長いこと夏は福島の子どもとお母さんに加子母の保養合宿に来てもらってて
その準備と片付けで忙しかったけど、今年からはもうない。
保養も終わって使わなくなったシーツ類はスタッフみんなで持ち帰ったんだけれど
うちにいただいたもので古い昭和な掛け布団シーツが一枚。
昔のシーツって布団の真ん中が楕円に空いていて、ここから布団を出し入れするんだよね。
ちょっとボサって入るけれど、かわいいチロリアンテープがパイピングに使われてる。
最初はこれを切り刻んで、掃除に使うウェスにしようと思ったんだけど、ちょっとためらう。
かわいいだけでなくこのシーツ、肌触りがなんともいえずいいのだ。
きっとひと昔前の布は、機械化もそんなに進んでおらず
今ほど短い時間で大量の布を生産することはできなかったんだと思う。
だからゆっくりと作られ、生地の質もよく。
今ほど安くもなく、今ほど使い捨てることもなく。
それでこのシーツを使って、家で履くステテコパンツを作ることにしました。
チロリアンテープも切り取って(相当ホサホサになってて、
リッパーで解くとリボンも解けてきそうだったからハサミでカット)裾に。
生地自体はかなり古いから、もしかしたらすぐに破けてくるかもしれないけどね。
さあシーツの次はパジャマの人生です。
しばらくよろしくー!
こちらも朝晩は寒くなってきましたが、日中はかなり暑くて
日焼けを恐れながら、田畑の草刈りをしています。
断捨離って私あまりいいイメージなかったんですが
断の字は物欲を断つ、の断だそうで
これはいいじゃん!と思いました。
今回シーツをパジャマにしたのは、あまりに肌さわりが良い生地で、
捨てたり掃除に回すことが忍びなかったのです。
ナイロンやアクリルの入った生地は小さく切って掃除用のウェスにしてしまいました。
まだ使えたのにもったいなかったですが。
tenfingersさんのお話は、貧しいとは全然思いません!
むしろこういう日常が重なって、毎日の生活自体も大切に思えるのだと思います。憧れです!
子供ってお母さんがやってることはほんと見てますよね〜
tenfingersさんのお母さんがシーツを丁寧に縫っておられた姿がtenfingersさんに残っているように
私もカタカタ縫っている姿を子供に見ててもらいたいなあと思いました。
ございます、と書いたつもりが、、、、
それに行も短かったり長かったり、
昔なら手紙の最後に
「乱文乱筆お許しください」と書く
ところです。
暑さのせいで、大分脳軟化が進んだと
思ってください。
私はチマさんの記事を読んで、瞬時に子供の頃の
母がしていた仕事を思い出しました。
それは古い(敷く)シーツを真ん中から縦に
シャーっと裂いて両端同士を一緒に縫うのです。
こうすると真ん中が薄くなったシーツも再生できる
といっていました。本当に貧しい話で申し訳ありません。物を本当に使い尽くすのは普通のことと思いますが、それにしても世の中のせいだったのか、個人的に極貧だったのか、ほかの色々なことと考え併せてみています。当時の自分がそれほど貧乏で困っていたような記憶も無いので、物を大事にするのは普通のことだったのかしら。私も少し古いぐらいのシーツは
上下だけを横に切って二つ折にして上下を縫って
枕カバーを2枚作ります。新品のシーツなら、一枚のシーツから5枚は作れます。現在は物を大事にするどころか、物を断捨離などと言って、大いに捨てましょうという時代になってしまいましたね。