僕が16特定疾患により、介護保険の第二被保険者とされ痛感したことは
「対話のなさ」である
主に高齢者が対象な介護保険がゆえ
お世話感覚の高い介護保険がゆえに
支援側の固定観念や、理想などで進んでゆくケアを体験して来た
そこをほじくり返す気はさらさらない
今、在宅医療や終末医療、終活、、、、専門職の間で確立されてゆく理想形
素晴らしいものなのだろう、完璧なものなのだろう
でも、それらのスキルなどの先頭にあるものは
利用者、患者との対話であるべきに思う
医療的、自立的、介護的などなどに理想的なものであっても
必ずしも、その人の考えに、生き方に、性分にあったものとは限らない
その人の人生、逝くはその人
生い立ちや、生きて来た歴史の中で育まれて来たもの
価値観や生死観などは、人の数、人生の数だけあるのだから、、、
形、知識、スキルなどの理想像ではなく
その人と「対話」するという行為を、対話して来た時間を
対話するという人権を先頭に置き、一番大切にするべきだと僕は思う。
「対話のなさ」である
主に高齢者が対象な介護保険がゆえ
お世話感覚の高い介護保険がゆえに
支援側の固定観念や、理想などで進んでゆくケアを体験して来た
そこをほじくり返す気はさらさらない
今、在宅医療や終末医療、終活、、、、専門職の間で確立されてゆく理想形
素晴らしいものなのだろう、完璧なものなのだろう
でも、それらのスキルなどの先頭にあるものは
利用者、患者との対話であるべきに思う
医療的、自立的、介護的などなどに理想的なものであっても
必ずしも、その人の考えに、生き方に、性分にあったものとは限らない
その人の人生、逝くはその人
生い立ちや、生きて来た歴史の中で育まれて来たもの
価値観や生死観などは、人の数、人生の数だけあるのだから、、、
形、知識、スキルなどの理想像ではなく
その人と「対話」するという行為を、対話して来た時間を
対話するという人権を先頭に置き、一番大切にするべきだと僕は思う。