ハリド・イブン・ワリド・モスク(ウィキペディアより)
ハリディーヤ地区にあるこのモスクの周辺が戦いの場となった
クサイル戦の時、反政府軍は、周囲との連絡をすべて絶たれ、完全に孤立し、アサド政府軍の総攻撃を受け、敗北しました。
クサイル攻略はアサド側にとって、ダマスカスと海岸部の連絡を安全にすることと、同時にホムスの反政府軍とレバノンとの連絡を断つという2つの意味がありました。
ホムスは、アレッポに次ぐシリア第三の大都市であり、それ自体重要なだけでなく、ここが確保されればアサド側にとって中部と西部が安泰となります。そして、残る反政府側の主要拠点はアレッポのみとなります。
クサイルを失ったことで、ホムスの反政府軍の命運は尽きたかに思えましたが、新たな武器援助のもと、ホムス死守を念じて戦った場合、結果がどうなるかわかりません。アサド側にとって、万一ホムス攻略に失敗すれば、アレッポ攻略は論外ということになり、北部と中部の喪失は決定的となります。
アサド軍有利とは言え、ホムスでの勝敗は、今後の戦い、特に、決戦となるアレッポの戦いを左右するものなので、非常に気がかりでした。次にホムス戦の経過を書きます。
アサド政府軍は、ホムス市を占拠している反政府軍を排除するにあたって、前もって、クサイルとホムス県南部の町や村をいくつか攻撃しました。 ホムスに援軍を送ったり、武器・弾薬を補給する可能性のある根拠地を全てつぶしてから、ホムス市そのものの攻撃に取り掛かるという作戦です。
こうしてホムス県南部を平定したアサド政府軍は、ホムス市の包囲にとりかかり、包囲が完成した6月29日、本格的な攻撃を開始しました。午前9時に始まった爆撃は3時間続きました。それは「あのように激しい攻撃は、今までなかった」と言われたクサイルでの攻撃と同じく、「前例のない」ものでした。
アレッポでは市の東半分を占領している反政府軍ですが、ホムスでの占領地域は20%にすぎません。反政府軍の二大根拠地は旧市街のいくつかの地区とそれの北側に隣接するハリディーヤ地区です。政府軍は主にこの二つの根拠地に対し、爆撃と砲撃を加えました。その様子を、ウィキペディアから引用します。
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<攻撃初日>
シリア国営テレビは、政府軍は大きな成果をあげ、ハリディーヤ地区で数多くのテロリストを殺害した、と伝えた。また、同地区にあるハリド・モスク周辺の戦闘は熾烈をきわめ、戦いが始まる前から、モスクは燃えていた、と伝えた。
ニューヨークタイムズによれば、旧市街のハミディヤ地区に住む反政府活動家は、攻撃全般について次のように語った。「最初にいくつかの地域に空爆を加え、次に何時間もの間ロケット砲を発射し続けた。」
また彼は自分が住んでいる旧市街について、こう語った。「彼らは、威力ある迫撃砲の砲弾を我々にあびせた。そして四つの異なる方角から我々に迫ってきた。旧市街で、我々は、電気と水と電話を切断された。彼らは我々からすべてを取り上げた。我々に残っているのは空気だけだ。」
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一方、初日と2日目の戦闘について、アルジャジーラは、反政府側は果敢に反撃し、アサド軍を押し返した、と伝えています。そして、最初の24時間で、ヒズボラ兵を含む24名のアサド軍側兵士が戦死した、と付け加えています。ひき続き、アルジャジーラから引用します。
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<攻撃2日目>
昨日一歩も前進することができなかったアサド軍は、ハリディーヤ地区と旧市街の連絡を切断しようとし、両者の中間にある市場(=天蓋のあるマーケット)に進入した。戦車を先頭に進撃してくるアサド軍兵士と、これを撃退しようとする反政府軍との間で戦闘が始まった。
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最初の2日間はアサド軍が攻めあぐんでいる様子が感じられます。反政府活動家が述べています。「ホムスでは、反政府軍は長期間、戦うつもりであり、準備ができている。クサイルは、わずかな数のビルディングしかない小さな町だったが、ホムスは大都市だ。立ち並ぶビル群を防御に利用して、本格的な市街戦を戦うつもりだ。」
彼は「準備ができている」としか言っていませんが、要所に地雷を埋め込んだことや、命中率の高い対戦車ミサイルを用意していることなど、反政府軍の周到な準備について言っているのだと思います。
3日目と4日目については、イランの英字紙アララムから、5日目についてはウィキペディアから引用します。
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<攻撃3日目>
攻撃3日目で、政府軍の作戦は大幅に進み、ホムス市に対する包囲の輪をせばめた。政府軍は、3日間連続して、市内数か所にある反政府軍の陣地を攻撃した。
<攻撃4日目>
政府軍は4日間連続して空爆と砲撃を行い、テロリスト(=反政府軍)に大きな損害を与えた。シリア国営テレビによれば、政府軍は、戦闘機と戦車そして迫撃砲部隊による攻撃により、大きな成果をあげた。そして多数のテロリストを殺害した。
<攻撃5日目>
7月3日、戦いは、一個一個のビルディングをめぐっての、激しい攻防となった、と反政府活動家は語った。アサド軍は、迫撃砲によってビルディングを砲撃し、反政府軍の立てこもる区域を一つずつ攻略しようとしている。
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以上、最初の5日間の引用文から、戦いの激しさがうかがえます。連日の空爆と砲撃にもかかわらず、市内では、一進一退の激闘が続けられました。反政府軍の予想外の健闘・アサド軍の苦戦の原因について、アサド政府は、反政府軍が重火器と高性能の武器を持っていたからだ、と言っています。そして同政府は、援助国がこうした武器を反政府軍に供与することに、不信の念を表明しました。アサド軍は自軍の兵士を多く失い、命中率の高い武器の威力を実感して,危機感を抱いたようです。
この段階では、全然、先の見えない戦いでした。メディアでは、激戦の様子と、空爆による一般市民の犠牲が伝えられました。
アサド軍は7日目にしてようやく、ハリディーヤ地区の防衛線を突き崩し、8日目にあたる7月6日には、「アサド軍有利」の報道がなされました。反政府側は、武器が底をついているいる、ということでした。そして、7月8日、アサド軍はハリディーヤ地区の制圧に成功しました。
10日(12日目)、今度は、旧市街のいくつかの地区を制圧し、12日(14日目)、ついに反政府軍はホムス市からの撤退の準備を始めました。撤退の理由には、反政府軍兵士の人数の減少と、アサド軍側の圧倒的な火力の優越があげられています。
やはり、アサド軍の封鎖は成功し、反政府軍は、補給路を遮断され、援軍も来ず、抵抗を続けることができなくなったのだと思います。
ホムス戦についてのまとまった報告と、アサド軍勝利の速報を伝えたのは、ウィキペディア(英語版)です。
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