陸中八十八カ所は岩手県花巻市・北上市・紫波町・盛岡市・矢巾町の5市町にまたがっている。岩手を陸中と呼んだのは、明治9年からのようで、陸中八十八カ所は明治24年、光勝寺(第88番)の26世赤塚宥天、大興寺(第1番)の30代桐野圓宗、自性院(第77番)の48代斎藤光海の3人でつくったといわれている。
霊場とは神仏の霊験あらたかな場所の意で、神社・仏閣などを指します。霊験は人々の多様な願いによってさまざまな形をとって現れ、願う内容によって、平穏無事な日常生活を維持し、より高レベルの生活をめざす場合と、現実に起こった不幸や災厄を回復させる場合とに分けることができ、前者は予防・事前の請願、後者を対病・事後の請願と称されている。
自然を楽しみながらの巡拝はいかがでしょうか。
1番 大興寺 本尊 釈迦 葛岡(現 岩手県花巻市石鳥谷町大興寺第23地割)
大興寺は県道13号線(盛岡和賀線)から500mほど入ったところで、この道の一番奥になります。県道13号線からの入り口は案内板が立っていますので、すぐわかります。
大興寺
山門
本堂
鐘堂
御詠歌碑
陸中八十八カ所霊場は、当時は四国に行くのは大変だったので、「陸中新四国八十八カ所霊場」として、四国八十八霊場の「御詠歌」をそのまま用い、陸中地区の88カ所のお寺を四国八十八霊場にみたててつくったものです
境内には土佛観音堂宇(市指定文化財)もあり、御詠歌碑があります。土仏観音は、大興寺の開山・梅山聞本の難を救ったことから身代わり観音ともよばれており、病退散にご利益があると信じられています。
土佛観音堂の鳥居と御詠歌碑
境内にある良寛像と詩碑
霊場とは神仏の霊験あらたかな場所の意で、神社・仏閣などを指します。霊験は人々の多様な願いによってさまざまな形をとって現れ、願う内容によって、平穏無事な日常生活を維持し、より高レベルの生活をめざす場合と、現実に起こった不幸や災厄を回復させる場合とに分けることができ、前者は予防・事前の請願、後者を対病・事後の請願と称されている。
自然を楽しみながらの巡拝はいかがでしょうか。
1番 大興寺 本尊 釈迦 葛岡(現 岩手県花巻市石鳥谷町大興寺第23地割)
大興寺は県道13号線(盛岡和賀線)から500mほど入ったところで、この道の一番奥になります。県道13号線からの入り口は案内板が立っていますので、すぐわかります。
大興寺
山門
本堂
鐘堂
御詠歌碑
御詠歌
「霊山の 釈迦のみまえに めぐりきて 萬の罪も きへうけにけり」
なお、四国八十八ケ所霊場の一番は「霊山寺」です
霊山寺御詠歌
「霊山の 釈迦の御前にめぐりきて 萬の罪も きへうけにけり」
(四国霊場めぐりをし、すべての罪は消えたようだ)
陸中八十八カ所霊場は、当時は四国に行くのは大変だったので、「陸中新四国八十八カ所霊場」として、四国八十八霊場の「御詠歌」をそのまま用い、陸中地区の88カ所のお寺を四国八十八霊場にみたててつくったものです
境内には土佛観音堂宇(市指定文化財)もあり、御詠歌碑があります。土仏観音は、大興寺の開山・梅山聞本の難を救ったことから身代わり観音ともよばれており、病退散にご利益があると信じられています。
土佛観音堂の鳥居と御詠歌碑
御詠歌
「かずかずの ちかひはいろに あらわれて まへるわがみは やがて成佛」
境内にある良寛像と詩碑
いざ子ども 山べに行かむ 菫見に 明日さえ地ラバ 如何にとかせむ
良寛
良寛