介護されし者

介護を受ける武久ぶくの視線

生死観

2015-09-30 09:57:13 | 武久の視線
僕は脳幹出血の後遺症で四肢麻痺の障害者になり、死とか生きる事について考ええるようになりました



病に倒れなければ、製造業で釣りバカのやんちゃ親父路線を
楽しさの追求に生きていたと思います、それは、それなりに幸せなのだと思います


人はみな必ず死ぬ、人は必ず老いる、だから今、自分はどう生きたいのか?




僕は人の生き死になんかとは無関係な、ただの工員でした、が


人間の生き死にや、老いと接する事の多い、医療や介護の仕事を選んだ方でも
自分もいつか死ぬ、自分もいつか老いる、自分もいつか他人の世話になる、などと考えられる人は少ないみたいだ


医療従事者、介護従事者の方でさえ
「あたしは他人の世話になるまで長生きしなくていいわ」とか「他人にシモの世話してもらうなら死んだ方がましよ」とかとか


きっちりとした生死観も持たずに仕事をしているのが解せません
だったら なぜ? 生き死にに接する事の多い職業を選んだのでしょうかね?


自分が不治の病にかかり治療や看護されたり、自分が老いてトイレ介助や入浴介助などの介護を受けたりして
一番、葛藤するのが医療従事者、介護従事者である場合が多いだろう、と僕は思う

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする