介護されし者

介護を受ける武久ぶくの視線

死は誰のもの?

2017-05-13 10:48:19 | 武久の視線
自分らしく死にたい、自分らしい終わり方、自分らしく逝く、、、大切なことなのだろう
しかし「自分」、一人で生きて来たのだろうか?大体の人には共に暮らす家族がいる


あたり前のことながら
その人は死に向かう時、死んでから、自分では何も出来ない


僕は、私は「あーして欲しい」「こうして欲しい」「こうありたい」、、、自己主張
夫に妻に、父に母に「こうしてあげたい」「あーしてあげたい」、、共に暮らす家族の思い


老をむかえた頃からの家族内での話し合いが大切になって来るのだろう
そう「縁起でもない話し」をあえて話し合っておかなければ
自分らしい死に方、なんてことは絶対出来ぬのだ


あなたは死に向かう時、死んでからは何も出来ぬのだから


自分らしい死に方をしたい、逝き方をしたいと思っている人は
老いを意識した時点で、共に暮らす家族と「縁起でもない話し」を
あえて話し合っておくべきなのだと思う


その時になっては何も出来ない、口をはさむことすら出来ぬ、あなたなのだから、、、



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