2日目。
昨夜から降り出した雨が、日をまたぎさらにその雨脚を強めました。
その状況のなか、副長から「是非に
」と提案されたのは・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/5e/de927d4d8dcdac15ee1e59417500dc64.jpg)
『駒門風穴』
富士最大級にして最古の溶岩洞窟といわれ、内部は本穴291メートル、枝穴110メートル。
国指定天然記念物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/48/7b8c7d8b28f6c068af08782cc6913772.jpg)
内部は凸凹してはいるものの、照明は整備してあるため足元も見える程度に明るい。
ヒヤッとして、天然の冷蔵庫的な冷気はあるものの、夏であれば避暑にはちょうどよいくらいの塩梅。
雨の影響で滑るのではないかと思われたものの、それもほとんどなく、なかなかに快適でした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/5c/58524e2cd4c219e4ce41ee2bad418a40.jpg)
『富士山東口本宮・須走口登山道 富士浅間神社』
富士山本宮浅間大社、北口本宮冨士浅間神社とともに、現在「本宮」と称されている神社です。
「平安時代初頭、桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火した。当時の国司・郡司(朝廷の役人)は、恐れおののく住人のために鎮火の祈願を行うべく、富士山東面・須走の地に斎場を設け、鎮火祭を斎行した。すると、同年4月初申の日に噴火が収まった。この御神威を畏み、報賽するべく、平城天皇の時代・大同2(807)年に鎮火祭跡地・現在の御社殿の地に神をお祀りしたことが、当社の創建と伝えられる。」
(東口本宮 ホームページより抜粋)
主祭神 コノハナサクヤヒメノミコト
相殿神 オオナムチノミコト ヒコホホデミノミコト
5000坪といわれる境内は、周囲を鬱蒼とした樹木に囲まれ、晴れていたならば、どれほど清々しい境内であったことかと思わずにはいられないほどの、激しい雨の中の参拝となりました。
またの機会に、再拝させていただこう。。。
昨夜から降り出した雨が、日をまたぎさらにその雨脚を強めました。
その状況のなか、副長から「是非に
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『駒門風穴』
富士最大級にして最古の溶岩洞窟といわれ、内部は本穴291メートル、枝穴110メートル。
国指定天然記念物です。
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内部は凸凹してはいるものの、照明は整備してあるため足元も見える程度に明るい。
ヒヤッとして、天然の冷蔵庫的な冷気はあるものの、夏であれば避暑にはちょうどよいくらいの塩梅。
雨の影響で滑るのではないかと思われたものの、それもほとんどなく、なかなかに快適でした
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『富士山東口本宮・須走口登山道 富士浅間神社』
富士山本宮浅間大社、北口本宮冨士浅間神社とともに、現在「本宮」と称されている神社です。
「平安時代初頭、桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火した。当時の国司・郡司(朝廷の役人)は、恐れおののく住人のために鎮火の祈願を行うべく、富士山東面・須走の地に斎場を設け、鎮火祭を斎行した。すると、同年4月初申の日に噴火が収まった。この御神威を畏み、報賽するべく、平城天皇の時代・大同2(807)年に鎮火祭跡地・現在の御社殿の地に神をお祀りしたことが、当社の創建と伝えられる。」
(東口本宮 ホームページより抜粋)
主祭神 コノハナサクヤヒメノミコト
相殿神 オオナムチノミコト ヒコホホデミノミコト
5000坪といわれる境内は、周囲を鬱蒼とした樹木に囲まれ、晴れていたならば、どれほど清々しい境内であったことかと思わずにはいられないほどの、激しい雨の中の参拝となりました。
またの機会に、再拝させていただこう。。。