ぶく塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

認知症ゆりかご論

2019-04-23 09:49:32 | 武久の視線


こんなことを書くのは不謹慎と百も承知の上に書く

認知症、当事者も家族も世間でも不幸にとらえがちだが
しかし、一つの考え方として
私は、ものは考えようみたいに考えてみた

老いてゆく過程の中で頭がクリアーであればあるほど
この先の不安や死に対する恐怖などが膨らむ

機能的に出来なくなることへの苛立ち、ストレス
孤独感、疎外感、僻み妬み、、、心労となる色々な感情が湧く

ここで話しはガラリと変わり
あなたは母の乳を飲んだことを覚えているだろうか?
赤ちゃんの時おんぶされたこと、おむつを替えたこと

それらを覚えている人は、まずいない
自分が生まれて来た頃のことを自分は覚えていない

老いて逝く時も認知病で分からなくなる
つまりは、人は生まれ「ゆりかご」の中で記憶なく育ち
逝く時も認知症という「ゆりかご」の中で記憶なく逝く
そんな風に私は考えてみた

ちなみに
脳血管疾患を患った私は、認知症になる確率は高いらしい。





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