チマチマ毎日

木工屋と陶器屋の夫婦が作るセルフビルドの家と、まいにちの生活、道具のあれやこれや。

二本目「山の郵便配達」

2016年01月04日 | 読む見る聴く&思う

 

 ずっと観たかった映画だった。

観てよかった。

うつくしい。中国はこんなにうつくしいところがあるだな。

観たことのない景色、しかしなつかしい景色がうちの小さいテレビ画面に広がる。

  

               

     

時代はいつだろう、今に近いと思う。

中国の奥深い山村に歩いて郵便物を配る父親、その仕事を継ぐことを決めた若い息子。

一人っ子政策で息子はひとり。その代わりによくできた「次男坊」と呼ばれる犬がいる。

 

息子の初めての仕事の日、父親は心配になって息子についてゆく(犬の「次男坊」も)。

 

 

郵便配達の仕事はきつい。

山道をのぼり、崖をのぼり、川を渡る。

父親はそれがもとで足を悪くしている。

 

たまにしか帰って来なかった父親に親近感を持てない息子は

とまどいながら父親に郵便配達の仕事につきそってもらい、

いままで見たことのない父親の、人生の一端にふれる。

 

途中の宿泊で、息子は父親にこぼす

「山に住んでるひとには山以外なにもない」と。

「なくても頭でものをかんがえてる。苦しみにぶつかれば考えることで乗り超える。

そうやって考えることなしに人生の喜びはない。

郵便配達の仕事はきつい仕事だ。長く続ければ友人も知識も増える。実にやりがいがある。

他の仕事をしたいとは思わん。誇りを持ってやれよ」父親は答える。

 

山に暮らし、他になにも持たない(持てない)人々は、それでも乗り越えるすべを持っているのだ、

金銭で得るもののかわりにな、父親はそう言っているのだ。

そしてそこに生きる喜びがあると言う。

父親自身そうであったのだろう、伴侶である妻も。

この会話には父親自身、これでよかったのか、という懐疑的な思いもどこかあって

息子はこの先の人生、自分のように郵便配達になっていいのか、という。

 

まだあどけなさを残す息子の寝顔をしあわせそうに眺める父親。 

 

ひとの喜びとはなんなのか。

何かを所有することなのか。

何かを待つことなのか。

毎日毎日おなじことを繰りかえすことなのか。

 

 

私事だけれど、ここに越して来て友だちもいなくて夫婦と子どもだけの日々が何年も続く中

おとなりのおじさんやおばさんがいっぱいの野菜を持ってうちに寄ってくれて、

天気やイノシシの話をしてくれることがどれだけありがたかったことか。

わたしはこの映画を観ていてそれを思った。

おじさんはもう亡くなっていない。

でも「なんでもない天気や農作物とかの四方山話」が生きてる中のたのしみだったりするって

わたしに教えてくれて、それはいつもわたしにある。

 

わたしは山に暮らし、山のひとになったのであろうか。

いやーまだまだだな。そこに近づいてはいるんだろうが。