば、校閲部が青い顔をして飛んでくるが、もはや市民権を得ているのだろう。『日本俗語大辞典』によると「なにげに」の登場は一九八〇年代半ば。「ぶっちゃけ」は二〇〇〇年代前半。木村拓哉さん主演のドラマ「GOOD LUCK!!」のせりふと関係があるらしい。時間をかけて浸透した▼「そうではなくて」の意味で、若い人が使う「ちがくて」や「○○みたいに」の「○○みたく」の使用率はまだ二割そこそこ。いずれは当たり前になっていくのか。言葉の変化を受け止める一方でぶっちゃけ、戸惑う。
「タウラン」という言葉を知った。インドネシアの学生による集団決闘のことだそうだ。団結心と相手へのライバル心が乱闘につながりやすいらしい▼インドネシアのサッカーファンが熱狂的で時にサポーター同士の抗争に発展しやすいのは「タウラン」と関係があるのではという説がある。自分の応援するチームの敗北は認めがたく、中傷などは決して許さない−。そんなファン心理が少なからずあると聞く▼サッカー史上最悪の事件が起きてしまった。インドネシア東ジャワ州のサッカー場での暴動である。死者は少なくとも百二十五人。言葉を失う▼ホームチームの敗戦に腹を立てたファンがピッチに乱入した。これを鎮圧しようと催涙弾を発射した警察の判断は正しかったのか。結果、観客が出口に殺到し犠牲者を増やすことになった▼インドネシアでの特殊な事件ととらえるべきではないだろう。英国での調査でも、サッカーファンの暴力行為が増えている。長引いたコロナ禍でのストレスなども関係あるのか、興奮と夢の場所が危険な場所に変わるのは耐えがたい▼かつてベルギーではファン・コーチングという取り組みが成功したそうだ。相手チームや審判に対する敬意の大切さを選手がファンに直接、教える。サッカー場の暴力を鉄壁なディフェンスによって封じ込めたい。サッカーを決して悪者にしないためである。