今回の出張はヒューマンインタフェースシンポジウム2008を聴講だ。
ヒューマンインタフェースシンポジウム2008
論文発表のマニアックな話はともかく、今日は夕方阪大総長となられた鷲田清一(きよかずと読むんですね、知らなかった。)先生の以下の講演が面白かった。
ヒューマンインタフェースシンポジウム2008
鷲田先生とは数回お会いしたことがあり名刺交換もしたことがある。
今回も哲学者ならではの深い話で非常に面白かった。
以下にキーワードを!。
○ TVやポスターなどで現れている人たちの顔は顔ではない
○ イスラム教のベールは非常に合理的だ。なぜなら、我々は自分の顔はありのままひとにさらしているのに、自分では自分の顔を見ることができないという非常に無防備な状態にある、ベールは自分から他人の顔は見ることができるが、自分の顔は他人からは見ることができないという状況を作り出してくれるのだ。
○ものを見るには隔たりが必要。例えば相手と眼が会うと相手を観察することができなくなる。相手が見ていないときしか我々は相手を見る(観察する)ことができない。つまり、かすみ見たり、盗み見たりしているのだ。
○顔を身分照明に使い出したのは近代から!、歴史は非常に浅い。
○公家のまゆをそったりするメイクアップは、本心を探られないため。
不安定な立場だったので、本音を悟られてはまずかった。
○赤ちゃんや幼児は、他人から表情を学ぶ。自らあみだしたものではない。なぜなら自分の顔は見たことがないのだから。
よって、母親の子供に対する表情訓練は非常に大事
以上、要は、顔は形や表情というより、その人の内面みたいなすべてだという感じである。
この講演は、インターフェイスということばにはフェイス(顔)という言葉が入っているというのが出だしだった。深い話である。
講演前の論文発表で、ロボットやインターフェースに「ひとらしさ」「機械くさくない」なんて議論がいろいろでていたので、この話のおかげで、私は眼を覚まされた感じである。
あえて、人型ロボットや目や顔の表情をイミテイトする技術は、深く本質から見直したら、もっといいアイデアが出てきそうだ。面白い。
私も何かアイデアを考えてみたくなった。
上に書いたように、このような哲学的な内容は、それまで聞いていた論文発表の内容は薄っぺらな話だと思わせてしまうほど、考えさせられた。
哲学的な話は、物理現象の解明よりずっと面白い。笑
ヒューマンインタフェースシンポジウム2008
論文発表のマニアックな話はともかく、今日は夕方阪大総長となられた鷲田清一(きよかずと読むんですね、知らなかった。)先生の以下の講演が面白かった。
ヒューマンインタフェースシンポジウム2008
●特別講演「表面の深さについて」 大阪大学総長 鷲田 清一
表層が表層であるのは、その向こう側に透けて見える深層という背後によってである。これに対して、わたしがここで語ってみようとおもうのは、「表面の深さ」である。
「もっとも深いもの、それは表面である」と書きつけたのは、ポール・ヴァレリーである。それに先立ってニーチェも、「ギリシャ人は表面的であった――深さから」と書いている。また、わたしの若い友人のひとりが、パソコンの画面を見つめながら、「この画面は浅い」と言った。これらの言葉を手がかりとしながら、フェイスの深さについて考えてみたい。インターフェイスにもし深さというものがあるとすれば、その深さとは何か。それを考えるきっかけとなれば、とおもう。
鷲田先生とは数回お会いしたことがあり名刺交換もしたことがある。
今回も哲学者ならではの深い話で非常に面白かった。
以下にキーワードを!。
○ TVやポスターなどで現れている人たちの顔は顔ではない
○ イスラム教のベールは非常に合理的だ。なぜなら、我々は自分の顔はありのままひとにさらしているのに、自分では自分の顔を見ることができないという非常に無防備な状態にある、ベールは自分から他人の顔は見ることができるが、自分の顔は他人からは見ることができないという状況を作り出してくれるのだ。
○ものを見るには隔たりが必要。例えば相手と眼が会うと相手を観察することができなくなる。相手が見ていないときしか我々は相手を見る(観察する)ことができない。つまり、かすみ見たり、盗み見たりしているのだ。
○顔を身分照明に使い出したのは近代から!、歴史は非常に浅い。
○公家のまゆをそったりするメイクアップは、本心を探られないため。
不安定な立場だったので、本音を悟られてはまずかった。
○赤ちゃんや幼児は、他人から表情を学ぶ。自らあみだしたものではない。なぜなら自分の顔は見たことがないのだから。
よって、母親の子供に対する表情訓練は非常に大事
以上、要は、顔は形や表情というより、その人の内面みたいなすべてだという感じである。
この講演は、インターフェイスということばにはフェイス(顔)という言葉が入っているというのが出だしだった。深い話である。
講演前の論文発表で、ロボットやインターフェースに「ひとらしさ」「機械くさくない」なんて議論がいろいろでていたので、この話のおかげで、私は眼を覚まされた感じである。
あえて、人型ロボットや目や顔の表情をイミテイトする技術は、深く本質から見直したら、もっといいアイデアが出てきそうだ。面白い。
私も何かアイデアを考えてみたくなった。
上に書いたように、このような哲学的な内容は、それまで聞いていた論文発表の内容は薄っぺらな話だと思わせてしまうほど、考えさせられた。
哲学的な話は、物理現象の解明よりずっと面白い。笑
ちょっと今、長くコメントできませんが、とても興味深い話ありがとうございました。
おっも白かったですよ。
今日は、ニッサンのPIVO2のエージェントの話を聞きましたが、彼らもああいうものを作る意味を探っているようで、いろいろアンケート調査をしているようです。
でも、彼らは、少しでもポジティブな反応のある限り、やっていくというモチベーションだそうです。
昨日の話を聞いたかどうかで、判断が変わりそうです。