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たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

盛岡市保護庭園

2025年05月05日 | ぶらりぶらり

前回までは、盛岡市指定文化財を載せてきました。今回は盛岡市保護庭園です。

 

盛岡市保護庭園

(1) 一ノ倉邸庭園                盛岡市安倍館町

 

盛岡市は、盛岡市の歴史と共に生き続けた由緒、由来がある庭園を選定し、「保護庭園」として指定しています。「一ノ倉邸」は、盛岡出身の政治家阿部浩が、明治40年代に建てた建物であり、庭園です。その後、一ノ倉氏に譲渡し、平成4年に盛岡市が取得しております。庭には中尊寺ハスがあり、秋にはモミジの紅葉が綺麗です。「中尊寺ハス」といえば、昭和25年、中尊寺金色堂内におさめられている藤原氏の遺体4体が学術調査された時、ハスの種が発見され、この種が発芽し、平成10年に開花しました。その株分け第一号として、平成24年に保護庭園「一ノ倉邸」に移植されたものです。

 

(2)  賜松園庭園                 盛岡市南大通1丁目

賜松園の庭園は、盛岡市立杜陵老人福祉センター敷地内にあります。武士の屋敷に整備された庭園であり、作庭時期は樹齢からみて江戸中期と推定されています。明治初年に盛岡藩士・菊池金吾の所有となりました。「賜松園」という名の由来については、この建物が明治天皇御光臨のおりに宿舎にあてられ、庭の松が「見馴れの松」と名付けられましたが、明治17年の盛岡の大火でこの見馴れの松が焼けたため、後に陛下より松を賜ったことより「賜松園」と名付けられました。盛岡市の保護庭園として「池泉回遊式庭園」として登録されていますが、現在、水は涸れて、回遊してはいません。

 

(3)  武田邸の庭園                 盛岡市長田町

 

作庭は明治初年の頃、川目末松によるものと言われますが、基本的作庭は江戸末期の頃と推定されます。庭は建物の南側に位置し、東寄りに位置する池泉とその対岸に築山があり、市内の池泉回遊式庭園の様式を担っています。同邸が武田家の手に渡ったのは戦前の事で、現在の建物および庭園は、武田氏が建物の材料や庭石、庭木を集めるなどして、昭和25年に完成しました。現在、建物の築年数は70年になり、戦前の盛岡の職人の手仕事が残る建物として、平成3年に市の保存建造物に指定されました。庭園は江戸末期の設計とされ、昭和47年に盛岡市保護庭園に指定されました。

 

(4)  南昌荘庭園                   盛岡市清水町

 

この庭園を作庭したのは阿部仁太郎と川目末松という地元の庭師さんです。その後、国の天然記念物『石割桜』を守った庭師とも言われる藤村治太郎・藤村益治郎親子と、それを受け継ぐ造園会社・豊香園により管理され、現代に至っているようです。建物が高床式になっており、主屋の南昌の間から眺めると、ちょっと高い目線で見ている感覚です。意図して設計されたのでしょう。保護庭園これらの4件の他、非公開ですが、異色のある地割を持つ優れた庭園の老梅園(大慈寺町)、小型の築山を持つ池泉回遊式の小泉邸の庭園(馬場町)、江戸中期以降に造られ自然林的な林況を呈している下田邸の庭園(前九年)の3件があり、合わせて7件が、盛岡市保護庭園に指定されています。

 


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