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田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

釣り納め後宴会(2012/12/29)

2012-12-30 14:40:13 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の土曜日、コーラル丸で関門に釣り納めでした。
冒険家のM先生、コンビニのMZ氏の3人の釣りバカ。
なお、MZ氏はセブンスライドの考案者で北九州では名高いMZ船長の父上。(左のブックマークのMZジュニア名人)

(いい型のアジ)
  今日は、夕方、飲み仲間の不良爺さんたちを我が家に招待して、盛大な宴会の予定。
当然、今日釣ってくるはずのアジはメインディッシュになっている。
釣れるかしらんと少々心配。
 まだ薄暗い、小倉港を船は出港、アジポイントの新日鉄の埠頭近くに快調に船は走る(冒頭の写真)。
アジポイントを3箇所、移動しながら、いい型のアジが結構上がる。
ヒラメもあわよくばと、釣れた小あじを餌に、置き竿にするも、これは空振り。
最後のアジポイントは、小倉港にコーラル丸と並んで船を止めている、2隻の釣り船。
このあたりのアジポイントをよく知っている船長たちで、エンジントラブルがあったりすると、お互い救援に駆けつける仲良しの船長さん達。
コーラル丸で釣りをしていて、2度、救援してもらった経験。
その一隻をパチリ。

(宴会)
先日、酔った勢いで我が家で宴会をすることに。
夕刻、冒険家のM先生、小倉室町のラーメン屋の錦龍のI氏、絵描きのM画伯、ご意見番のY氏ご夫妻に薩摩隼人のO氏ご夫妻で、総勢11名。
今日釣った、20センチ余りのアジ、15匹程を私が3枚に下ろし、妻が刺身に仕上げて皆さんに振る舞うとこれは美味いとお褒めの言葉。
M画伯は関アジの刺身と変わらんと。
妻が簑島で運よくゲットした牡蠣6キロを室内で炭火で焼く。
残念ながら、今の時期、客が殺到し、小しかなかったが、小さいが味はこの方がいいぞ、と皆さん美味い美味いで満腹。
アジのフライ、農園のジャガイモ、ヤーコンをふんだんに使った、料理に皆さん、もう食えん。
お開きになり、パチリ。

M画伯、こうした会合を3カ月おきにやってくれとヨタを飛ばして宴会終了。

 楽しい一日でした。
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命拾いした昔話・猪突猛進男万歳(2012/5/31)

2012-05-31 23:36:45 | 忘れがたい釣りや山
 このごろ、高齢者の山での遭難のニュースをよく耳にする。
私も、あわや遭難して凍死しかねないことになった経験がある。

21歳、大学3年目の春のゴールデンウィークに仲の良かった5人で気楽に東北旅行に出かけ、ついでだと会津磐梯山に登ったのがその危ない経験。昭和45年、今から42年前。
私は四国愛媛の出身で、高校生の頃、3月の春休み、1800メートルくらいの山に登ったことがあり、雪も無く、道もしっかりしていてただ美しい自然が一杯という登山。それより一月後だから、似たようなもんだろうと、磐梯山に登ろうとなったもの。5人とも、キャラバンシューズとリュックに雨具は用意したが、山は素人に近い。麓のユースホステルで一泊、雪が減り営業の終ったスキーのゲレンデをスタートに地図を見ながら登山開始。

歩き始めて1時間ほどしてから様子がおかしくなった。雪が深く積もり、道がところどころ見えない。何とか頂上について、記念撮影をして裏磐梯に下りることに。道は所により2メートルはあろうかという積雪。おまけに深い霧。どこにいるのかさっぱり分からない。先頭をあるいていた私が立ち止まって、地図や磁石でオロオロしているが、引き返しても進んでもうまくいくとは思えない。だれかベテランの登山家が来ないかと思うも人の気配がない。5分ほど立ち往生していると、自衛官の息子だという角田氏がよし、行こうとさっさと雪に覆われ道なき道をどんどん歩き始めた。成り行きで残りの4人もただ角田氏の後に付いて歩くこと30分、どうにでもなれと思いながら角田氏のどんどん進む後をついていくと、突然霧が晴れ、今どこにいるか分かる。裏磐梯に下りる鞍部の近く、正しい道を歩いてきたのだ。

そこで先頭を替り、鞍部まで歩き、やはり休業中のスキーゲレンデの雪の原を尻スキーで1キロ近く一挙に滑り下り裏磐梯の麓まで。スキーロッジで一休みして、留守番のお婆さんが、「あんたらどこから来たの」と尋ねるので、あの磐梯山を越してきたと指さして答えると、なんとバカな事をと絶句の表情が今も鮮明。

 その後、S氏とN氏は銀行員になり、F氏は官庁勤めのあと、立命館大学の先生になり、私は田舎生活を不良爺さんたちと楽しみで63歳の今まで愉快な人生を送っている。俺に続けと雪と霧の磐梯山を先導した角田氏とは音信不通。しかしその時の仲間と会って話すのは、生き延びてここにいるのは角田氏のおかげと。

 角田氏除く4人は、常識の人で平和な時なら、やっていける。しかし、磐梯登山のような非常時には、角田氏のような猪突猛進タイプがいないと生き残れないと痛感。今の時代、豊かさと平和が続いて、角田氏のような猪突猛進タイプの人は、やりにくい。丸っこい常識人の型に押し込んで、抵抗したら、アスペルガー症候群だ、自閉症だとレッテルを貼って気取ったり、得意顔。せめて、猪突猛進型と呼び名を変えて、心ある人はこのタイプの猪突猛進の人は世の宝と大事にすべきと思う。

 磐梯山遭難直前の日の私の日記。
「(昭和45年4月28日 takeda21歳。) 磐梯山登山。霧が濃く、しかも残雪深し。登山路はほとんど見分けのつかぬ所もあり。とても寒い。それでも、角田の好リードのおかげで無事頂上を極め、裏磐梯に着く。五色沼は雪解けの増水のため五色ではなかった。この日は裏磐梯ユースホステルに泊まる。」

冒頭の写真は明日はあの山に登るぞ列車の窓からとパチリ。
登山前、私がエラソウに地図でルート確認。

ちょっとヤバそうとtakeda不安の山登り。

磐梯山にたどり着き、記念写真。角田氏がいなければ、軽装無謀・親不孝登山のバカモノとお笑いの最後の写真になるところ。

角田氏のおかけで下山口の鞍部に到着、有名な爆裂火口を背景にパチリ。

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松永安左エ門の尾瀬登山 平野長蔵氏と対面

2011-02-24 22:30:09 | 忘れがたい釣りや山
 田舎生活の暇に任せて、松永安左エ門著作集を読んでいる。松永安左エ門は戦後の電力民営化を実現した気骨の実業家であり、傑出した茶人、登山家、文筆家、歴史家、遊び人。尾瀬の自然を守ったことで知られる平野長蔵氏と尾瀬登山の際に、意気投合した様子が、尾瀬登山の紀行文に描かれていた。今から90年近く前の話だが、生き生きとして新鮮。


松永安左エ門著作集 6巻p49

大正14年8月31日
 朝6時半戸倉を立ち出ず。片品川の流れを谷深く見下ろしながら野萱原の中を進む。朝露衣を潤し、靴は中まで透る。秋草の尾花、苅萱萩、桔梗全部咲き揃う中を行く身は風流画中の人。約2里半もこの萱野を通って、道はだんだん樺、楢の茂林のうちに入る。
 萱野原半日の旅花に飽く
これより道は三平峠にかかる県道なれば自動車も通れる勾配だが、如何にも手入れが悪く幅も狭く、群馬県が道路に力を入れぬのを残念に思う。三平峠大分上り詰めて立て札がある。この上には清水なしと。札の側に岩間よりトクトクと清水が流れ出ている。ここにしばらく休息して白根、燕巣の連峰を見る。一面の山々谷々、広葉樹林の碧の波。幾十億本の自然林、雲に入り天に接している。一同相省みて、日本もこれだけ木があれば当分大丈夫と感嘆した。
やがて栂、唐松を交えたる針葉樹林に来たので、頂上の近きは察せらるるもなかなかのダラダラ登り。容易に頂に来ず。そのうちようやくに達したる辺に尾瀬沼の国立公園の主唱者であり、この沼の主と称せらるる平野長蔵氏の制札がある。
 曰く「一草一木大事にすべし。紙屑などを人目につく所に捨つ可らず。斯くして尾瀬沼の自然美を保つ事に一同協力せよ」
 なる程老木の茂林を徹うして、尾瀬沼は燧岳を背景に一面の碧波を湛えている。底の余り深からぬ水の清き穏やかなる沼である。沿岸は針葉樹広葉樹を交えた森林で突き出せる半島となだらかな曲浦とを飾っている。間もなく長蔵小屋に辿り着き、ここにて弁当を開いた。時まさに午後一時。非常に面白い旅だけに腹も減り、小屋より与えられた岩魚に舌鼓を打ちつつ長蔵翁と語った。翁は52、3なれども鬚髯茫々として白を交え、一見六十有余。若くよりこの沼に来り、今では鱒の養殖は沼に適せぬため失敗し、岩魚の人工養殖をしている由。この人なかなか英気あり、尾瀬沼を「ダムアップ」するということに反対し、その風景を破壊し、水の利用率も大ならざることを主張する。これにはわれらも同論だ。
 国の富と誇りは種々あるが、物質に走りて余り益もなきに、天下無二の好風景を破壊するには反対せざるを得ぬ。
 長蔵翁は学生夏季宿泊用の家を建つるため資金を集めつつあるというので、われらもいささかの醵金をしてなお翁が東京へ来って募集する折には手伝いする約束をしておいた。学生は深山大沢にいくべきである。篤志の人は、その方法を立ててやるべきである。予は翁の成功を心から祈るものである。
 この沼は半分は群馬県であるが、半分は福島県で一部は新潟県に属している。いわゆる三県に関係している。沼から会津に出る県道は立派についている。
 長蔵翁の若い娘さんが、船を艤して向こう岸まで渡してくれることになり、予らは翁と小屋とに別れを告げ、この沼の乙女に送られて湖上に出たのである。あたりの風光はなかなか見事だ。櫓の音は静かに響を伝えている。われらも代わりやって手伝う。・・・・・


(このとき、松永安左エ門は51歳 東邦電力を率いて、九州をスタートに関東を席巻し日本の電力の1/3を配下に治めつつある頃。)

 なお、この話の70年後、今から20年前、我が家で尾瀬に家族登山で写した写真下に。尾瀬沼の沼尻で多分、平野長蔵氏のお嬢さんに、伝馬船で沼を運んでもらった終着の波止場。この尾瀬沼での松永安左エ門と平野長蔵氏との偶然の対面がなかったら、尾瀬沼も尾瀬ヶ原もダム湖の底で、この家族写真もなかったかも。

 今度の日曜、汐巻に鯛釣りの予定。
今度こそ、波静からしく、今からソワソワ。

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汐巻で鯛テンヤ・手釣り開眼(2010/10/10)

2010-10-12 00:47:02 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の日曜日、山陰の名高い漁場の汐巻に釣り。
今日は、妻と妻の卓球友達の3人で耶馬渓のなかま温泉、晩は、昨日の獲物の鯛の刺身片手に、M画伯のアトリエで、宴会。
愉快な2日間でした。
冒頭の写真は汐巻鯛釣りで、出港して間もなくの日の出。


(手釣り、分かってきた)

 汐巻は真鯛の宝庫で、これまで何回か連れて行ってもらったが、皆さん60センチ代の見事な鯛を釣りあげる。
私は無縁。
水深90メートルで先輩方のような手釣りは自信なく、もっぱら竿釣り。
汐巻釣りの先輩の工務店のS氏、鯛テンヤという鉛の錘の先に直接釣り針2本ついた、仕掛けで手釣りを勧めてくれる。
しかし、道具をそろえてトライするもいつも失敗。
手前祭りに魚の当たりも分からず。
鯛テンヤの名人のHPでの解説を読むと、なんとかやれそうな。
今日は、3時間ほど竿釣りの間に工務店のS氏、60センチの見事な真鯛(下の写真)。

リーダーの木工職人のSG氏は、鍋にすれば絶品のアラ50センチをゲット。(下の写真)

お二人とも鯛テンヤの手釣り。
私の方は、20センチ程のかわいい真鯛やら、ぺらの仲間のハトポッポという釣れても嬉しくない魚ばかり。
エエイと、持ってきた鯛テンヤの手釣りに切り替え。
HPで学習した釣りのイロハ(左のブックマークの鯛テンヤのイロハ)どおり、2、3メートル底からさらに糸を出して、その後少しずつ糸を手繰っ引き上げてていくと、なんと、手先に微妙な手ごたえ。
思い切りしゃくって、糸を手繰ると、糸先で魚が糸を引き込む強い手ごたえ。
以降、4時間、釣れるは釣れるは25センチから44センチまでの真鯛が30匹程釣れる。
下は30センチ程の鯛がダブルで釣れたところ。

カナトフグとか、ウマヅラハギ、アラカブといった美味しい魚も次々。
赤ヤガラというテレビでは見たことがあるが、釣ったのは初めての珍魚も。下の写真。

木工職人のSG氏は、おいしいから、持って帰れと。
鯛テンヤの手釣りが優れているのは、広い範囲を魚から見て自然に誘え、微妙な当たりも感じることができることのよう。
納竿時、30リットルはいる私のクーラーボックスは満タン。
船長の釣った魚を、4人の釣り人で均等割するのだが、入れるスペースがなく、鬼カサゴだけいただき、後は大型のクーラーボックスを持っている
工務店のS氏に謹呈の余裕も。
帰りの船でパチリ。


(たまげた)
この日は、驚きが2回。
まず出港で朝粟野から船に乗ろうとすると、別の釣り船のグループ。
おひとり足を一歩づつ引きずりながら歩いて船に向かうお年寄り。
足元がおぼつかない。しかし、周りの人が抱きかかえて、1メートルほど段差のある船に乗り込む。
聞けば、88歳。
こんなに体力が落ちても釣りに出てくるとはとあきれるやら、驚くやら、うらやましいやら。
次のたまげたは帰宅のためS氏運転の車で角島近くの山道(国道)を走っていると、突然、大きな鹿が飛び出してくる。
立派な角の雄鹿。
あわやのところで、逃げて行ったが、ぶつかっていたら、こちらの車(軽自動車)もフロントガラスも割れて、危ないところ。
自動車がイノシシやら鹿とぶつかって乗っていた人がえらい目にあったとは他人事としか思っていなかったが、まさか、自分が遭遇するとはとこの日2度目のびっくり。

(宴会)
 夕方6時過ぎに家に帰りつき、珍魚のアカヤガラと、船長にいただいた鬼カサゴ(オコゼに似ている)を
刺身。
特にオニカサゴは絶品。
この日の晩御飯は刺身と竹田農園の宿敵イノシシから取り上げた山栗を栗ごはん。(下の写真)


(良いことの後は失敗 私、妻、S氏)
 意気揚々の後、私も大鯛を釣った工務店のS氏、悪夢。
私は、妻と友達のY夫人とで温泉。ひなびた良い温泉に。
釣りで荒れた手もスベスベ。
風呂からさあ出ようと、貴重品ロッカーから財布・携帯電話を出そうと、手首につけたはずの
鍵を見ると、鍵がない。
あわてて、服を着て管理人のおばさんに、合いかぎをお願いするも、合いかぎが効かない。
騒ぎに気の付いた、風呂に居合わせた、人たちが浴槽内から、最後は排水溝の蓋まで持ち上げて探してくれる。
入浴前、温泉の入り口のベンチで足を伸ばして大声でしゃべっていたので、生意気なやつらだと、思っていた、ドライブ中の若者2人、自分のことのように、心配してくれて、人は見かけで判断してはいけないと反省。
ロッカーの中身が盗まれていないか確かめたく、ロッカーの扉の隙間から覗くも暗くて分からない。懐中電灯貸してと受付の女性に頼んでいると、この若者の一人、「持っています」と渡してくれる。
やれやれ、荷物は取られていない。
65歳程の温泉好きの男性がリーダー格になってくれて、どこにキーは行ったのかと私と一緒に探したり、思案してくれる。
荷物はなくなっていないので、明日にでももう一度来ますと、キーの捜索は切り上げる。
脱衣場から出ようとすると、この65歳程の男性、「これは何!」と大きな声。
なんと探していたキーがこの男性の脱衣籠の中に。
キー捜索をあきらめて、服を着はじめて気が付いた。
一緒に探してくれた別の男性は、「よくある。自分の脱衣籠の隣に、何気なくキーを置いて、そのままにしていた。ほかの人がその上に衣服を入れているので、そこまで剥いでみないから、分からない」 
皆さんよかったよかった。
休憩室にいた数人のお年寄りのグループの人も騒ぎに気が付いていて一斉に、良かったねー。
ほっとして、地獄から天国と思いながら、休憩室で新聞を読んでいると、65歳程の男性、受け付けのおばさんに「よかったね、この人(私のこと)は、正直そうな顔をしてるので、よかった、よかった」と言いながら、出て行かれました。
この話を、休憩室にやってきた妻に話すと、「あんたもね」と。
聞くと妻も貴重品入れのロッカーキーが見当たらなくなり、5分程して、窓の桟に置いてあるのを見つけてほっとしたとのこと。
 失敗は、大鯛を釣った工務店のS氏も。
M画伯のアトリエでの宴会の帰り、S氏宅に寄り、コーヒー。
S氏の奥様の言うにはS氏の救命胴衣が汚れているので、水道の水をジャブジャブかけて洗ったとのこと。
突然、救命胴衣の袋が開き大きくなったとのこと。
このタイプの救命胴衣は夏、かさばらず、暑くないので、大半の釣り仲間が着用。
いつも話題になるのは本当に海に落ちたら救命胴衣は膨らむのか。
誰か、海に飛び込んで試せと言うも、誰も飛び込まないし、他のグループの釣り人からも、試したという話は聞かない。
S氏に、膨らんだ救命胴衣を見せてもらう。下の写真。

結構厚手の丈夫そうなビニールで事故の時、なんとか役に立ちそう。
なお、開いた救命胴衣釣具店に持っていくと、カートリッジを取り換えてくれるそうな。3000円。
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手釣りデビュー 汐巻で手釣り(2010/9/19)

2010-09-19 23:57:18 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
朝晩、過ごしやすくなってきました。月の一度の名高い漁場、山陰汐巻での船釣りでした。
冒頭の写真は、出港時の日の出。
40年続いている、木工職人のSGさんの釣りグループに欠員要員として仲間にいれてもらっているもの。

(手釣り初歩コース)
 SGさん、工務店のS氏等、皆さん水深90メートルの汐巻で手釣り。
鯛テンヤという鉛の錘の先に針のついた仕掛け。
私は関門のような水深20メートルの海では手釣りは慣れているが、90メートルはおじけついて、一人竿釣り。
手釣りの方が、道具がかさばらず、特に大物の鯛がよく釣れている。
あちこちで聞いて、仕掛けを作り、お昼前から手釣りに切り替え。
ちょうど、「潮が動かん、移動するぞ」との船長の一声で、水深50メートルの角島近くのポイントに移動。
いい練習になりました。
竿では、私はもっぱら、ハトポッポと皆さん呼んでいるぺらのなかまの大きな魚がたくさん釣れる。(下の写真)

 ヌルヌルするので、釣り人は、釣れてもあまり喜ばない。
しかし、手釣りににすると馬面ハギ、イサキ等お刺身にちょうどいい型が次々釣れ、手釣り初心者コース、まずは無難にスタート。(イサキを片手にパチリ)


(61才は青年)
 木工職人のSGさんたちの釣りグループ、皆さん40年来の釣りのなかまとのことで、ガツガツせず、喜々として釣りを楽しんでいる。
1月と8月は休むが、それ以外の月は、2回/月のペースで釣り船を借り切って汐巻で釣り。
今日は総じて釣果は今一で、甲板上でにぎやかにおしゃべり。
木工職人のSGさんが、私に、何歳かと聞くので、「61歳です」と答えると、「私より11歳年下ですな」とSG氏。
別の方が「61歳は青年じゃ。後10年は釣りできる。そのあとは・・・・」
工務店のS氏に「Sさんは何歳?」と聞くと、55歳。
「あと、15年は大丈夫。しかし、そのころ私たちは、どうなっているやら。」と木工職人のSG氏。
「悪いが、家に迎えに来て、釣りにつれていってくれんじゃろか」と言うかもと。
「95歳まで、釣りに行っている人がいた」とか、
「車いすで釣り船に乗っているのを見たことがあるぞ」とか話題は尽きない。
私とコーラル丸の釣り仲間の工務店のS氏以外は、船長含め、70歳を軽く超える。
最近、SGさんの釣り仲間、目が悪くなったり、脳こうそくで倒れたり、心臓が悪くなったり、で健康が万全とはいかない。
それでも、釣りに出てくるのだから、恐れ入る。
帰港し、73歳の壮年組と61歳の青年で記念写真。



(調理)
 夕方6時過ぎ、我が家に帰りつき、イサキ、馬面ハギは妻が刺身に。なかなかの味。(下に写真)

重量級のハトポッポ(イラ)は私が夕食後11時近くまで、3枚に下し、皮を剥ぎ、きれいなブロックの魚肉に。
冷凍し、フライにして食べるとおいしい。
今晩は爆睡の予感。
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それから40年(2010/9/9)

2010-09-09 22:35:39 | 忘れがたい釣りや山
長男から尾瀬の燧岳に友達と登ったと楽しそうな写真。(冒頭の写真)
この山なら私も20歳の時登ったはずと日記を見ると、尾瀬を囲むもう一つの山、至仏山頂近くで友人と写した写真。(下の写真)


あれから40年、釣りと畑に夢中で、しばらく登っていない山にまた行きたくなりました。
手軽なところで、九重山から法華院温泉。

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汐巻で船釣り(2010/1/25)

2010-01-25 11:36:51 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の日曜日、名高い漁場の汐巻(山陰角島沖)に工務店のS氏に連れて行ってもらい、船釣りでした。

(天秤釣り)
汐巻は、日ごろコーラル丸で出かける関門海峡と違い、日本海の外海。
水深は関門海峡が20メートル弱のところが多いが、ここは80メートルが平均。
数年前、私の釣りの師匠のG氏に時々、福岡の鐘崎から沖釣りに沖の島近くまで釣りに連れて行ってもらっていたが、その時の海とよく似ている。
沖ノ島沖では、胴つき仕掛けより天秤仕掛けの方がよく釣れていたので、今日は天秤仕掛けで釣り。
投入して30分程して、40センチ余りのアマダイが釣れる。
これは幸先いいとニコニコしていたが、後が続かない。
隣でテンヤ仕掛けで手釣りの船長は、「潮が動かん、魚はおるが、食わん」と。
しかし、船長は、事もなげに、鯛やらタカバやら大型のアラカブを次々上げる。
工務店のS氏やらS氏の師匠のSW氏(腕のいい木工職人)は鯛ねらいとのこと。
沖ノ島より汐巻の方が鯛は魚影が濃い感じ。
帰港して帰りの車中でS氏が言うには、今日は私が天秤で釣っているので、大鯛は食わんと船長が話していたとのこと。
普通なら、天秤はやめて別の仕掛けに変えてと、いうところだが、皆さん、新参の私の自主性を尊重してくれて、おとがめなしだったと知った次第。
これはまずいことをしたと、恐縮。
(港に戻って、パチリ。魚の7割は船長が釣ったものをいただいたもの)

(船酔い)
汐巻には、北九州市から車で1.5時間の粟野漁港から出港。
朝4時車で港に向かう。
私は車の免許がないので、通常の釣りは電車だが、朝が早すぎ始発の電車はまだ動いていない。
そのため、工務店のS氏の家に晩、妻運転の車で押しかけそのまま泊めてもらう。
寝る前にビールで釣り談義。
昨年秋、このビールが多すぎ、翌日の釣りは二日酔いと船酔いで苦しかったのを反省。
今回はビール2缶に控える。
しかし、出港し船の揺れに足を踏ん張って竿を出していると、胃の辺りがムカムカ。
吐くほどではなく、昨年秋より軽症。
次回は缶ビール1缶にしよう。

(ヤズ大漁)
お昼間過ぎ、納竿まで後2時間になるも、生けすの中は、魚影が薄い。
船長の提案で、ヤズ(35センチ前後のブリの子供)が近くでたくさん釣れているので、それを釣って土産にしないかと。
皆さん、船長のおっしゃることなら、お願いします、で、カモメが乱舞する海域に。
この下に、ヤズの群れがおり、ヤズに追われた小魚が海面近くに来るのをカモメが狙っているということらしい。
仕掛けは専用の漁師仕掛けがあり、これからは船長の独壇場。
20メートル程の幹糸にゴム製のイカの姿をした疑似餌付き針が20個程。
これを投入して手釣り。
私がこれを扱うとたちまちお祭りは確実。
船は揺れるので、私は足を踏ん張って座っているのが安全。
船長は素晴らしい手際で次々ヤズ、時々、鯛やらホウボウの35センチ前後を上げる。
サワラも。
仕掛けをもう一個、出してくれて前甲板にいる、工務店のS氏ら3人で格闘。
この3人お祭りになり、10分程糸をほどこうと苦労。
船長が見かねて、2分で複雑に絡まった糸と針を難なく解く。
皆さん釣り歴30年のベテランぞろいだが、脱帽。
後ろ甲板で船長の手際に目を見張っていたら、針掛かりした、ヤズをこれを外しなと、私と作業着屋のH氏に手渡してくれる。
少し釣りに参加している気分に。
船長の釣ったヤズを持って、パチリ(下の写真)


船長の心使いだが、釣り名人の船長の横では、私もH氏も幼稚園の子供。
ヤズは全て5人の釣り人のにいただき、一人15匹前後に。
35年間、この船長の船を毎月2回の年間予約している木工職人のSG氏、新参の私とH氏と工務店のS氏に、
「こんな釣りをしてくれるのは、初めて。あんたらはラッキーよ」と。
感激。
帰港途中の船の船尾からパチリ(下の写真)



この汐巻での船釣り、長年のメンバー、月2回の釣行が体力的にきつくなったので、時々、行けないことも。
毎月の第四日曜日、これから私を誘ってくれることに。
いいグループとお近づきになれた。
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田原坂、塚原ドライブ旅行(2009/10/19)

2009-10-19 20:38:50 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
ラーメン屋のI氏、工務店のS氏、大工さんのM氏、サッシメーカーのY氏に酒に興味のない苅田のMT氏に私の6人で西南戦争の激戦地の田原坂、阿蘇の名水、塚原温泉と一泊二日のドライブ旅行に出かけました。
常連のM画伯は高血圧でドクターストップ、缶ビール1ケース差し入れするだけで寂しく留守番。

(田原坂)
 熊本の田原坂は西南戦争の激戦地と名前は知っているが、6人とも訪れたことがない。
ラーメン屋のI氏は前々から、「政府軍は毎日30万発の小銃弾を撃ち、薩摩軍の小銃弾と空中で衝突してくっついた状態の弾が保管されているらしい、行こう」と。
酒嫌いのMT氏運転の車で、ビール好き5人を乗せた車、田原坂着。
小高い丘の上に記念館やら記念像、記念碑が立ち並び、緑豊か、静かなハイキングコースといった感。
記念館に入ると、ボランティアガイドから詳しい説明。
両軍それぞれ、戦争を通じ7000人の戦死者。
両軍の指揮官の顔写真が各15名ほど並ぶ。
政府軍は、司馬遼太郎の坂の上の雲で、日清、日露戦争で力を尽くした英雄たちが並ぶ。
川上操六、大山巌、黒木、奥等など。
しかし、薩摩軍の指揮官の名前は、坂の上の雲で読んだ記憶がない。
ガイドの方にこれらの薩摩軍の指揮官は全員戦死かと聞くと、死んだと。
有為の若者がたくさん亡くなったとしんみり。
ことの発端の空中衝突の小銃弾は4組、記念館に保管。
残念ながら写真撮影禁止(田原坂の銅像の前で記念写真、冒頭の写真)。

(高天原 たかまがはら)
 北阿蘇の産山村の民宿、山の里、でボリューム満点の赤牛の陶板焼きを平らげ、一泊。
翌日も車は、九重から由布院と走り、由布岳・鶴見岳の北斜面から広がる塚原盆地に。
5年前、高天原という地鶏の炭火焼の鄙びた食堂があり、美味しく、店の雰囲気も良かったので、再度訪問。
5年前と同様、近所の農家の年配のご婦人が一人で切り盛りしており、深い林の中、クレソンの密生したきれいな小川の側の店は、情緒満点。
七輪で地鶏を焼き、ビール。
「いいとことろを知っとるねー」皆さんからおほめの言葉。
下に店の写真。

(塚原温泉) 
お腹もくちくなり、車に戻り、一路塚原温泉に。
海抜800メートルの所にある強酸性(PH1.2)の温泉。
皮膚病によく、高血圧にも効果があるとか。
温泉に入る前に、上手にある、鶴見岳裏の噴気孔を見物に出かける。
直径10メートル程のクレーターがあり、水蒸気が勢いよく噴出。
山全体(伽藍岳)は、いつの頃か出来た爆裂火口と思われる。
磐梯山に似て山塊が破裂、えぐれた地形。
硫黄を含んだ噴煙が山肌のあちこちに。
下に記念写真。左山腹黄色くかすんでいるのは、硫黄を含んだ水蒸気

風呂に飛び込み6人で、ああ幸せ、来てよかった。

(食材の仕入れ)
 皆さん、事業を切り盛りしている人が多く、ドライブの途中で何度も携帯で仕事。
「ダンプを修理でなく、買い替える」と大工のM氏が電話してると、皆さん安いトラックの修理店を次々上げる。
「今、会議中、電池が無くなった、もう電話しない」とS氏が言っているので私の携帯の電池を貸そうとすると、「車が携帯の電話が届かない場所に来てお客との電話が切れた。ドライブ旅行中というとまずいので、とっさの言い訳だ」等。
賑やか。
ラーメン屋のI氏は店の留守番部隊に「何か青果市場で明日仕入れるものは無いか?」と。
電話をかけなおして大声で「玉ねぎ、ネギ、人参、明日もらいに行く」と仲買人に。
「玉ねぎ、ネギ、人参」という語呂が面白く、車内、ドット沸く。
「明日の仕入れを今日頼んでおくと仕入れ値が安くなる。
今日、予告しておかないと、明日、商品を探すことになり、高くなる」と。
なるほどと感心。
I氏が切り盛りする小倉室町の錦龍は、ラーメン300円、大どんぶりに入れたチャンポンが500円と、安さと美味さで名高いが、その秘訣を垣間見た。

楽しい二日間でした。
来週はコーラル丸で釣りの予定。
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初めての汐巻 汐巻で船釣り(2009/9/27)

2009-09-28 15:40:12 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日は、山陰の名高い漁場の汐巻(しおまき)に船釣りに行きました。
飲み仲間の会、「黒ラベルの会」のメンバーの木工ろくろ職人のSG氏の釣りグループに飛び入り参加したもの。
コーラル丸の釣り仲間の工務店のS氏も一緒。

(二日酔い)
 車で2時間弱のところに港があり(粟野)朝は4時に車出発。
工務店のS氏のお宅に泊めてもらうことに。
晩妻運転の車で、S氏宅に着くとコーラル丸の釣り仲間の服屋のH氏夫妻も来ていて、宴会の最中。
H氏は明日の釣りに行かないが、S氏の御近所でよく宴会するらしい。
汐巻での釣りの経験がH氏にあり、いろいろと釣り方や釣れる魚の話を聞いているうち、ハッと気がつくと二人の間に缶ビール10本が空に。
S氏は既に白川夜船。
布団にはいると酔いが回って頭クラクラ。
港に着き、沖に出て、魚を釣っていても、二日酔いと揺れる船に、気持ワルーがお昼まで。

(連子鯛) 
古いカルデラらしい油谷湾の奥深くの粟野港6時出港、湾の入り口にさしかかると、朝日が山間から顔(冒頭の写真)。
陸地がやや小さくなると、船長「魚探に少し反応があった」とエンジンを止めパラシュートアンカーを海に投入。
深さは90メートル。
程なく小さな当たり、しかし針掛かりすると素晴らしい引き。
リールも時々余りの重さに空回り。
連子鯛。(下に写真)



(ハトポッポ)
 連子鯛の当たりが遠のき始めると、場所移動。
真鯛が前日たくさん上がった場所らしい。
S氏が大物といいながら釣り上げた魚を見ると、不格好な40センチ余りの魚。
確かTVの釣り番組でハトポッポと呼んでいたベラの仲間で、イラが正式名。
S氏あまり喜ばず。
次にSG氏にハトポッポ、立て続け。
S氏と私の生けすに、やるよと、大きなハトポツポを投げ込む。
私にも素晴らしい引きでハトポッポ次々。
合間に、大型カワハギとかタカバとかホウボウ、アラカブと聞きなれた高級魚も竿を曲げる。

(30年余り) 
釣りの合間に、背中合わせで釣っていたSG氏に汐巻での釣りはいつからやっているのか等聞く。
30年以上になるとのこと。
毎年、この船を3月から12月まで毎月2回のペースで年間予約。
客定員は、5名で、固定のメンバー。
時々、メンバーの都合が悪い時、私のように飛び入りもできるらしい。
皆さん、お人柄もよく、見かけたところ70歳は超えている。
仕事も自営でマイペースらしい。
大型クーラー満タンの魚を船から降ろし、港でこのベテラン釣り師達と記念写真。(下に写真)


 帰宅して妻とハトポッポと格闘。長さ40センチ前後あるのが5本で、うろこは大きくてはがしにくい。
うろこを付けたまま、3枚におろし、皮をはぐと、きれいな白い切り身たくさんとれる。
フライにすると美味しいらしい。
全て終わったのが晩の11時で、後は今朝まで爆睡。
SGさんには、また欠員が出たら、飛んでいきます、声をかけてくださいとお願い。
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関門で五目釣り(2009/9/24)

2009-09-24 22:40:37 | 忘れがたい釣りや山
仕事休みなので、コーラル丸で関門に釣りに行ってきました。
薩摩隼人のO氏、歴史家のT氏、M画伯の4人の釣り人。

(アコ、バリ)
 20センチ余りの、良い型のアジが次々上がり、船上は余裕。
M画伯が突然真剣にリールを巻く。
高級魚のアコ。
但し小型。
皆さん心から感心。(冒頭の写真)
そのあと、T氏がタモ出せと。
竿が大きくしなっている。誰かが「バリじゃ」。
夏によく釣れるというバリ。
私は釣ったことは無いが、味はいいらしい。
しかし、オコゼ並みの毒針。
一番の若手(60歳)の私が、毒針を切り落とす係りに。
オコゼの針は何度か切ったことがあり、同じ要領でやると結構簡単。
内臓が臭いので生きているうちに、調理が原則とのことで、頭を落として、内臓の塊をそのまま海に捨てる。
肉を海水で洗うと、美味しそうなバリ出来上がり。
秋が近付き、魚も多彩に。



(カワハギ釣れた)
 10月になるとおいしいカワハギが毎年釣れる。
そろそろ釣れるのではと思っていると、私の竿に強い引き。
カワハギゲット。
「おー、カワハギの先遣隊じゃ」と船長。(写真上に)


(アジ一夜干し)
 ジリジリと熱い日差しの中を、自転車を押して我が家に。
大振りのアジは、さばいて、一夜干しに。
釣ったアジ、写真上に。今日はたくさんアジが上がった。

 今度の日曜日、山陰の潮巻きという沖にアマダイ、レンコ鯛釣り。


 
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