東京新聞寄居専売所

読んで納得!価格で満足!
家計の負担を減らしましょう!
1ヶ月月極2950円です!
アルバイト大募集中です!

今日の筆洗

2022年10月14日 | Weblog
一九〇七(明治四十)年発表の田山花袋の『蒲団(ふとん)』には、人々でごった返す新橋駅が登場する。主人公の作家が、帰郷する弟子の若い女性とその父親を見送る場面▼「混雑また混雑、群集また群集(中略)。一刻ごとに集(あつま)り来る人の群、殊に六時の神戸急行は乗客が多く、二等室も時の間に肩摩轂撃(けんまこくげき)の光景となった」。肩摩轂撃は激しく混雑するさまを表す▼日本の鉄道は明治五年に新橋−横浜間で開業して以来混んでいた。需要に運行が追いつかない。大正、昭和になっても乗客数や鉄道延長などから計算する「混雑度」はフランスや米国より高かったという。小島英俊氏の著書『鉄道快適化物語−苦痛から快楽へ』に教わった▼明治の鉄道誕生からきょうで百五十年。今や乗客は減る時代である。疫病流行で在宅勤務が定着。朝夕の駅の混雑は以前ほどには戻らないとみられ、減便する会社もある。特に地方は人口が減り、ローカル線は空席が目立つ。需要喚起に知恵を絞らねば、鉄路は生き残れない▼先の小島氏の本によると、明治の鉄道需要には観光目的も含まれた。日清戦争が起きた明治二十七年には行楽地を目指す臨時の「周遊列車」が誕生し、日光を往復した。新橋−京都間の紅葉狩り列車をはじめ、マツタケ狩りや海水浴など各種周遊列車が大人気だったという▼旅への愛着が変わらないとすれば、きっと未来もある。