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民主化革命は欧米の利益のための国家破壊

2018-05-31 21:25:28 | シリア内戦

 

革命においては穏健派と過激派に分裂することが多い。シリア革命の場合2013年以後この分裂が顕著になった。反乱軍は3つに色分けできた。過激派はヌスラ戦線とイスラム国であり、中間にイスラム主義諸グループがおり、穏健派として自由シリア軍が存在した。

革命の最初期20114月ー5月は武力革命の時期ではなく、反対派のほとんどが穏健派だった。しかしこの時期にも過激派は存在した。穏健派の中にひとにぎりの過激なグループが紛れ込んでいた。彼らの存在を指摘するのはシリア国営放送だけだったので、政府による虚偽のプロパガンダかもしれなかった。しかし一部のジャーナリストが、警察官と兵士の死が多い点に着目し、死亡兵士の名簿を調べた。兵士の死亡についての政府発表は事実だった。これと関連し、デモ隊の中に、あるいは大集団から少し離れた場所に銃を持ったグループがいたとする証言が多数あり、警察官と兵士は彼らの銃撃により死んだことはほぼ間違いない。

第2次大戦末期のロシア革命の発端となった血の日曜日事件では、死亡したのはデモ行進をしていた市民だけであり、兵士は一人も死んでいない。シリアの最初期のデモは血の日曜日事件のイメージで理解されているが、それは誤りである。

20114月ー5月、デモに参加したほとんどの市民の頭の中には武力革命という発想がなく、平和的な政治改革を求めていたが、少数の過激派が存在した。彼らは最初から政権転覆を目的としており、中途半端な改革で妥協するつもりはなかった。彼らの存在がなければ、政権は内戦を避けることができたかもしれない。しかし少数であっても武器を持つグループがいる場合、平和的改革による決着は困難だった。国内の治安に責任がある秘密警察は政権の転覆を目標としているグループの存在に気づいており、国家は危険な状態にある、と感じていた。秘密警察は政権転覆をめざすグループを相手にして死闘を繰り広げていたが、ほとんどのデモ参加者はこれに気付かなかった。とは言え、デモのたびに死者が出た。市民だけでなく、警官・兵士からも死者が出た。シリアのデモには最初から陰惨な側面があり、平和的解決の困難さを物語っていた。

 

平和的な革命が成功しそうもない場合、武装グループを投入する例はいくつもある。ソ連崩壊時のルーマニア、2003年のロシア、2010年のタイとキルギスタン、そして2011のチュニジア、リビアである。シリアの場合もこれに属する。これらの武装グループは例外なく欧米の情報機関であるか、その援助を受けている。

1989年の東欧民主化の中で、ルーマニアでも革命が起きた。同年年12月、チャウシェスク政権が倒れた。東欧諸国の民主化はほぼ平和革命だったが、ルーマニアの場合少し暴力的であり、チャウシェスク書記長は処刑された。この際、西側の情報機関が暗躍した。ルーマニア革命を指導した手法について、欧米の情報機関がみずから語っている。

 

===《正体不明のスナイパーと欧米による体制転換》==

Unknown Snipers and Western backed “Regime Change”

    A Historical Review and Analysis

 <http://www.globalresearch.ca/unknown-snipers-and-western-backed-regime-change/27904>

    By Gearóid Ó Colmáin

         Global Research   2011年1128

 

フランスとドイツが共同で経営するテレビ局(Arte)が放送した「革命の方法(Checkmate: Strategy of a Revolution)」という番組の中で、フランスなどの情報機関の将校がチャウシェスク政権を倒した経緯を明らかにした。彼らは暗殺部隊を使用したと語っている。

このドキュメンタリーを見れば、欧米の情報機関・人権団体・メディアディアが大衆の不満を利用し国家を破壊する方法がわかる。そのやり方は計画的で組織的である。

フランスの元スパイがルーマニア革命における欧米の役割について語った。

「革命を始めるための第一歩はその国の反対派についてよく理解することだ。有能なスパイ組織であれば、国民に影響力がある団体を特定ことは容易だ。この団体が社会に混乱を引き起こせば、政権は不安定になる」。

元スパイがルーマニアへの干渉を隠そうとしないのは、革命はルーマニア国民に幸福をもたらすと信じているからだ。ルーマニア人の革命指導者も同じように考えている。

「自由な市場に基づく資本主義はルーマニアを豊かにするだろう。死者が出たが、やむを得ない犠牲だ」。

20年後の現在(2011年)、期待は裏切られ、ルーマニアはヨーロッパで最も貧しい国にとどまっている。大部分のルーマニア国民にとって、革命後の20年間は貧困が悪化した時代となっており、「チャウシェスク時代はよかった」という声が聞かれる。

ルーマニア革命に欧米の情報機関が関与したことについて、フランスのル・モンド紙は「民主主義への移行のための革命」に疑問を投げかけた。

 

       〈ロシア 1993年〉

199310月、新憲法制定をめぐってエリツィン大統領と、ハズブラートフ最高会議議長・ルツコイ副大統領などの議会派勢力が対立した。議会派は国会議事堂を占拠した。エリツィンの命令により、戦車が国会議事堂を砲撃した。ロシア政府は死者187人と発表したが、実際には2000人以上が死亡した。国会議事堂に対する本格的な攻撃の前から、多くの市民が死んでいた。国会議事堂の周囲には、議会派を支援する市民が集まっており、彼らは近くの建物の屋上のスナイパーによって狙撃され、死傷した。米国大使館付近にもスナイパーがいた。スナイパーからの銃撃を避けるため、彼らは国会議事堂に逃げ込んだ。その後国会議事堂に対する攻撃が始まった。最初は重機関銃による連射があり、続いて戦闘ヘリと戦車による砲撃が始まった。

議会派を攻撃したのはエリツィンの部隊ではあるが、外国の部隊も参加している。攻撃側がイディッシュ語で無線連絡していた。(イディッシュ語はユダヤ人が話すドイツ語である)。セルビアの作家ドラゴス・カラジッチは「米国とエリツィン政権が国民を代表する議会と市民を武力攻撃した」と書いている。

「欧米の指導者は民主主義の理想を掲げながら、平然と他国の市民を虐殺する。CIAの中佐が傭兵部隊を指揮し、イスラエルの狙撃師団のスナイパーが補助部隊となり、国会議事堂に結集したロシア国民を殺害した」。

国会議事堂の攻撃終了後、多くの議会派が処刑された。彼らは国会議事堂を防衛していたコサック、民兵、ロシア軍将校であり、壁際に立たされて銃殺された。奇跡的に絶命しなかった者が6名いて、老婆が彼らを自分のアパートに運び、手当てをした。

1997年セルビアで民主化運動が起きたが、作家ドラゴス・カラジッチは民主化運動の実態を知っていたので、民主化運動には参加しなかった。

 

        〈2011年 チュニジア〉

20111CNNが伝えた。「16日、武装グループが治安部隊と交戦している」。チュニジアの反乱で死亡した市民のほとんどは、正体不明のスナイパーに狙撃されて死んだ。狙撃用ライフルを持ったスェーデン人数名がチュニジアの治安部隊によって逮捕された。ロシア・トゥデイがこの映像を放映している。チュニジア・エジプト・リビアの革命は純粋に国内的で自発的な民主化運動ではなく、米国が計画し、指導した革命である。

1月から2月にかけてチュニジアで起きたことを見れば、英国・フランス・米国の大使館と情報機関がベン・アリ政権を倒すために計画した陰謀であることがわかる。

ベン・アリは欧米と友好的な関係にあったため、多くの人は欧米による陰謀に気付かなかった。国際政治の専門家チュスドフスキーなどが指摘していたにもかかわらず、多くの人が理解できなかった。

 

        〈2011年 シリア〉

シリアでは3月にデモが始まったが、武装グループとスナイパーが大きな役割を果たした。数百人の兵士・治安部隊員がイスラム主義者とムスリム同胞団によって殺害され、拷問され、身体を切断された。4月私はハマを訪問した。ハマは美しい町である。市民の話によると、以前は平和な町だったが、最近武装グループが街路を歩き回っており、住民はこわがっている、という。果物店の店主は暴力事件を目撃した、と私に語った。ハマに滞在中シリアのテレビを見た。ニュース番組で、ワシントン・ポストの記事を紹介していた。記事の表題は「CIAが反対派を支援」というものだった。CIAの支援とは、軍事訓練と資金を与えることだ。それは米国の利益のためだ。

数日後私は文化的な古都アレッポに行った。複数のホテルを経営するビジネスマンに話を聞くと、彼はアサド大統領を支持している、ということだった。彼はいつもアル・ジャジーラTVを見ているが、最近その報道内容に疑問を持つようになった、という。「兵士がデモををする市民をなぐったり、拷問したりして知る映像を見ると、あんなことをしてはいけないと思う。ただし、映像は偽物かもしれない。自分には判断できない」。

彼の言うように、政府軍兵士の犯行とされている残虐行為の犯人は武装グループかもしれない。ハマで起きたことだがが、切断された死体が川に投げ捨てられた。誰の犯行か、解明は難しい。

ところでアサドを支持する多くの市民が国営放送に洗脳されているわけではない。シリアの人々はインターネットにアクセスできるし、西側の衛星放送を見ることができる。アル・ジャジーラだけでなく、BBCCNNなどの国際放送を見ていいる。またニューヨーク・タイムズやル・モンドをネットで読んで読むことができる。

ハマとアレッポで、人々の話を聞いた限りでは、大部分の市民が政権を支持しているようだ。

==============(Global Research 終了)


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