サッカー・ワールドカップはドイツの優勝ですね。アルゼンチンもご苦労さまでした。これからは高高校野球の観戦ですね。
さて、盛岡城跡は現在、公園として使用されており、盛岡城跡公園または、岩手公園と呼ばれています。盛岡市内を流れる中津川に沿いにあり、盛岡駅から市内循環バス「でんでんむし」の左回りで「菜園川徳前」または「盛岡城跡公園」で下車するとすぐです。盛岡駅ら歩くと15分ぐらいかかります。出入り口は大通りの櫻山神社の東、西からの二カ所と菜園側にあります。中津川からはどこからでも出入りできます。
菜園側入り口
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菜園側入り口
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なだらかな坂を上っていくと、宮野小提灯の碑があります。
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宮野小提灯の碑
小提灯は盛岡の出身で、下橋高等小学校(現:下橋中学校)を卒業後、盛岡に住みつづけ、岩手俳壇(はいだん)の重鎮として多くの後進を指導しました。この碑の前に、次の方向案内板が立っています。、
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右の方向に進むと腰曲輪で、桜の時期には多くの人が集まるところです。ここをさらに進んで行くと階段があり下って行くと公園広場に出ます。
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腰曲輪
左方向に進むと二の丸の方向で、途中に榊山稲荷曲輪跡があり、右側に朱色の御廊下橋が見えます。
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榊山稲荷曲輪跡
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御廊下橋
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二の丸
二の丸には、新渡戸稲造、石川啄木の碑が建立されています。
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願はくはわれ
太平洋の橋
とならん
新渡戸稲造
新渡戸稲造は盛岡の出身で、のちに国際連盟事務次長を務めております。新渡戸は英文学を学ぶ目的は、自分は許されるならば、太平洋の橋となりたいと思う。日本の長所を西欧に紹介し、西欧の長所を日本に紹介する橋渡しの役を務めたい。だから英語に精通する必要があるのです」とといわれたと伝えられています。
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啄木歌碑
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不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心
啄木
啄木歌碑を見たら御廊下橋を渡って本丸へと進みます。この橋は当時を偲ばせる擬宝珠つき朱色の橋です。かつては屋根付きの立派な橋だったそうです
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御廊下橋
御廊下橋を渡ると本丸になります。現在本丸には台座だけが、がっしりと建立されています。台座にはかって南部家42代南部利祥(としなか)中尉騎乗の姿があったようです。彼は日露戦争に従軍したが、明治38年に満州にて戦死(享年24歳)され、市民はこれを悼み明治41年この地(本丸)に銅像を建設しましたが、昭和19年、太平洋戦争の軍需資材として回収されて台座のみになっています。
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南部利祥銅像の台座
台座の前から左の方向に進む(下って行く)と十字路の出ます。
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台座から左方向の路
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十字路
十字路を左折すると、御廊下橋の下の道にで、先ほどの新渡戸稲造の碑、啄木の歌碑のある二の丸に出ます。
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十字路を右折すると公園広場、中津川方面、十字路をまっすぐに進むと三の丸となりますので、まっすぐ進みましょう。
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三の丸
三の丸には烏帽子岩(兜岩とも呼ばれる)もあります。
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烏帽子岩
三の丸から公園広場の方に下り、中津川方面に進むと池があり、手前にホタルの里があり、橋を渡ると宮澤賢治の詩碑あります。
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岩手公園
「かなた」と老いしタピングは
杖をはるかにゆびさせど
東はるかに散乱の
さびしき銀は聲もなし
なみなす丘はぼうぼうと
青きりんごの色に暮れ
大学生のタピングは
口笛軽く吹きにけり
老いたるミセスタッピング
「去年(こぞ)なが姉はこゝにして
中学生の一組に
花のことばを教へしか」
弧光燈(アークライト)にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるゝ
賢 治
ここからは、中津川に沿って上流方向にすすむと中の橋、下流方向に進むと下の橋に出ます。下の橋のすぐ傍には宮澤賢治のちゃぐちゃぎう馬コの詩碑があります。
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この地は宮澤賢治の学正時代の下宿先のようで、賢治が使った井戸の水が飲める水飲み場があります。ここでひと休みし、次の目的地に行きましょう。
今回は菜園側入口から本丸までのコースでしたが、他の入り口からのコースは次回にします。
さて、盛岡城跡は現在、公園として使用されており、盛岡城跡公園または、岩手公園と呼ばれています。盛岡市内を流れる中津川に沿いにあり、盛岡駅から市内循環バス「でんでんむし」の左回りで「菜園川徳前」または「盛岡城跡公園」で下車するとすぐです。盛岡駅ら歩くと15分ぐらいかかります。出入り口は大通りの櫻山神社の東、西からの二カ所と菜園側にあります。中津川からはどこからでも出入りできます。
菜園側入り口
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菜園側入り口
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なだらかな坂を上っていくと、宮野小提灯の碑があります。
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宮野小提灯の碑
月待つや
独り
古城の松のもと
独り
古城の松のもと
小提灯は盛岡の出身で、下橋高等小学校(現:下橋中学校)を卒業後、盛岡に住みつづけ、岩手俳壇(はいだん)の重鎮として多くの後進を指導しました。この碑の前に、次の方向案内板が立っています。、
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右の方向に進むと腰曲輪で、桜の時期には多くの人が集まるところです。ここをさらに進んで行くと階段があり下って行くと公園広場に出ます。
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腰曲輪
左方向に進むと二の丸の方向で、途中に榊山稲荷曲輪跡があり、右側に朱色の御廊下橋が見えます。
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榊山稲荷曲輪跡
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御廊下橋
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二の丸
二の丸には、新渡戸稲造、石川啄木の碑が建立されています。
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願はくはわれ
太平洋の橋
とならん
新渡戸稲造
新渡戸稲造は盛岡の出身で、のちに国際連盟事務次長を務めております。新渡戸は英文学を学ぶ目的は、自分は許されるならば、太平洋の橋となりたいと思う。日本の長所を西欧に紹介し、西欧の長所を日本に紹介する橋渡しの役を務めたい。だから英語に精通する必要があるのです」とといわれたと伝えられています。
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啄木歌碑
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不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心
啄木
啄木歌碑を見たら御廊下橋を渡って本丸へと進みます。この橋は当時を偲ばせる擬宝珠つき朱色の橋です。かつては屋根付きの立派な橋だったそうです
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御廊下橋
御廊下橋を渡ると本丸になります。現在本丸には台座だけが、がっしりと建立されています。台座にはかって南部家42代南部利祥(としなか)中尉騎乗の姿があったようです。彼は日露戦争に従軍したが、明治38年に満州にて戦死(享年24歳)され、市民はこれを悼み明治41年この地(本丸)に銅像を建設しましたが、昭和19年、太平洋戦争の軍需資材として回収されて台座のみになっています。
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南部利祥銅像の台座
台座の前から左の方向に進む(下って行く)と十字路の出ます。
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台座から左方向の路
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十字路
十字路を左折すると、御廊下橋の下の道にで、先ほどの新渡戸稲造の碑、啄木の歌碑のある二の丸に出ます。
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十字路を右折すると公園広場、中津川方面、十字路をまっすぐに進むと三の丸となりますので、まっすぐ進みましょう。
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三の丸
三の丸には烏帽子岩(兜岩とも呼ばれる)もあります。
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烏帽子岩
三の丸から公園広場の方に下り、中津川方面に進むと池があり、手前にホタルの里があり、橋を渡ると宮澤賢治の詩碑あります。
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岩手公園
「かなた」と老いしタピングは
杖をはるかにゆびさせど
東はるかに散乱の
さびしき銀は聲もなし
なみなす丘はぼうぼうと
青きりんごの色に暮れ
大学生のタピングは
口笛軽く吹きにけり
老いたるミセスタッピング
「去年(こぞ)なが姉はこゝにして
中学生の一組に
花のことばを教へしか」
弧光燈(アークライト)にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるゝ
賢 治
ここからは、中津川に沿って上流方向にすすむと中の橋、下流方向に進むと下の橋に出ます。下の橋のすぐ傍には宮澤賢治のちゃぐちゃぎう馬コの詩碑があります。
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ちやんがちやがうまこ
宮 澤 賢 治 自 筆
夜明げには
まだ間あるのに
下のはし
ちやんがちゃがうまこ見さ出はたひと。
ほんのぴゃこ
夜明げがゞった雲のいろ
ちゃんがちゃがうまこ 橋渡て來る。
いしょけめに
ちゃがちゃがうまこはせでげば
夜明げの為が
泣くだぁぃよな氣もす。
下のはし
ちゃがちゃがうまこ見さ出はた
みんなのながさ
おどともまざり
宮 澤 賢 治 自 筆
夜明げには
まだ間あるのに
下のはし
ちやんがちゃがうまこ見さ出はたひと。
ほんのぴゃこ
夜明げがゞった雲のいろ
ちゃんがちゃがうまこ 橋渡て來る。
いしょけめに
ちゃがちゃがうまこはせでげば
夜明げの為が
泣くだぁぃよな氣もす。
下のはし
ちゃがちゃがうまこ見さ出はた
みんなのながさ
おどともまざり
この地は宮澤賢治の学正時代の下宿先のようで、賢治が使った井戸の水が飲める水飲み場があります。ここでひと休みし、次の目的地に行きましょう。
今回は菜園側入口から本丸までのコースでしたが、他の入り口からのコースは次回にします。