浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

ヨッフムのブラームスに感動 さらにもう一つの第4を聴く

2007年09月28日 | 指揮者
前回、ヨッフムのブラームス第4交響曲を聴いて久々の感動に酔いしれてゐた。そのためか、ここ数日、新しいCDを聴く気分にはなれず、ヨッフムによるこの曲の別の演奏を取り寄せて聴くまで、音楽はあへて聴かずに居たのだった。

前回の演奏は、フルトヴェングラー在任中の伯林フィルハーモニーとの協演だったが、今回はバヴァリア放送響との演奏である。この2つの録音時期については、おそらく10年から15年ほどの隔たりがあり、随分と枯れた響きと慎ましい表現が随所に聴かれ、50歳台の油の乗った前回の演奏とはふた味ほど違う印象だった。特に終楽章の表現やティンパニーの扱いに違いを感じたのだが、やはりヨッフムの音楽運びは全く同じで変わってはいない。

1937年録音のベートーヴェンの第3交響曲前回のブラームスに共通するのはフルトヴェングラーの影である。影と言ふとどうにでも誤魔化しが利くが、本当は(フルトヴェングラーの下で演奏してきた)オーケストラ自身の表現であって、ヨッフムはおまけのやうな存在であるといふやうなネガティブな評価もあるのかも知れない。しかし、それが間違いであることを、今日の2つ目のCDで僕は僕なりに確信した。

やはり、シャコンヌと変奏曲におけるテンポの変化が他の指揮者たちとは決定的に異なる。1953年の演奏と同様、十分納得できる解釈で、風格と神々しささへ感じる。これは伯林フィルではない。フルトヴェングラーの影響とは関係の無いバヴァリア放送響固有の響きの中にヨッフムの音楽が築き上げられてゐることが分かる。

このレコヲドは伯林フィルとの録音ほどのインパクトは無いかも知れないが(特に終楽章193小節からの変奏)、ヨッフムといふ指揮者がフルトヴェングラーと同じ言語を持つ音楽家であることは確認できた。今後、嫁さんの顔色を窺いながらヨッフムのレコヲド蒐集が本格的に始まることになるだらう。現在のヨッフムのマイコレクションは15枚程度だから、これは大変なことになると予測がつく。

盤は、国籍不明のGreen Hillといふレーベルが放送録音をCD化したもの GH-0010


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