医療や介護などの中でよく目にする、耳にする言葉
尊厳とかその人らしさ
それらって体の痛み、病気の管理、ADLの確保、、、など
体や生活動作だけ見てて尊厳とか、その人らしさなどが見えてくるのだろうか?
意識不明から目覚め、動かない体と直面した時
「死にたい」と思った体験を持つ僕は、いつも言う
「人は体と心で出来ている」
つまり命があっても、人権のない世界は「生きてて良かった」にはならない
先日、訪問リハビリの療法士さんとの会話に思った
PT「武久さん、体の痛みどこかありませんか?」
撲「ありません、、あっ、このタイミングで武久さん
心の痛みありませんか?と聞いてもらえばいいんだね」
訪問リハビリ、訪問看護などは、月/1訪問のケアマネよりは
利用者や家族と顔を合わせる回数が多いはず、より身近な
訪問リハビリや訪問看護のスタッフが、心のケアのキーマンになりうると思う
これからの超高齢化社会において心の痛みのケアが出来ない限り
介護殺人、介護心中、自殺、、、などの痛ましい事件はなくならない。
(撮影 介護フォトライター 野田明宏氏)
尊厳とかその人らしさ
それらって体の痛み、病気の管理、ADLの確保、、、など
体や生活動作だけ見てて尊厳とか、その人らしさなどが見えてくるのだろうか?
意識不明から目覚め、動かない体と直面した時
「死にたい」と思った体験を持つ僕は、いつも言う
「人は体と心で出来ている」
つまり命があっても、人権のない世界は「生きてて良かった」にはならない
先日、訪問リハビリの療法士さんとの会話に思った
PT「武久さん、体の痛みどこかありませんか?」
撲「ありません、、あっ、このタイミングで武久さん
心の痛みありませんか?と聞いてもらえばいいんだね」
訪問リハビリ、訪問看護などは、月/1訪問のケアマネよりは
利用者や家族と顔を合わせる回数が多いはず、より身近な
訪問リハビリや訪問看護のスタッフが、心のケアのキーマンになりうると思う
これからの超高齢化社会において心の痛みのケアが出来ない限り
介護殺人、介護心中、自殺、、、などの痛ましい事件はなくならない。
(撮影 介護フォトライター 野田明宏氏)