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イスラム国、後藤健二殺害予告 緊迫の10日間

2015-12-01 22:56:28 | シリア内戦

 

      <湯川・後藤殺害予告>

2015年1月20日、72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがなければ、湯川と後藤を殺害するという動画が公開された。

1月24日午後11時、湯川氏殺害の写真を持った後藤健二の静止画と後藤さんの音声がネットに流れた。

   

その音声は英語であり、話す内容は、イスラム国に指示されている感じだ。

「私はケンジ・ゴトウ・ジョウゴだ。湯川遥菜がカリフ国の土地で殺害されたことは、見ての通りだ。私たちを拘束している人たちは期限を通告し、警告を実行した。安倍、お前が、遥菜を殺した。彼らの警告を真剣に受け止めず、72時間の期限を守らなかったからだ。

りん子、愛する妻。2人の娘をいとしく思っています。安倍に、湯川にしたことを私にさせないでください。あきらめないでください。家族とインディペンデント・プレスの同僚が、政府に圧力をかけてください。彼らの要求は簡単になり、より公正になっています。もうお金を要求していません。テロリストに資金援助する心配はなくなりました。獄中にある彼らの姉妹サジダ・リシャウィの釈放を要求しています。

簡単です。サジダを彼らに渡せば、私は釈放されます。・・・・・・・・

りん子、私に残されれた時間は数時間かもしれません。このメッセージが公開される時、私はこの世にいないかもしれません。これをあなたが聞く私の最後の言葉としないでください。

以上は (youtube)後藤健二氏からの救出依頼のメッセージ より。

ケンジ・ゴトウ・ジョウゴのジョウゴの意味が、誰もわからなかった。後藤さんは妻の城後倫子さんの家に婿入りしており、戸籍上は城後健二だと、後でわかった。

 

1月27日、カサスベ中尉の写真を胸のところに持った後藤さんの写真がネットに公開された。再び後藤さんの音声が語った。

「これは、私の最後のメッセージです。ヨルダン政府が死刑囚の解放を遅らせているので、私の解放も遅れている。日本政府はヨルダン政府にプレッシャーをかあけるべきだ。私は殺されるだろう。私に残された時間は24時間しかない。ヨルダン人パイロットに残された時間はさらに短い」。

この時ヨルダンでは、カサスベ中尉の釈放要求が、国民的世論となっていた。後藤とサジダの交換要求を知った時、ヨルダンの国民は、後藤とともに自国の空軍将校カサスベ中尉を返して欲しいと願った。彼は、乗っていた戦闘機が故障した、とも撃墜されたとも言われる。

ヨルダン政府はカサスベ中尉はすでに処刑されているという情報を得ており、、カサスベ中尉生存の証拠をイスラム国に求めた。これにより、後藤・サジダの一対一交換は行きづまった。

 

1月29日の朝、イスラム国が最後通牒を出した。画面にアラビア語テキストがあり、後藤さんが英語で語った。

「29日の日没までに、私との交換のために、サジダ・リシャウィをトルコ国境に連れてこなければ、ヨルダン人パイロットは殺される」。現地時間の29日の日没は、日本時間では同日11時30分頃である。

 

この最後通牒が出される前夜、同様の内容の最後通牒のメールが後藤さんの妻に届いた。イスラム国は最後通牒をメディアに公表しろと要求していた。当初イスラム国は最後通牒を妻から発信させようとしたようである。メールにはこう書かれていた。

「リンコ、お前はこのメッセージを世界のメディアに公表し、広めなければならない。さもなければ、健二が次だ。29日木曜日の日没までに、健二との交換に、サジダがトルコ国境付近にいなければ、ヨルダン人パイロットを即座に殺すつもりだ」。

しかし妻はメディアに公表しなかった。政府が反対したのだと思う。

 

要求された期限、現地時間29日の日没になった時、妻のメッセージがロイター通信に発表された。少し遅れて、日本の東洋経済オンラインが、音声と英文と日本語訳を公表した。

タイムリミットの時間になったので、妻はいてもたってもいられなかったのだろう。前夜イスラム国に要求されたにもかかわらず、メッセージを出さずにいたが、もはや政府の命令などに従っていられなくなったのだろう。

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     <後藤さん妻、解放求める音声メッセージ公開>

                  東洋経済オンライン 1月30日(金)1時45分配信

 私たち夫婦には、2人の幼い娘がいます。妹のほうは、健二が日本を離れた時には、わずか生後3週間でした。私は、2歳の上の娘が再び父親に会えることを望んでいます。2人の娘が父親のことを知りながら、成長していくことを望んでいます。

 

私の夫は善良で、正直な人間です。苦しむ人びとの困窮した様子を報じるためにシリアへ向かいました。健二は、湯川遥菜さんの居場所を探し出そうとしていたと推測できます。私は遥菜さんが亡くなったことに、非常に悲しい思いをしました。そして、彼の家族の悲しみを思いました。家族の皆さんがどれだけつらい思いをされているかがわかるからです。

 

12月2日、健二を拘束したグループからメールを受け取ったとき、健二がトラブルの中にあることを知りました。1月20日、私は湯川遥菜さんと健二の身代金として2億ドルを要求する動画を見ました。それ以来、私とグループとの間でメールを何回かやりとりしました。私は、彼の命を救おうと戦ったのです。

 

20時間ほど前に、誘拐犯は私に最新の、そして最後の要求と見られる文章を送ってきました。「リンコ、お前はこのメッセージを世界のメディアに対して公表し、広げなければならない。さもなければ、健二が次だ。29日木曜日の日没までに健治と交換するサジダがトルコ国境付近にいなければ、ヨルダン人パイロットを即座に殺すつもりだ」。

 

私はヨルダン政府と日本政府のすべての努力に対して感謝しています。ヨルダンと日本の人々から寄せられる同情に対しても感謝しています。私が小さかったころ、私の家族はヨルダンに住んでいました。そのため私は12歳になるまで、(ヨルダンの首都である)アンマンの学校に通っていました。だから、私にはヨルダンとヨルダンの人々に対して、特別な感情を持っており、多くの思い出があります。

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期限が過ぎた翌日の30日そして31日、何もなかったので、まだ希望があるかもしれない、と思えた。イスラム国は最初の要求を変えたし、その後、サジダ解放を繰り返し要求した。一直線ではなく、ジグザグと進んだ。

私の希望と裏腹に、後藤さんは処刑されていたのである。イスラム国は日本時間2月1日午前5時頃、ネットに公表した。

 

湯川さんの時と同様、動画による殺害シーンではなく、それぞれ一枚の写真だけなので、両人の死は確認できないとする説がある。

イスラム国を脱走した元イスラム国兵士が、間近からではないが、後藤さんに違いない人物が処刑されるのを見たと証言している。


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