浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

フルトヴェングラー以来の名演に遭遇 ブラームス第4交響曲

2007年09月24日 | 指揮者
オイゲン・ヨッフムが85歳で世を去ってもう20年が経つ。ベーム、カラヤンといふ同時代の大指揮者が相次いで他界した1980年代だが、独逸の伝統を最も正当に受け継いだヨッフムの死が僕にとっては一番残念なことに思へたのだった。

カラヤンもベームもそれぞれ実演を聴く機会があった僕にとって、ヨッフムは、とうとう実演を聴くことが叶わなかった。お洒落な都会「神戸」、名づけて「しゃれこうべ」とは言ふけれど、所詮辺鄙な処に住む者は、聴きたいと思った時を逃しては一生の後悔を残すといふことだ。

ヨッフムとのレコヲド上での出会ひは結構古く、中学生のときに小遣いで買った「運命」「未完成」のフォンタナのLP盤から数えて40年近いお付き合いになる。今宵は、少々の期待感を持ってヨッフム指揮伯林フィルによるブラームスの交響曲第4番を聴いてみた。前回のクナパーツブッシュの際にも書いたやうに、僕はこの交響曲に対して特別の思い入れがある。

冒頭の絃楽器を一瞬聴いただけで、僕は既に何か大きな期待を寄せてゐた。フルトヴェングラーのライブ録音に匹敵する演奏を予感した。予感は的中し、全ての楽章について言へることだが、音楽運びはフルトヴェングラーの演奏とほぼ同じ感性に基づいてゐる。当時、フルトヴェングラーのブラームスの交響曲は演奏會場かラヂヲ放送でしか聴けなかった(第1交響曲のみSPで発売されてゐた)ことから、楽譜から同じインスピレーションを得ることのできる大指揮者であったと考えたい。終楽章、最後の幾つかの変奏では思わず「そうや!そうやろ!そうやんか!」と大声で連呼してしまふほどの興奮を味わった。この作品でのこれだけの感動は、フルトヴェングラー以外には絶対にないと諦めていただけに、久しぶりに涙が出た。

1953年、フルトヴェングラー存命中に伯林フィルで数多くのレコーディングを行ったことも大変興味深い。戦時中も独逸に留まり、フルトヴェングラー・独逸・伯林の空気を誰よりも肌で感じ、戦後も伯林の空白を埋め、フルトヴェングラーの没後はカラヤンの華やかな空気とは一線を画したヨッフムは、フルトヴェングラーの崇拝者であれば、誰もが心を動かすであらうと思はれる名演奏を多く残してゐる。

スタジオ録音にもかかわらず、このやうな演奏を繰り広げるヨッフムといふ指揮者が、どうしてカラヤンやベームの影になり、バンベルグ響や各地の放送響の指揮者で終わったのか。時流に乗るか否かの差が出たのか。

誤った評価を修正することは可能である。一時代前の空気を感じさせ、巨匠の時代があったことを感じさせる最後の指揮者ヨッフムは、これから大いに評価され、一大ブームを巻き起こすだらう。米國の海賊盤CDRやM&A、Tharaなどがヨッフムのライブ録音を続々と発売してゐることが何よりの証だ。

盤は、DGGのCD 449715。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。