明治33年7月、盛岡中学3年の啄木は、冨田小一郎先生、級友9人と三陸地方を旅行しました。旅行した各地には歌碑が建立されています。
(22)氷上神社参道の啄木歌碑
啄木は高田松原に来て氷上山にも登っています。昭和32年、高田松原に啄木歌碑が建立されましたが、昭和35年5月のチリ地震津波により流されました。一年後に土砂の中から発見された歌碑は、高田松原には戻さず、啄木が登った氷上(ひかみ)神社参道に移転しました。
氷上(ひかみ)神社参道の啄木歌碑
命なき砂のかなしさよ
さらさらと
にぎればゆびの間よりおつ
啄木
(23)タッピック前の啄木歌碑
昭和32年に建立した高田松原の歌碑は、昭和35年のチリ地震津波で流され、1年後に見つかり、氷上神社参道に移しました。高田松原には新しく、昭和41年に再度、歌碑を建立しました。しかし、平成23年3月11日に発生した東日本大震災によって再び流され、見つかりません。陸前高田で3度目となる新しい歌碑を高田松原近くの震災遺構として保存しているタピック(旧「道の駅」)前に建立しました。以前の歌(歌碑(22))とは異なり、“津波の犠牲者を忘れない“との思いを込め、次の歌を刻みました。
陸前高田の啄木歌碑
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
啄木
(24)天神山公園の啄木歌碑
三陸地方の旅行では、大船渡にも来ました。この歌碑は、啄木生誕80周年にあたり建立されました。
大船渡天神山公園の啄木歌碑
愁ひ来て
丘にのぼれば
名も知らぬ鳥啄めり赤き茨の実
『一握の砂』には冨田先生をモデルに詠んだ次の歌があります。
「よく叱る師ありき 髯の似たるより山羊と名づけて口真似もしき」
(25)吉浜の啄木歌碑
啄木らの三陸地方の旅行では三陸町吉浜(旧吉浜村)にも来ています。三陸町では啄木歌碑を建立しようということになり、啄木没後80周年に当たる平成3年に歌碑を建立しました。吉浜村は昭和31年に隣村と合併して三陸村、三陸町となり、平成3年に大船渡市に編入合併しました。
吉浜の啄木歌碑
潮かをる
北の浜辺の砂山の
かの浜薔薇よ
今年も
咲けるや
石川啄木
(26)釜石緑地植栽帯の啄木歌碑
明治33年の啄木らの三陸旅行は、明治29年に発生した三陸大津波の4年後で、釜石にも来ました。三陸大津波では死者2万人を超える被害者を出しております。釜石では啄木の足跡を後世に伝えようと、東日本大震災から4年目にあたる平成27年10月、啄木歌碑を釜石市青葉通りの緑地植栽帯に建立しました。
釜石の啄木歌碑
釜石の啄木歌碑
ゆゑもなく海が見たくて
海に来ぬ
こころ傷みてたへがたき日に
啄木