田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

日の水牧場 40年前にお邪魔した牧場(2010/10/3)

2010-10-03 13:56:02 | 農園巡り
日曜日、コーラル丸でカワハギ釣りと思っていたら、昨晩船長から、「明日、昼ごろ雷雨で風もある、釣り中止」の電話。
それならと、関門フィッシングの乗合船の予約をと電話するも、悪天候で釣り客が無く、明日は乗合船は出ないとのこと。
万策尽き久しぶりに家でゆっくりの日曜日。

 コーヒーを飲みながら、40年近く前お邪魔した、日野水一郎氏の牧場を思い出した。
当時のアルバムをめくると、懐かしい八ヶ岳山麓の風景。
日野水氏は私が3年間過ごした同志会という東京にある小さい学生寮の先輩で、当時八ヶ岳の山麓で7ヘクタールほどの牧場を経営しておられた。
昭和12年大学卒、私が学生だった昭和47年当時、60歳少し前。
八ヶ岳で牧場経営ということで、昭和20年後半から、同志会の学生がよく手伝うと称して、遊びに行く人気スポット。
私も、仲の良かった長網良明氏(10年前亡くなった、小倉で弁護士をしていた)と二人で、夏休み2泊の予定で、手伝いに。
行く前、少し日野水氏について、情報を得たいと思っていたら、同じ寮に暮らす友人が「週刊ダイヤモンドに日野水さんご夫婦の手記が出ていた」と持ってきてくれる。
最初はご主人の日野水氏、次の号が奥様の手記。
読んだ寮生達の感想は、日野水氏はバラ色の牧場経営という感じ、奥さんのは苦労の連続といった感じ、奥さんの手記の方が面白いといったもの。
私はどちらも面白かった。
おぼろげに覚えているのは、

(日野水氏が農業に転職した理由)
元々農林省にキャリア組で就職し、課長になったとき、周囲は強く止めたが、八ヶ岳で農業を始めた。
きっかけは、就職早々に農業実習があり、棚田で農作業。
指導教官が、棚田を支えている石垣の石を指さして、「この石がなぜ丸いか分かるか」と質問し「数百年前からここで耕作してきた農民の鍬が何度もこの石を叩き、こうして石の角が削られて丸くなった」と。
この時、若い日野水氏は、この話に心が燃え、次の仕事は農業と決め、課長になったころ年齢的に潮時と、農業に転職したもの。

(高原野菜から牧畜)
 スタート時、高原野菜から手掛けた。
値段の乱高下が激しく、高値になったと、電報が来ると、徹夜で出荷、寝る間も惜しんで働いた。
あるとき、夜中に高原野菜の出荷作業をしてると、奥様から「なにをしているの」と聞かれ、高値なので急ぎ野菜を出すと答えると、奥様「そうやって必死で野菜を作って、もうかっているの」と。
赤字。
これでは何をしているのやらと反省。
乳牛の飼育に切りかえた。
牧草の生育には雨が多い八ヶ岳山麓は適しており、また、野菜に比べ、作業が楽で(1/3)、読書したり勉強する時間も取れ経営も軌道に。

(パン)
 ご夫婦でおいしいパンを食べたいと、いろいろ工夫するもなかなか良いものが出来なかった。
甲府市に出かけたとき、町のパン屋からいいパンの香り。
これだと思い、パン屋に上がり込み、作り方の極意を頼み込んで教えてもらい、満足のパンを作れるようになった。

といった内容。

昭和47年の7月に日野水牧場を訪ねて、予定どおり2泊3日。
冒頭の写真は牧場に着く前、八ヶ岳の山麓を山歩きしたとき、長網氏とパチリ。

夏で、ちょうど干草作りの時期。
北海道、九州の牧畜農家の跡取りの若者3人が日野水氏の牧畜技術の習得に泊まり込みで働いていました。
皆さん逞しく腕周りは私の2倍はある感じ。
この若者達と日野水さんご夫婦の朝食風景をパチリ。
ご自慢のパンやら、しぼりたての牛乳を沸騰させて(消毒)冷やした牛乳やらごちそうです。
下の写真。


大相撲夏場所の頃で、小一時間相撲を見ながら、パンに牛乳の遅いおやつも楽しみ。

日野水氏は、いろいろと工夫を凝らす方で、肉にも乳牛にも両用出来る(雄牛は肉牛、雌牛は乳牛)品種だと、スイスブラウンという名前の牛をツガイでスイスから取り寄せ、飼育していました。そのスイスブラウンの前で日野水氏と若い実習生(17歳だったと思う)をパチリ。下の写真。


私も長網氏も手伝いは腕力不足で、干し草作りはかえって邪魔で、最後は、牧場の柵の杭づくりに降格しました。
私が杭になる丸太を鉈で皮をはいでるところをパチリ。


3日目に牧場を後にするとき、奥様から「あななたち、手伝ういっていたけど、役にたたなかったわね」と笑われました。
私より、2年上の同志会の先輩たちは5人で一夏出かけ、大きな牛舎を建てたと日野水氏が、その牛舎で話していました。
「後輩の若者5人が、この牛舎を建てたと碑文を作ろうと思っている」と愉快そうに日野水氏が話していたのを覚えています。
私と長網氏、尻尾をまいて逃げ出したというところ。

 それから40年近くが経ち、竹田農園での畑仕事やら、イノシシ避けの柵づくりに汗を流していると、日野水牧場でのひと時がよく思い出されます。

 日野水氏とはその後も年賀状のやり取りをしていましたが、10年前お亡くなりになりました。牧場は、やはり同志会の先輩にあたるご子息が後を継ぎ、今も経営されています。
父上同様、工夫を凝らして、今の時代にあった楽しい経営をされているようです。(「日野水牧場、八ヶ岳」でグーグル検索すると出てきます。パンが評判の手作りレストランもやっておられる様子。)

 明日は、竹田農園でイチジク畑の草刈りの予定。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする