武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

2016-05-23 11:54:54 | 武久の視線
人は必ず死ぬ、だからどう生きるかが大切だ、死は絶対なるノーマライゼーション、とか思ってた
このまま老いて死ねるなら自分の家で死にたい、かみさんの手を握り死ねたら、とかとか思ってた


いや、みんなそんな風に穏やかな死に方を望んでる筈
意に反して病死、事故死、死の瞬間も分からぬまま迎えた死、、、様々な死はあるが


死は色んなむかえ方があるのだろうけれど、、、今回の 沖縄の事件 に思わされた


男の欲の処理のため乱暴され、欲が満たされたら命を奪われ、、、
その間の絶望、恐怖、なぜ私が、えっ殺される?、、、推し量る事は出来ない、、、


婦女暴行殺人事件、知らなかったわけではない
理不尽な殺人事件、知らなかったわけではない


今、僕は思う


死は、平等なんかじゃない!
人生を老いれる、と言う事は ただそれだけで幸せなこと 



専門職でもない僕が、必用以上に高齢者や、老いることへの頭を使うのは止めようと思った
どんな状態でも、老いて死ぬぬるは、幸せなこと、と僕は思う。  合掌




(写真撮影 妻 武久利江子)
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クレーマー | トップ | 雑感 »
最新の画像もっと見る

武久の視線」カテゴリの最新記事