介護されし者

介護を受ける武久ぶくの視線

夫婦ゲンカ

2024-08-31 11:12:49 | 武久の視線

 

介護生活の夫婦のケンカって相方を頭にきたから飲みに出るとか

カラオケに行ってうさばらしをする、なんてことは出来ない

介護と言うものがあるから遠くにとか長時間とか離れるのは不可能

たとえケンカしている時でさえ介護はしなくてはいけない

口もきかず黙々と、、、互いに頭の中は怒りと葛藤など

正しく自分との闘いとなる、互いに自分の中で処理してゆくしかない

自分の中で自問自答しながら互いの妥協点と言うか

介護する介護される、忙しい暇などの相反する立場を分かってあげようとしなければ

この生活はやってはいけない、だから相方の良ところも嫌なところも受け入れるようになる。

 

 


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死について

2024-08-28 08:55:26 | 武久の視線

 

中学の頃、もし自分が死んだらどうなるのだろう?と考え眠れぬ夜があった

二十歳の頃、バイク事故で3か月の重体となった、44で脳幹出血に倒れた

否応がしに私は「死」と言うものと向き合わされる人生だったのだろう

私は無宗教なので死後の世界を思い浮べたことは無い、では人は死ぬと、、、

私の中での死=無となっている、肉体も魂も無

しかし、愛する者たちの心には残り、宿るだろう

私は愛する者たちへ何を残せるのか 

それは私の生きざまで伝えて来た、だから私の死は伴侶や家族にゆだねる

 


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死は誰のもの

2024-08-27 09:08:08 | 武久の視線

尊厳死、延命治療、安楽死、、、死とは誰のもの、、、

私の臨死体験から思えば、死にゆく者は夢の中にいる、自分の状態など分からない

傍から見ればスパゲティー症候群とか、経管栄養とか、様々な見え方なのだろう

しかし当人は何も感じてはいない、そこに尊厳を与えてくれるとしたら伴侶や家族なのだろう

最後は家でとか病院でとか、延命治療の是非とかを傍で熱く語っても致し方ないこと

その人の死は、その人の伴侶や家族のものなのだと、私は思う。

 


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ユーザーの声

2024-08-25 09:15:26 | 武久の視線

医療や介護などの業界と関わる身となり驚かされたことがある

患者、利用者などは決してお客ではないのだが、ユーザーの声を聞く意識が殆どないこと

医療にせよ、介護にせよ、福祉用具などにせよ、その専門分野の中で完結される

しかし、治療を受けるのも、介護されるのも、用具を使うのもユーザーなのだ

一方的では決していいものは出来ない

おたがいさまの意識、対話、話し合う場、、、ユーザーの声を聞く意識を持つことが理想に近づく道なのだろう。と私は思う

 

 

 


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私が嫌いなこと

2024-08-24 08:18:12 | 武久の視線

よくケア側の人は励ましやきっかけになればと

受容出来てない人に、受容している人に合わせたり、話の中に出したりする

私も聞かされた経験や、会って欲しいと頼まれたこともある

他人と比べられることは嫌だったし、他人をむやみに刺激もしたくなかった

人なんて何でもそうだが自分が納得しない限り駄目なもの

ケア側の説得がましい話や、上から目線の押しつけがましい話が私は嫌いだ

 

 


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立場での言い分

2024-08-23 08:14:15 | 武久の視線

それぞれの立場の主張から

それぞれの立場だから出来ることを考えてみる

世の中には色々な立場の人がいる

立場が違えば価値観や考え方が違ってあたり前

 ・

それぞれの立場の言い分で議論してもらちは明かない

それぞれの立場だから出来ることで折り合いをつけ協力してゆけるかが大切だ

専門職にしてもしかり

立場が違うのに分かり合えるなんてことはまれなこと

立場の言い分を主張するより

その立場だから出来ることで歩み寄り、理想へと向かっていけたらいい

 


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色々な受容

2024-08-20 09:50:19 | 受容

私の体験から実感した受容とは、諦めと慣れなのだが

受容とは、色々な状態やものに対しての受容があると思う

障害受容、病気受容、介護受容、、、

受容することが出来ないと、そこには不安、葛藤、色んな心労が生まれる

一番分かりやすいのは病気の告知、突然の告知に戸惑う患者

しかし、医師には告知する義務のある、そこに生じる患者から医師への感情

事務的な冷たさや不信感などが生じるのは当然なのだ

患者は突然の告知に対して病気を受容するには時間がかかる

そこで重要になるのがチーム医療

告知を受けてから、患者が病気受容出来るまで患者の心に寄り添いケアする人たちが不可欠。

 


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支援側の思い込み

2024-08-16 10:11:54 | 武久の視線

在宅介護生活と言うものは

どちらかと言えは閉塞感とか疎外感が漂うものだと思う

傍から見れば変化もなく娯楽もなくつまらなそうに見えるかも知れないが

私ら夫婦だけなのかも知れないが、私らはそんな日々を心地よく感じる

支援側の視線はそんな在宅介護生活者に

イベントとか非日常的な楽しさのケアとかを思いつくのだろうけれど

ありがたい話なのだけど、介護生活者の中には私たちみたいな人もいると思う

支援側の人の楽しいだろうと思うこと=介護を受ける人、その家族の楽しさではない

 


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認知症

2024-08-14 09:40:07 | 武久の視線

どちらかと言えば悪役の認知症だが

介護する側にとっては厄介なのかも知れないが、当人にとっては、、、

俳諧や暴力の心配のない私だからではないけれど

本人にとっては介護を受ける時に生じる恥ずかしさや情けなさ

葛藤や心労、、、先々の不安や死に対する恐怖などからは免れる

人はゆりかごに揺られ育ち、認知症と言うゆりかごに揺られ逝く。

 


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徒然に

2024-08-13 09:57:54 | 武久の視線

20年余り医療や介護、福祉などのお世話になりながら

私の価値観や感性を通じ、現場や発信活動で色んなことがベッドの上から見え感じる

そんな私の気もちをSNSで発信している

役に立てるとか意見になれるとかより、私は、私に出来ることとして

何かをしていないと退屈になるから、患者として利用者として感じ考え書いて発信をしている。

 


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