浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

フルトヴェングラーの生まれ変わりか 別宅の庭に突如出現

2006年10月08日 | 指揮者
戦時中のフルトヴェングラーの白熱したライブ録音では、極度に緊張を強いられる演奏が多い。序奏部は極端に遅いテンポで始まるが、展開部ではどんどん加速され、頂点を築く。そしてコーダと息の長いフェルマータのついた終結音で曲は締めくくられる。1943年の「コリオラン」序曲や1944年の「魔弾の射手」序曲は典型的だ。

ここ数日の連休を別宅で過ごしているが、秋風そよぐ10月だというのに、庭では蝉が鳴いている。原稿をしたためながら何気なく聞いていたが、今までに聞いたことのない鳴き方を披露してゐる蝉がいたので、窓から顔を出して聴いてみた。幸い、玄関のシンボルツリーが気に入ったと見え、何度も鳴いて聴かせてくれた。それが不思議なことに、何度聴いても感動的な演奏なのだ。

その蝉の名前はツクツクボウシ。前から、思っていたことだが、昆虫の中で、これほど音楽的なセンスをもつ奴はいない。ちゃんと序奏(ジュー)から初めて主部に入ると、一つの主題(ツクツクウォーシ)を反復する。ただ反復するのではなく加速して緊張感を高めるのだ。さらに驚くべきことに、反復がこれで最後といふときに必ず主題を変奏(ツクツクウィー)する。そして、コーダでは終結に導くために主題を変形(ツクツクウィーオーシ)させて終結音を長く伸ばす。余韻を残し、一種の心残りを演出するあたりは只者ではない。

今日、別宅に現れた奴は、ちょっと言葉に表せない興奮を味わわせてくれた。序奏は普通の2倍以上の長さ、主題は極めてスローテンポで始まる。それが、絶妙の加速度によってとんでもないテンポにまで加速されるのである。この間の興奮は聴いた者にしか分からないだらう。しかも、コーダではリタルダンドを巧みに使い、終結音も普通の4倍くらいの長さだった。素晴らしい演奏だ。アンコールと心で叫ぶと4回も応えてくれたのだった。

僕は神仏に感謝した。フルトヴェングラーが生まれ変わって僕の前に現れたのだ。ツクツク法師様に手を合わせた。

戦時中の録音は、米國Music & Arts社のCD CD-826だが、ツクツク法師の演奏は自然の中の音楽に耳を傾ける心を持たなくては聴こえてこないだらう。


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