浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

フルトヴェングラー没後57年 チャイコフスキー第4交響曲を聴く

2011年11月30日 | 指揮者
フルトヴェングラーがこの世を去って57年が経った。30年前のことがついこのあいだのやうに感じるこの頃だが、フルトヴェングラーの没年も遠い過去のことのやうには思へなくなってきたのは歳のせいだらうか。

フルトヴェングラーによるチャイコフスキーの第4交響曲を聴くのは何十年ぶりだらう。第1楽章の第2主題展開部でのフルートの対旋律の独特な歌わせ方や、クレッシェンドにアッチェレランドが加わる瞬間など、若いころの懐かしい感覚や体が震えるほどの興奮が甦ってくる。

時間が経つのは早いもので、いつの間にか退職後の過ごし方などを考える年代になってしまった。最近は音楽を聴けば昔の懐かしい想い出に浸ってばかりだ。チャイコフスキーの切ない旋律が余計に哀しく聴こえる。

今日は知人の告別式に参列してきた。フルトヴェングラーの命日でもある。また、今年の夏は休暇を取り、東北にも行って来た。あまりの惨状に言葉を失った。報道では伝わらないスケール感やにおいなどを体感して帰ってきた。日本國中が死を身近に感じ、自分の身にもいつ降りかかるか分からぬ、一種の諦めのやうな雰囲気が漂ってゐるやうにも感じる。愛犬、親父、祖母との別れなどいろいろなことが重なり、葬儀の間じゅう死について深く考えを巡らせてゐた。

今の僕にできることの中で最も価値のありそうなことは、神戸と東北での体験をもとに、いかに地震のなか生き残り、他の人々を助けるか、といったことについて多くの人々に伝え、亡くなった方々の死を無駄にしないことだと思ふに至った。

演奏は、フルトヴェングラー指揮維納フィルハーモニーによるスタジオ録音盤。


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