介護されし者

介護を受ける武久ぶくの視線

対話という名の人権

2017-04-22 09:13:50 | 武久の視線
僕が16特定疾患により、介護保険の第二被保険者とされ痛感したことは
「対話のなさ」
である


主に高齢者が対象な介護保険がゆえ
お世話感覚の高い介護保険がゆえに
支援側の固定観念や、理想などで進んでゆくケアを体験して来た


そこをほじくり返す気はさらさらない

今、在宅医療や終末医療、終活、、、、専門職の間で確立されてゆく理想形
素晴らしいものなのだろう、完璧なものなのだろう



でも、それらのスキルなどの先頭にあるものは
利用者、患者との対話であるべきに思う


医療的、自立的、介護的などなどに理想的なものであっても
必ずしも、その人の考えに、生き方に、性分にあったものとは限らない


その人の人生、逝くはその人
生い立ちや、生きて来た歴史の中で育まれて来たもの
価値観や生死観などは、人の数、人生の数だけあるのだから、、、


形、知識、スキルなどの理想像ではなく
その人と「対話」するという行為を、対話して来た時間を


対話するという人権を先頭に置き、一番大切にするべきだと僕は思う。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 時にはバリア「肩書」 | トップ | 対話と感性 »
最新の画像もっと見る

武久の視線」カテゴリの最新記事